第31話 水龍


「俺の魔力も残り少ないが、やるだけやってみるか……『幻』!」


 ガッシュは自らの能力で、無数の足の骨で形成された滑車と、人体の至る箇所の肉が複合して出来た大きな歯牙を持つ肉塊をザドルに差し向ける。同時にザドルの周囲で浮き上がった地盤が、彼を取り囲んで包囲している。


「幻術では主の姿を包み隠せないですよ」


 目眩ましのつもりで周囲を岩盤で囲ったガッシュだったが、『幻』の制約により、ザドルからは彼の姿が筒抜けに映っていた。


「もっとも、意味の無い事でしょうが」


 ザドルに巻き付いた水龍がぐるりと回って周囲の岩盤を消し去り、走り込んで来ていた異形もその大きな口で一呑みにする。

 莫大な水流に呑まれた異形は、その体内で擦りきれて粉々となってしまった。


「くそ! あいつの能力に打ち勝つイメージが湧かねぇって!」


 そしてザドルはガッシュに向けて腕を振りかざした。すると水龍が凄まじい速度でガッシュに向けて突っ込んでいく。


「やべぇやべぇやべぇやべぇっっ!!」

「川がそのまま突っ込んで来るよぉっ!」

「避けろセイル!」


 三人は散開して回避に徹する。うねる龍の体に沿って床が掘り返され、盛大に石を散らし始めた。

 ガッシュは全速力で走り込んでから前転し、何とか回避に成功する。


「――うげっ!」


 しかし、そこにはペルータの溶けた死骸が転がっていて、ガッシュは足を滑らせた。


「いでぇー! なんでこんな所にキタネェうんこが転がってんだ……ッくそ!」

「ペっっ! ……ペペ――ッ!!!」


 死骸を足蹴にするガッシュに、ザドルが目を剥いて動揺を始めた。そして何やら憤激して腕を振るうと、水龍が旋回してまたガッシュに迫り来た。

 

「ペルータに! 我が友に近寄るなぁぁぁああっ!!」

「おぅえええ!! ヤベえって!!」


 突如激昂したザドルが、顔を真っ赤にして大河を壁に突っ込ませる。激流の突き抜けていった壁は打ち崩れ、ステンドグラスとロチアートの剥製が破壊されていく。


「あ……あぶ…………ねぇ」


 瓦礫に埋もれたガッシュは、頭上を掠めていった水龍の胴体を、目をパチクリさせながら見上げていた。


「……あぁッッ!!」


 何事なのか、今度は悲鳴に近い声を上げたザドル。水龍を少し動かせばガッシュを呑み込めるというのに、それも忘れた様子の彼は、体を震わせながらヨタヨタとその存在に近付いていく。


「ぁぁ……あ…………っ」


 やがてその無残な姿を認めて絶句すると、彼は号泣を始めた。


「ああああっっ!!? ペルータぁぁぁぁあっっ!!? うわぁぁぁぁぁぁあんん!! 神よぉおおおおお!!!!!」


 ザドルが細い目をかっ開いて刮目していたのは、今しがた自分の水龍によって更にぐちゃぐちゃにしてしまった司教の遺体であった。


「なんだこいつぁ……」


 起き上がったガッシュがそそくさと距離をとるが、ザドルは一瞥もくれずに泣き喚気続けている。そして水龍はザドルに巻き付いていった。


「友よぉおおおおお!!! どうしてこんな無惨な姿に、一体誰がァァァ!!! ワアァァァアンンッ!!!!」


「マジで変態じゃねぇか」


 その幼子の様な有様を見て顔をひきつらせる鴉紋。やや放心した様子の彼の袖を、セイルが掴んだ。


「鴉紋、あの水龍の尻尾、さっきよりもかなり短くなってる……多分動かすだけで膨大な魔力を使ってる」


 セイルの言うとおり、水龍の尾が消えて体を半分程に縮めている。


「あんだけドでかいもんを操ってノーコストって訳ねぇよな……セイル、少し下がってろ」

「うん」


 しかし鴉紋は踏み込めずにいた。ザドルの周囲を取り巻く水龍の、冗談のような技範囲と、素早い動きのせいで、懐に潜り込めば瞬く間に餌食えじきになる事が分かっていたからだ。


 ――更に魔力を消費させて隙を作るしかないか。


 鴉紋が攻撃の手を考えていると、ザドルはピタリと泣くのを止めて、その水の翼を広げながら浮き上がった。


「『信仰の結集』」


 ザドルはそう呟くと、群青の祭服の袖を揺らして十字を切った。すると、たちまちに光が彼に集っていき、消えかけていた水龍の姿が、尾の先まではっきりと現れる。


「魔力が元に戻っただと!?」

「そんなぁ!」


 狼狽ろうばいする鴉紋に、ガッシュがよろめく足取りで近寄っていく。


「それがあいつの能力だ。自らを信仰し、祈りを捧げている民から魔力をかき集める」

「なにそれズルいよ!」


 鴉紋達に見向きもせずに、祈りを捧げていた民達の姿を思い起こす。彼等はこの為に都に留められていたらしい。

 しかし、何やら妙な感覚を覚えた鴉紋は問い返していた。


「待て、民からだと?」

「そうだ。都の奴らの銀のネックレスは知ってるな? あれは信仰の証であると共に、奴の能力の糧となる原因でもある」


 眉間を寄せたセイルが、戦慄せんりつしながら口を開き始める。


「魔力って……鍛錬たんれんを積んでない普通の人に、魔力なんてほとんど無いんでしょ?」

「あぁ、だからあいつの魔力が補充されるまで、数十……いや数百の民から吸い上げるんだよ、無理矢理にな」

「そんな……魔力を吸いとられた民達はどうなるの?」


 するとガッシュは、歪んだ眉根で微笑しつつ、顔を斜めにした。


「死ぬに決まってんだろ。それも使徒様の力になれて嬉しいですっつって喜んで死ぬんだ、信仰の証を固く握り締めて。それがほまれある死に様としてされてんだよ。どうだぁ? イカれてんだろう」

「……あぁ、大した慈悲もあったもんだ」


 鴉紋が龍を纏って浮き上がった天使の子を軽蔑する様に見上げる。

 ザドルはその莫大な魔力を行使する為に、民達の命を吸い上げているのだ。無論彼等の命が枯れていくことも承知しながらに。


 しかし鴉紋達の激情などつゆ知らず、ザドルはただ、目前で殺されたペルータという司教の為に啼泣ていきゅうを続けた。

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