第八章 夢語る小さな口
第35話 魔物
第八章 夢語る小さな口
天使の子が死に、陥落したケセドの都を鴉紋達は後にした。
逃げ惑う民達を横目に充分な食料を持ち出して、次の都へと向かっている。
日照りが強いので皆でローブのフードを被りながら、数日かけてアルモ荒野を抜けた。すると次は湿地帯に出て、しばらくしてから小さな湖を見つけ、そこでキャンプをする運びとなる。
「疲れたなぁ兄貴!」
シクスが鴉紋に向かって微笑みながら、切り株の上に腰を掛けて煙草を吹かし始めた。
「……あぁ」
同じく大岩の上に腰掛けた鴉紋。二人の会話を訝しげな表情で眺めていたセイルが、肩を怒らせながらシクスに向かっていく。
「おい! シクス! 鴉紋を兄貴って呼ぶな!」
「なーんでだよ嬢ちゃん」
「嬢ちゃんって呼ぶな!」
「はぁーん……嬢ちゃん俺と兄貴の仲に嫉妬してんだろう、そうなんだろう?」
シクスがセイルに向けて煙を吐きつけ、ニヤついている。
「違うもん!!」
セイルの拳が容赦なくシクスのみぞおちにめり込んでいた。
「ブブォッ!」
「バカーー!!」
シクスは予想外の一撃に切り株から転がり落ちていた。
「ずっとこんな調子ですね、あの二人」
フロンスがフードを脱いで鴉紋の横に腰掛けて息をつく。
「……それよりフロンス、ネツァクまであとどれくらいだ」
「えぇ、ここからならあと半日も掛かりません」
鴉紋が言うように、次の目的地は初めて訪れたネツァクの都であった。再びそこを訪れる理由としては、二年前に鴉紋が第19隊、20隊を壊滅させ、未だ兵達の配備が間に合わぬという情報をケセドの貧民街で仕入れた事、天使の子マニエルの能力が分かっているので、ある程度の対策が出来るという事であった。
「それにしても……なんというか鴉紋さん、貴方は恐ろしくは無いのですか?」
「何が」
「マニエルのあの人知を越えた能力がです。例え情報が割れているからといって、彼女に今再び相まみえるのは私は恐ろしいと思います」
ネツァクの都を守護する天使の子マニエルは、自然そのものを操るという凄まじい能力をもって鴉紋を死の間際まで追い込んだ。
「自らまた彼女に立ち向かっていくとは……なんというか、あの強大すぎる力に対しては無謀にも思えてしまうのです」
「臆したかフロンス」
「……」
「鍵はあいつだ」
「……セイルさん?」
「あぁ、対策なんて大したもんじゃ無いが、あいつの黒炎なら、周囲の草木を全て焼け野はらに出来る」
「成る程、焦土にすれば彼女の能力は及ばない」
「……最もそんな事だけでどうにかなる相手じゃあ無さそうだし、他の手もあるんだろうが……俺達もこの二年で強くなった。どうにかするさ、変な能力を使うやつも増えたしな」
細い目をして鴉紋はシクスを見下ろす。
「……わかりました。私は全ての都の天使の子を殺すと誓ったのです。こんな所で尻込みしている場合ではないですね、すみません鴉紋さん。弱気な発言を」
「いいさ、その慎重さは武器になる……それと、お前には悪いが、俺はお前とは正反対の心持ちなんだ」
フロンスはポカンと口を開きながら、徐々に開かれていく鴉紋の、爛々と光る瞳を見上げていった。
「あいつは……マニエルは梨理の姿を弄び、俺に差し向けて来た。その所業を後悔させてやりたい。早く奴の懺悔を聞きたいんだ、苦痛に歪んだ奴の絶叫の懺悔を! 許しを請う惨めな姿を……早く!!」
尋常では無い様子の鴉紋から滾る復讐の大火が、その姿を現し始めた。その迫力と内包するパワーの凄まじさに呆気に取られたフロンスであったが、直ぐに口元を緩めて笑みを作った。
「それでこそ途方も無い目標が叶えられるというものです。天使の子を全て殺し、この世界の神になるという」
「神なんざ興味ねぇよ」
鴉紋達から少し離れた所で、シクスが鋭い目付きになって立ち上がった。彼の人並外れた嗅覚が何かを察知したらしく、腰元のダガーを手に取り構える。
「兄貴! 魔物の臭いだ!」
皆は立ち上がってシクスの向いている平原に向けて構えた。
「シクス、私がやる!」
「いいって、嬢ちゃんは休んでな」
生い茂った草木から円形の黒い穴が出現し、そこから小型の四足歩行の魔物が無数に現れる。全身に黒いもやの様なものがかかり、瞳を赤く輝かせてヨダレを垂らしていた。個体によっては全身を腐乱させた姿のも居る。
「げ、数が多いっての! 嬢ちゃんやっぱ手伝え!」
「うん!」
皆が先戦闘体制をとる中、鴉紋だけはその魔物の姿にある疑問を浮かべていた。
「次は狼か……何故俺の世界に居た動物の姿をして現れるんだ」
「狼? 何の事です鴉紋さん。あれは小型の魔物です。名などありません」
数十にまで数を増やした魔物達は素早く駆けて鴉紋達の周囲を旋回し始める。
「みんな鴉紋を囲んで!」
鴉紋は守られる様にセイル達の背に囲まれるが、いつもの様に不愉快そうな声を漏らし始める。
「必要無いって言ってるだろう」
「いえ、魔物が狙うのは鴉紋さん
フロンスが云ったように、魔物達が襲うのは鴉紋ただ一人であった。それは魔物の習性によるものである。
「魔物はロチアートを攻撃しないからね! だから鴉紋は私達が守るよ!」
どういう訳だか魔物はロチアートを攻撃対象にはしないのだ。しかしそれにどういった理由があるかは解明されていないのだとか。
「何故だフロンス。ロチアートも人間も同じ
鴉紋の問いにフロンスは困ったような表情を見せる。
「人間とロチアートが同じだと言うのはこの世界で鴉紋さんだけですよ」
「兄貴。ロチアートと人間じゃあ微妙に匂いが違うぜ。どういう風にって言われると困っちまうが、こいつらもそうやって識別してんじゃねぇか?」
「来たよ!」
一匹輪を抜けてこちらに駆けてきた魔物に、セイルは火球を放つ。まともに喰らった魔物は、「キャン」という苦痛の鳴き声と共に、その場に踞って焼け焦げていった。
「まとめて来るぞ! 俺がやるぜ!……幻!」
同時に四方から迫ってきた魔物は、シクスの幻によって翻された地盤により、「キャイン」と無抵抗に鳴いて、そのまま押し潰されていった。
「一気に決めちまうぜ!」
シクスはそのまま地から人体で組み上げた様な不気味な車輪を二体湧き出でさせた。そうしてその車輪が周囲を駆ける魔物達を追い立てていく。
そこで一ヶ所にまとまった魔物達の足元に、大きな桃色の魔方陣が生じた。
「私がやるよ!」
自分の足元にも生じた桃色の魔方陣に向けて、セイルが巨大な火球を放った。
足元の魔方陣から突如として転移して来た巨大な火の玉で、魔物達は一網打尽にその身を焼いて、やがて鳴き声も発しなくなった。
「ふぅ、魔物の肉が喰えればご馳走の出来上がりだったのによ~」
「魔物の肉には強い毒があるから食べればいいじゃない」
「……死ねって事か嬢ちゃん?」
「死ね!!」
フロンスが困り果てた表情をしながら二人に歩み寄っていく。
「貴方達……そんなに仲が悪いのに戦闘のコンビネーションはピカ一ですよね」
「そんな事より、おっさんは何もしてなかったな」
「すみません、私の能力は魔物には及びませんので、魔物との闘いは防御魔法に徹します」
シクスが幻の能力を解くと、平原に横たわる魔物達に灯った炎がまだ燃えていた。
「全く……自分の身位自分で守れる」
鴉紋は嘆息しながら三人を押し退けて、元居た大岩に腰掛ける。
「兄貴が怒っちまったよ」
「鴉紋ごめんね。なんかわかんないけど、悪いのはシクスだと思うの……」
「なんでだよ! ……はぁ、それにしても良く燃えるなぁ魔物ってのは……ん?」
目前で燃え上がる炎の中から、ヨロヨロと立ち上がった魔物が一匹居る事にいち早く気が付いたのはフロンスであった。
「鴉紋さん! 危ない!」
一匹の魔物が、全身を燃え上がらせる炎の苦痛に声も上げず、鴉紋の背後に飛び掛かっていた。
フロンスは瞬時に防御魔法を鴉紋の前に展開する。
しかし――――
「……な、なんだぁ?」
「なんなの、あの魔物……」
三人が驚いたのは、虚をついて鴉紋の背後に差し迫った一匹の魔物が、牙を剥くでも爪を立てるでもなく、彼の前で立ち止まり、まるでかしづくかの様にその頭を垂れたからだった。
「なんだお前は……?」
呟く鴉紋の前で、魔物はフロンスの展開した防御魔法に触れることもなくパタリと倒れた。
「あり得ない、何故この様な……そもそも魔物に知性など」
「俺の幻の能力が効くって事は、知性はそれなりにあるんだと思うぜ……だけどよ、あんな、まるで平伏すみてぇな」
「き、きっと最後の気力を振り絞って立ち上がったけど、偶然鴉紋の前で事切れたんだよ……ね! フロンス」
「……成る程、あり得なくは……無いですね」
鴉紋は妙な感覚にとらわれながら、黒煙をあげて燃え上がるその魔物を見下ろす。
「思えばコイツらは始めから、俺に敵意なんか向けて無かったんじゃないか?」
「そんな……そんな事あり得ませんよ。だって鴉紋さんはロチアートでは無く、人間なのですから」
「魔物ってのは狂ったように狂暴に人間を襲うもんだぜ兄貴。ロチアートにも、ましてや人間になつくなんて話しは聞いた事がねぇよ」
「……」
鴉紋はめらめらと肉を焼く赤い炎と、その下に伏せた悲しき亡骸をしばらく黙したまま眺めていた。
「こいつも、前の奴も、その前も……そしてこの世界に来た時に出会ったあの猪さえも」
鴉紋はソッと魔物の亡骸に手を合わせた。
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