第41話 暗黒の帷


「右翼、左翼、展開!」


 鴉紋達の居るミーシャ農園に銀の鎧に身を包んだ百の騎士が集い、号令と共に周囲を取り囲んでいく。

 標的の居場所まで分かっているのか、鴉紋達の居る教育係の宿舎を中心に、四方を瞬く間に囲まれてしまった。


 隊列の後方で、長い顎髭を撫でていた痩身そうしんの男が槍を掲げると、彼の側に控えていた副官らしき男が吠えた。


「出てこい不遜な反逆者ども! 二年前の雪辱の後! 我等がこの時をいかほど待ったことか! 終夜鴉紋っ!」


 槍を天へと突き上げた男は、ひときわの異彩を放つ半月の装飾をあしらった兜を被る。すると彼に代わり、再び側の副官が怒号の様な声を上げ始めた。


「我等マニエル様に仕えし聖なる騎士! 第21国家憲兵隊! 親愛なる天使の翼に傷を付けた者に、今裁きの時を!」


 百の兵が示し合わせたかの様に同時に地を踏み込み、地鳴りが起きる。


「「「裁きの時を!!」」」


 ここまで副官に指示を出していた長い髭の男は、ゆらゆらと揺れながら歩を進め、深くシワの刻まれたその口を開いた。


「……第21憲兵隊隊長。ワルト・ワーグナー……参る」

「「「オオオオオオオオ!!!」」」


 ワルトの歩みを見た兵達は一斉に剣を抜き、怒涛どとうの如く、鴉紋達の居る宿舎に向けて走り出した。


「威勢がいいなぁ有象無象うぞうむぞう


 屋根の上で胡座をかいて煙草を吹かしていたシクスが、ニタリニタリと笑って赤い瞳を月光で照り輝かせていた。

 そうしてゆったりと一服している間にも、ワルトと共に軍勢が迫ってきている。


「けひひ……っ!」


 しかしシクスは動かない。はやる気持ちを押し黙らせて舌をなめずり、瞳を凝らしてその時を待つ。


「――――っ!」


 遂に頃合いを見計らったか、猫のように華麗な身のこなしでシクスは屋根から地に舞い降りた。


「なんだっ!? 奴等は毒で動けない筈ではっ!」


 動転し歩みを止めた騎士達の前で、夜の闇の中で土煙が舞い上がる。腰のダガーに手をかけながら、宙に向かって噴き出した煙草の光が闇に踊る。


「『げん』――とばり


 騎士達の見ていた煙草の発光が、宙に舞い上がった途中で


「なんだこのもやはっ!!」

「何処だ奴は! いや、お、お前達? 何で俺一人しか……仲間はッ!? 見えない! 真っ暗で何も!! 何処に消えたんだぁ!」

「声だけが聞こえる、仲間達の! しかし……何も……何も見えない! 自分の体すらッ!?」


 シクスは『幻』の能力によって、辺りで暗黒に包み込んだのだ。しかしシクスも同様に辺りの様子が分からなくなる。


「……み、見つけた、奴だ、闇の中に浮かび上がっていやがる! 貧民街のガッシュだっ!」

「ならば幻覚だっ! 術者の居場所は偽れん! 奴を殺せっ!」


 シクスの『幻』という能力には、幾つかの制約がある――


・自身の身は『幻』による影響下に置けず、認識する事しか出来無い。

・『幻』による遮蔽しゃへいで自らの身を偽る事は出来無い。

・自らの身を『幻』で誤認(変異、複製)させる事は出来無い。

 以上の三点である――


 つまり今は騎士の言う通り、暗黒の中からでも、敵からはシクスの姿が筒抜けに見えていた。

 ただし、他の一切合切は完全なる闇に包まれて、今自分が地面を歩いているのかもわからなくなって来るような、浮遊するような不確かな感覚が彼等を襲っている。

 対してガッシュからは何もかもが見えず、敵の雄叫びや足音だけが聞こえる状態である。

 彼は自らの創り出した幻影を視る事が出来るが、それは言い換えればという事でもあった。


 すなわち、一見自らにだけ不利な状況を創り出してしまった術の行使であったが、彼はオレンジ色の髪を揺らして不適に微笑み始めていた。


「アッハ! 見えてるんだろう、お前達にはっ! だったら簡単だろう闇に一人佇む俺を殺してみせろッ! アッハ!」


「舐めるな! この大群の前で貴様になにが出来るというのだ!」


 一人の騎士が、目前を駆けていくシクスに向かって駆け寄りながら剣を振り上げた。


「ッぐぁ! 何かに……ぶつかって!」

「誰だ今俺にぶつかったのは! 見えない……見えな……ひぃぃ寄るな! 寄るなぁあっ!」

「ギャアア、斬られた! 誰かに俺のあだま……が!」

「やめろ、剣を振るうなッ! 同士討ちになるぞ!」

「なんだ、何かにつまづいて! 何処だ、俺はどっちに向いているんだ!?」

「落ち着け! 何も見えんのは奴も同じ! にじりより、確実に追い詰めれば何の事もない筈である!」


 騎士の視界の中でポツリと浮かび上がり、闇を背景に自由に駆け回るシクス。

 全ての騎士がその姿を必死に目で追うしか無い。それに応じて体の向きが変わり、自分が先程までどちらを向いていたかも分からなくなって、方向感覚をねじ曲げられていく。

 それぞれが強烈な孤独感に襲われ出した騎士達に向けて、恐怖をまくし立てるかの様な、一人の男のすすり笑う声が落ちる。


「怖いだろう? お前達の世界に、俺という殺人鬼しか居なくなっちまったんだからよぉ! さぁ、遊ぼうぜぇぇえ!」


 闇のキャンパスを縦横無尽じゅうおうむじん駆けながら、ダガーを振り回し始めたシクス。その黒い刃がきらめいて宙を一閃する度に、騎士の悲鳴が上がる。


「アアアアッッ、腕がぁ!?」

「ぎぎぎ……首……アツ! アツアツアツ! ナニ!? ナニがっ!?」


 舞い踊っているかの様なシクスが一振りする度に、彼の体を赤い鮮血が染め上げていく。彼は何もかもが見えないにも関わらず、的確に地形を、敵の居所を手に取るように理解していた。


「あははは……アハハハ! アァガァーハハハハハハハハッッ!!!」


 シクスは第21隊がここを訪れるまでの時間を、屋根に上り地形を把握する時間に費やしていたのだ。


「アァァー!! ハアハアハアハアハァっっ!!!」


 ――そして、その暗黒の世界にシクスが残したによって、彼は敵の居場所どころか、異常なまでに発達した五感で、足音や体を動かした際の甲冑の軋む音、息遣いまでもを聞き分け、敵の体がどちらを向いているか、しゃがんでいるのか立ち尽くしているのか、頭が何処にあってどちらを向いているのか、剣を構えているのか、脅えているのか、怒っているのか、そんな兵達のつぶさな動作や感情、全てを把握していたのである。


「来るなぁあ!! イギィイイイ!!」

「何故奴には我々の居場所か分かっている!?」

「音だっ奴は俺達の出す音で全てをっ!」

「馬鹿な、そんな人間離れした芸当がっっ!?」


 混乱する甲冑の群れに向けて、闇に沈み込むかの様なシクスの声が発せられる。



 シクスは血濡れの表情を醜く歪ませると、右の赤目を舐める様にしていやらしく向けてみせた。

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