第32話 何が慈悲だよグズ天使

「殺します。全員。殺します」


 ザドルの周囲を水龍が高速で旋回し始めて、輪を描く様に縦横無尽に漂い始めた。


「神にあだなす背教者よ! 神は見ているのです、貴女方の蛮行を野蛮を、赦す筈がない! 我が友にこんな酷い仕打ちをして!」


 水龍はその輪を広げていき、辺り構わず駆け回って壁や装飾品や巨大な十字架までもを破壊しながら鴉紋達に迫ってきた。ステンドグラスが割れて降り注ぎ、ロチアートの剥製が散らばって粉々にされていく。


「辺りも構わず一辺に俺達を殺すつもりか!?」

「鴉紋! 私のテレポートであいつの懐に飛び込めば……」

「駄目だ、転移魔法には少し時間が掛かる……意表を突くでもしねぇと逆に殺られる!」

「……でも!」


 ザドルの展開する水龍の軌道が広がり、いよいよ鴉紋達に迫り来ようとしていた。


「我が友の為に! 都の民達を守る為にっ天誅を今!」


 高速で迫り来る脅威に、避ける術の無いガッシュが叫ぶ。


「そいつは今しがたテメェで殺した所だろうが!」


 そして鴉紋は、黒い右腕を天に向けて、上腕に白き魔法陣を発生させていた。


「お前は聖人なんかじゃねぇ、とんでもねぇ大間抜けだっ!」


 ――そして天に掲げた掌を握り締め、力強く腰まで引く。


「『黒雷』ッ!!」


 赫灼かくしゃくたる閃光と、破裂した様な凄まじい轟音が、ステンドグラスを突き破り、斜めに射し込んだ。

 ――そして黒い稲光がザドルを貫く。


「――カ……っはぁ!!!?」


 辺りを漂う水龍は動きを停止して、その体内にバリバリと電流を走らせながらもがき苦しんだ。ザドルも同様に背の水の翼から感電している。


「……っく……」


 日に三度目の黒雷に、魔力を使い果たした鴉紋がよろめく。

 ガッシュは一人愉快そうに飛び跳ねながら、痙攣するザドルに指を差して笑った。


「水に電気……相性最高ってかハハハっ!」


 鴉紋が垂れた前髪から前方を覗くと、胸に黒く焦げた大穴を開けたザドルが地に落ちていった。そして苦悶の表情を浮かべたまま、ピクリとも動かなくなっていくのを視認する。


「やった……やったよ鴉紋! 天使の子を倒したんだっ!」


 走り寄ろうとするセイルを鴉紋は制止していた。


「待てセイル!! 何かが……」


 黒焦げになったザドルの胸が――ビクンと跳ねる。


 ガッシュは目を剥くと、隠されていた天使の子のもう一つの能力に愕然としていった。


「んだそりゃぁ……ありか?」


 その能力は彼の秘技であり、ザドル・サーキス自身も始めて行使する能力であった為に、その内容を知る者などいる筈も無かった。


「お……ぉ……お」


 ザドルが小さく呻き始めたかと思うと、胸の傷が再生していった。

 やがて彼は背の翼でふわりと浮き上がると、平然と地に足を着けていた。


「『信仰の奇跡』」


 翼を広げたザドル・サーキスを、射し込む西日が背後から照らす。胸に空いた風穴は光に包まれて修復されていく。その光景は正に絵画から出て来た使の様でもある。


「……尊い。尊い民達の犠牲で私は甦ったのです。500人の民達の祈りが一つとなって、この身に代わったのを感じます。……あぁ」


 またポロポロと泣き始めたザドル。心臓が停止して脳の血流の止まるその刹那の意識にて、彼はその能力を遂げるのだ。500人の民達の犠牲をもって。


「生き返るなんて……」

「そんなのよ……反則が過ぎるぜ」


 セイルは膝を着き、ことわりを越えた能力に絶望を刻む。

 ガッシュも同じ様な表情で膝を震わせながら、今しがた起こった奇跡に目を泳がせるしかなかった。


「――だからどうした?」


 しかし一人。その男だけは、神に挑むかの様な奇跡の力を前に、盛る瞳の色を変えなかった。

 魔力を使いきったぼろぼろの体で歯を食い縛り、一歩足を踏み出して、ギラギラと獣のような瞳を滾らせる。


「勝手に甦ってんじゃねぇ……殺すぞ……」

「不思議な言い回しです……それにしてもそちらはボロボロですね。先程の技で魔力を使い果たした様で」

「黙れ。何度だってお前を殺してやる。お前に生きる価値なんてねぇ。お前の様なグズには」

「それは貴方の方なのでは? それと、魔力の尽きたその体でどうするので?」


 ザドルが水龍の大口を開かせて解き放った。鴉紋は腰を落とし、その水龍の巨体を正面に見ながら拳を後方に引き絞る。


「魔力なんか無くたってよぉ……!!」


 迫り来る怒涛の激流に向かって、鴉紋は全力の拳を振り抜いた。


「俺にはこいつがあるッ!!」

「ほう、確かに凄まじい」


 水龍の頭が丸毎吹き飛んで水飛沫となる。しかしその長い胴体は鴉紋を呑み込んでいった。


「ぐぼ……が…………ぼ」


 その激流に呑まれ、体内で引き裂かれていく鴉紋。龍の胴体が鴉紋の血液で赤く染まっていく。


「――ッ鴉紋を放せッ!!」


 絶叫したセイルが、掌の前に巨大な『黒炎』を生成して水龍に放っていた。それは水龍の巨大な胴体までもを蒸発させて両断する。


「ほう、素晴らしい、ロチアートの少女がここまで……我がドラゴンの水流までも蒸発させるとは……何なんですかその炎は? ……しかし」


 水龍の拘束から解き放たれた鴉紋が、全身を切り刻まれた姿で地に落ちる。セイルはフラフラと覚束無い足取りでなんとかそこまで駆け寄ると、鴉紋の仰向けの体に倒れ込んだ。


「貴方もまた魔力を使いきってしまった様ですね、ロチアートの少女よ」


「鴉紋……生きてる? 大丈夫?」 

「ゲホッ……」


 鴉紋は水を吐いてからセイルの頭を撫でた。しかし至る箇所に裂傷を作った満身創痍の体は、なかなか持ち上がらない様子である。


「『幻』」


 愉快そうに微笑みだしたザドルの前に、骸の巨人が現れる。水龍は見るも無残な姿のまま宙を漂っていた。


「おやおや、私も魔力を使いきってしまった様ですね」


 迫り来る骸の巨人。しかしザドルは慌てる風も無く、ただおもむろに胸の前で十字を切った。


「『信仰の結集』」


 民達から吸い上げた魔力によって再び現れた水龍が、ガッシュの差し向けた骸の巨体をあっさりと貫いていく。


「貧民街のガッシュよ。貴方もまた愚かな決断をしたものです。あのまま貧民街で大人しくしていれば、大いなる慈悲の元に手を出さなかったものを」

「……あぁん?」


 飛散していく異形の肉塊を浴びながらに、ガッシュは顎を上げて挑発的に問い掛け始める。


「そいつは何でだい天使様? 俺の討伐に隊を繰り出せば、甚大な被害が出ると思ったからか?」

「そうです。貴方の力は凄まじいのでね」


 ニッコリと笑んだザドルに向けて、ガッシュはおちょくる様な態度で眉を上げる。


「そうかぁ~だから大好きな民達がコツコツと殺されてんのを黙って見てたってのかぁ。あんた一人が出ばってくりゃあ、いとも簡単に終わった話しなのによぉ!」


 口ごもり、冷めた目付きになっていくザドル。


「……何を言いたいので?」

「あんた結局嫌だったんだろう? 見たくもなかったし足を踏み入れるなんて、もっての他だったんだ」

「は?」

「貧民街はあんたのコンプレックスその物だもんな。誰彼構わず慈悲を与えた結果出来ちまった、負の結晶だもんなぁ〜?」

「な……」


 口下手なザドルは上手く言葉が返せずに、赤面して一歩後退る。

 ガッシュはオッドアイの瞳で、狼狽ろうばいする天使の子を真っ直ぐに見つめ返した。


「だからあんたは、そこに足を踏み入れる事さえしようとしなかった。民達が殺されていようと、あんたは自分の恥から目を背ける事を選んだんだ」

「ち、ちが……っ」

「大層なお慈悲だよ、神が聞いて呆れるぜっヒハハハ!」

「…………ッ!」


 細い瞳をカッと見開いたザドル。

 同時に彼の放った水龍の二の手を、ガッシュは宙にひるがえって避けてみせた。


「このーーッッ!!」


 確信を突かれ、怒りに口籠るザドル。そうして額に何本もの太い血管を浮き上がらせていると、今度はセイルの肩を借りた鴉紋が語り出した。


「……お前の、その……」


 ズタズタに全身を切り裂かれようとも、そこにある闘志はまるで変わっておらず、歯を剥き出して激昂している。頭からも出血し顔面を赤く染め上げながら。


「能力の為に……何人の民が死んだんだ」

「ーーこれは! より多くの民の為に仕方の無い!」

「別に……貴様が民を何人殺そうが俺には知ったこっちゃねぇ……ただ、一つだけ言わせてもらう」

「だ、黙りなさい、賊ごときに何が!……私は偉大なる神の使徒……」


 鴉紋は満身創痍の体を起こすと、ザドルに向かってにんまりと笑って見せた。


「何が慈悲だよグズ天使、結局お前が一番殺してんじゃねぇか」

「だまれぇぇえーーーーッッ!!」


 絶叫したザドルが、頭の上のズケットを地に叩き付けて吠えると、体の半分程が消えた水龍も同調して猛り狂う。

 激しい魔力の波動が鴉紋達を襲い、地は震え、周囲のステンドグラスは全て割れていった。

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