第34話 悪魔

  *


「……あぃ…………わたじは薄のろで滑稽……な愚者で……ず…………」

「それで?」

「慈悲ど……いう名を借りで、神になったつもりで……民を、弄び…………自らの慢心のだめに……聖人を気取った……阿呆……で……ず」

「神は居るのか?」

「いばぜん!! 神ナドッッ!! 神などこの世界にいばぜん!!」

「へぇ」

「ゴッッッミ!! カスでず……神など、信じるに値せぬ……創造の愚物……デシガナいのですッッ!!」


 四肢をもがれた姿のザドルが、正気ではない様な目線で血みどろの鴉紋を見上げながら、涎を垂らして叫んでいた。まるで助けを請うかの様に。


「死ねよ愚者」

「バァアッッうぅ!!!」


 鴉紋の血に濡れた腕がザドルの胸を貫いた。その衝撃で床に亀裂が走り、壁が揺れて壁が瓦解していく。


「…………………………」


 ザドルは最早甦らなかった。目を見開き、その恐怖の表情を貼り付けたまま、ぐったりとして。

 何度も何度も殺されて、その苦痛を永劫えいごうのように繰り返されて、彼は生きることを辞めたのだ。


 ザドルの『信仰の奇跡』は、肉体が心臓の鼓動を止め、脳への血流が途絶え、思考すらも失うその刹那のタイミングを逃せば発動する事は叶わない。


「やったの……?」


 セイルが震える体を抑えながら呟くと、後方の階段からフラフラと上がってきたフロンスが、その凄惨な光景に息を飲んだ。


「鴉紋さん、天使の子を殺した……のですか」


 フロンスがそう問い掛けると、全身に血を浴びた鴉紋が、曲がった腰をユラリと立ち上げて振り返った。


「あぁ」

「……ッ」


 聖人を足蹴にして佇み、血に濡れて口許を歪ませた存在が、目を瞬かせながら、うち崩れた壁から射し込む夕焼けを背に微笑んだ、その禍々しい光景にフロンスは肝を冷やすしか無かった。


 先程の鴉紋の一撃で床に積まれた瓦礫が崩れ、吹き抜けになった壁から城下へ果てしなく落ちていき始めた。ガッシュは指の一本も動かせぬ姿勢で仰向けになったままに、崩れていく瓦礫の上を流されていった。

 そして逆さまになったガッシュは瓦礫と共に上半身を城外へと投げ出していきながら、僅かに止まった。

 高くそびえた城の頂点に宙ぶらりんになって、風巻に揺れる体。ガッシュの下に積み上がった瓦礫が徐々に城下に投げ出されていく。


「あぁ……楽しかった」


 ガッシュは自分の命運を悟って緩やかに微笑んだ。目前に繰り広がる広大な景観を目に焼き付けて、瞳を閉じる。


 ――転落死か、人にもロチアートにもなれなかったには、お似合いの無様な死に様だ。


 ――――だけどよ……


「面白かった……面白かったぜえ。じゃあなぁクソッタレゴミ世界」


 徐々にずり落ちていくガッシュは、恨み続けたこの都の神が、無様に殺される様を思い起こしてニヤつきながら、瓦礫と共にその体を空に投げ出していった。




















「んぁ?」


 何時までも訪れない縮み上がる様な落下の浮遊感。ガッシュが片方の茶色の瞳を開けると、そこに静止した夕映えの絶景があった。


 そして徐々に、自分の右足を掴んだ掌の感触を自覚し始める。

 セイルを脇に抱えた鴉紋が、ガッシュの足を掴んで宙吊りにしていた。


「あぁ……マジかよ」


 ガッシュは両腕をだらりと下げたまま、高度からの光景に目を移す。


 すっかりとオレンジ色に染まった空、都。

 しかし天上は未だ青い。

 赤みを帯びた茜雲や筋雲が軽風に乗ってそよいでいく。

 見渡す限りが空、青からオレンジへ変わるコントラスト。

 耳元を過ぎる風切り音。

 身を震わすような冷たい空気。

 金色に映えるゴールデンアワーの地平線。

 彼方へ見える、巨大な二つの太陽の頭が消えていく。

 その側の、翼を広げたような形の尾引き雲が、ガッシュのオッドアイに焼き付いた。


「あんたのその黒い腕。握り潰すだけじゃねぇんだな」

「……」

「……惚れた」

「は?」

「鴉紋、落として」


 ガッシュの右足を掴んだ掌が緩んでいく。


「わぁー! 待て待て待て! 違う、男としてだ!」

「……。鴉紋、落として」

「っだぁーっ!!」


 ガッシュは鴉紋によって、城の頂点から大聖堂の中へと引き揚げられる。

 生きた心地がしなかったガッシュは、また仰向けになって息を荒げた。

 鴉紋はズタボロのならず者に声を掛ける。

 ――奇しくもあの時、憲兵に答えられなかった問いを……


「名は?」

「ハァ……ハァ…………ガッシュ」

「それは異名だろう」

「ねぇよ、名なんて。人間とロチアートの半人の化物に名前なんざねぇ、誰も俺に名前を付けようとなんかしなかった」

「茶色の瞳も、赤い瞳も、どちらも人間だろう」

「はぁ?」

「俺もお前も、セイルやフロンスも、同じ人間だ。何が違う、俺達の何が人間として違うというんだ?」

「……」


 鴉紋は、ガッシュの額と首と四肢の六つの大きな傷痕を眺めながら、次にこう口を開いていった。


「は?」

「お前の名だ」

「……名前」


 伝えられた自分の名。人間の証を授けられたガッシュは、その名の意味を察して吹き出した。


「はははは! それじゃあ俺のこの傷がまた一つ増えたら、セブンスとでも呼ぶってのか?」

「軽率だったか?」

「……いや、いいよ、気に入ったぜ……

「あに…………」


 ガッシュは両足を高く掲げ、勢いをつけて飛び起きる。


「言ったろぉ? あんたに惚れたって……なぁ、俺も兄貴と一緒に行かせてくれねぇか」

「……本気か?」

「あぁ、あんたが何をしようとしてんのかは俺は知らねぇ。だけど、とんでもねぇ事をしようとしてるってのは察しがつく……俺はそいつが見たいんだ、あんたが今この都の神を殺した様に、そのとんでもねぇ光景をまた見てぇんだよ」


 鴉紋に縋りつく様にしたセイルが反対する。


「やだ! 鴉紋、私やだ! こいつ嫌い!」

「嬢ちゃん、んなツレない事言わずに仲良くしようぜ~同じ人間同士よ」

「やだ! しね!」

「そっちのオッサンはどうなんだよ?」


 フロンスは足を引きずって近寄りながら微笑んだ。


「えぇ、我々には戦力が明らかに欠けている。是非同行を……ね、鴉紋さん」

「……勝手にしろ」

「っひゅー! 宜しくなぁーー兄貴!」


 鴉紋の言葉を聞いてガッシュは飛び上がったが、足を痛めていたのでそのまま地に転がった。


「うがぁー!」

「天使の子は殺した。行くぞお前ら」

「うん!」

「はい」

「お…………おっ……しゃー」


  *


 鴉紋達は難なく城下へと下りて都を歩いていった。天使の子が死んだと聞いた民はパニックとなり都を駆け回っている。


「俺達はこれからどうしたらいいんだ」

「なんだこれは、ここは地獄か!」


 そんな声が民達から漏れる。足元には無数の民の死骸が転がっていた。都の半数ほどの民は、ザドルの『信仰の奇跡』の代償に死に絶えていた。

 ザドルが生きるのを諦めるまでに結果がそこに広がっていた。


「悪魔め!!」


 通り過ぎる民が鴉紋にそう吐き捨てて逃げ出していった。

 するとシクスは民を威嚇する。


「黙ってろクソどもが、てめぇらが馬鹿な天使を信仰した結果だろうが」


「鴉紋……?」


 民からの罵詈雑言ばりぞうごんを受けても何も語らない鴉紋を、セイルが心配して見上げる。


「大丈夫鴉紋?」

「…………くく……」

「……」

「くっ……はは…………」


 俯いた鴉紋は肩をピクピクと揺らしていた。

 肩を揺らして嗤っていた。

 民達の死屍累々ししるいるいの光景を見て、鴉紋はクスクスと体を揺らして嗤っていた。


 ――同じ人間の死骸が、山の様に積み上がっているというのに……


「次はお前だ……マニエル」

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