第七章 慈悲の使徒

第30話 慈悲

   第七章 慈悲の使徒


 鴉紋とセイルは城内の階段を駆け上る。最上階に位置する大聖堂を目指して。

 先程の大広間に戦力を割いていたのか、教徒達のよる襲撃はほぼ無い様子だ。


「この先か」

「うん!」


 鴉紋は最上階へと難なく足を踏み入れた。そして今度は金色の扉が彼を待ち受けている。またもや複雑な彫刻の施された、きらびやかな大扉であった。


「あれ、空いてるよ?」


 セイルが大扉を押すと、こちらを招き入れでもしている様に、あっさりその内部を露にした。

 長い廊下が続き、果てには一際大きな金色の扉が見える。しかしそれ以上に、この長い廊下の異様なまでの豪華絢爛ごうかけんらん摩訶不思議まかふしぎな光景に驚きを隠せなくなっていく。


「趣味が悪いな」


 白亜の壁一面に虹色のステンドグラスが建ち並んで、天使の姿を映している。天井は空に見立てた水色に塗られ、羽根を生やした赤子が描かれていた。床には真っ赤な絨毯が敷かれ、壁の至るところには細かい金の装飾が施されている。


「鴉紋……あ、あれ……」


 セイルが指で示したのは、壁に掛けられた無数の剥製であった。セイルが愕然としているのは、その無数に並んだ剥製が全て、若いロチアートの胴から上であるからであった。


「何だこれは……!」


 鴉紋もその非道徳的な代物に怒りを露にし始める。


「みんな……本物のロチアートだよ」


 セイルは震えながら剥製のロチアート達のリアルな瞳を見上げていた。防腐剤を打たれた彼等の体は一様に固まって、その赤い瞳はただ真っ直ぐを見つめている。


「どうして笑ってるの?」


 セイルが言っているのは、男女様々なそのロチアート達が、無理やりに繕われた様に口許を微笑ましている事である。おそらくは剥製処理の際に手を加えたのだろう。

 死して尚、人間の都合の為に玩ばれるロチアート達。それは正に彼等がこの世界にとって、ただの家畜である事を表していた。


「みんな……どうして……」

「セイル。ザドル・サーキスってのはどんな変態野郎なんだ」


 額に青筋を立てた鴉紋が、セイルの手を引いて不愉快な廊下を歩き始める。


「うん……聞いているのは、求めればどんな者にも……ロチアートにだって慈悲を与える聖人だって……」

「何が聖人だ」


 鴉紋はひたすらに豪奢な装飾品を眺める。この細工の一つ一つに幾らの金がかかっているのだろう。このパーツ一つをひっぺがして持ち帰ったら、貧民街の民は何日食い物に困らないのか……


「セイル、そいつは聖人なんかじゃねぇ……!」

「うん、そうだね」


 やがて二人は、突き当たりの巨大な金色の扉の前にに辿り着いた。


「いくぞセイル」

「行こう」


 鴉紋はその扉を力任せに打ち砕いていた。


「おや、来ましたか」


 中央に据えられたつたの巻く小さな噴水。その囲いから立ち上がった青い群青色の祭服の男が、手元の分厚い本を閉じて鴉紋とセイルを朗らかに迎え入れた。

 茶色のくりくりとした短髪の上には、小半球形のズケットが乗せられていて、その下に落ちた青い瞳は糸のように細くなって微笑んでいた。

 背後のステンドグラスから落ちた日射しが、彼を後光が射しているかの様に物々しい佇まいにし、胸の銀の羽根を輝かせている。


 一際彩飾きらびやかで広大な室内の正面には、巨大な銀の十字架が掲げられていて、天井には天窓があった。そして壁には色鮮やかなステンドグラスと、他に隙間が無い位にロチアートの剥製が貼り付けられている。

 鴉紋はその不愉快な光景に眉間を寄せながら言った。


「お前がザドル・サーキスか」


 鴉紋が問い掛けると、祭服の傍らに佇んだ青い法衣姿の教徒が二人、前に出て巨大な杖を鴉紋に向ける。


「偉大なる御方の前でその態度。赦されんぞ」


 二人の司教に向けてザドルが手を掲げると、彼等はピタリと押し黙る。


「良いのです司教達よ。彼等はただ脅えているのです。自分のしでかした罪の重さに、十字架の過重に膝を震わせているのです」

「おお……なんと大司教様。騎士や教徒達を大勢殺したこんな大罪人にまで、そこまでの慈愛を……」

「神の御心になぞり、か弱き者には皆すべからく、大いなる慈悲を授けねばなりません」

「なんと慈悲深い……」


 肉付きの良い顎を揺らしながら、心地好さそうに語るザドルに向けて、司教は感涙して手を叩いていた。


「貴方方にも慈悲を授けます。さぁ怖がらないでこちらに寄りなさい。終夜鴉紋と幼きロチアートよ。痛みもなく葬って差し上げましょう。罪の全てをこの翼で洗い流し、そして楽園へと向かうのです」


 ザドルが穏やかにその両の腕を開くと、その背に水の翼が現れた。絶え間無く流動する仰々しい翼を眺め、鴉紋は吐き捨てる様にザドルを睨み付けた。


「何が慈悲だ、ロチアート達をこんな姿にして」

「どういうつもりで私の仲間達をこんな……貴方も所詮、ロチアートを家畜としか思っていないんじゃない」


 二人の言葉に意外そうな表情を見せたザドルは、唸りながら続ける。


「何を仰るのでしょうか……私は貴方と同じで、ロチアートに対する世間の認識に憤慨している一人なのですよ?」

「何が同じだ! 赤い瞳達の亡骸を弄び、飾り物にするお前と同じなものか!」

「この世に産まれ落ちた生命は皆神の子であり、ロチアートもまた我々の兄弟。どうしてそのような事が出来るというのでしょう?」


 不思議そうに口を窄めるザドルに、セイルは噛み付く様に言い放った。


「じゃあこれはなんなの? このロチアート達の剥製は!」

「それは……」


 ザドルは再びに穏やかな表情をしてから、朗らかに目を細くして答える。


「同じ兄弟といえど、家畜として食べられる運命のロチアート。それに心を痛めた私は、彼等が様に剥製にして差し上げているのです」

「永遠に生きられる様に剥製に……だと?」

「はい、ご覧下さい。皆微笑んでいるでしょう? 家畜として生かされ、そして食べられる彼等がこうして今も姿形を残して現世に居られるのです。これ程至極の悦びなどないでしょう。……ほら、この子なんてとても幸せそうな表情で」


 鴉紋は目を剥いて、その黒い両の指を滾る様に動かし始めた。


「話しにならねぇぞ、この変態天使ッ!!」


 地を殴って飛び上がった鴉紋が、そのままザドルに飛び掛かっていく――


「神の使徒様に対して不敬であるぞ!」

「ザドル様の差し出した手を払い、尚且つ弓を引くとは!」


 前に出た二人の司教の展開した防御魔法で、鴉紋は弾き返された。


「何が微笑んでいるだ! お前達が死体を弄んで口許を動かして作ったんだろうが! ザドル……貴様は亡骸が剥製になっていく様を見たことがあるのか!? 死に顔を見たことがあるのか!」

「鴉紋正面から向かっても駄目だよ!」

「お前は下がってろセイル!」


 ザドルは司教達の背後から鴉紋の問いに答える。


「いえ、御座いません……ですが皆、悦びに包まれてその時を迎えるのでしょう」

「違う! 殺された人間がこんな顔をするものか! 皆血の気の引いた落ち窪んだ瞳で死ぬんだ! 貴様は……自分に都合の良い幻想を抱いて、悲惨な現実を何も見ていない大馬鹿野郎だ!」

「……」


 ザドルが多少面食らった様子で押し黙った。その様子を見ていた司教達は、怒りに震えて杖を奮い始める。


「使徒様に向かってなんたる狼藉ろうぜきを! 最早神への反逆と同義!」

「ザドル様の最大の慈愛に背く貴様達に、最早生きている理由は無い!」

 

 二人の司教の杖から水流が放たれてきたが、鴉紋は横に転がってそれをやり過ごす。そして真っ直ぐに走り出した。


「また正面からとは芸がない」


 司教の前に展開された二重の防御魔法に、鴉紋は馬鹿正直に突っ込んでいった。


「ザドル様の楯である我等の防御魔法はこの都一ぞ!」

「さぁ、水流で体を貫いてやろう」

「……う……んぐぐぐぅぅぐっっ!」


 防御魔法に前進を阻まれた鴉紋であったが、そこから弾かれそうになるのに耐え、その白い魔方陣にピタリと張り付いたままに頬を押し当てていく。

 烈火の様な鴉紋の瞳が、二重の防御魔法のサークル越しに司教を射ぬく。


「あり得ん! あらゆる万物を弾き返す筈の我等の防御魔法が何故……!」

「耐えているのだ。深く埋め込まれたあの足を見よ」

「……ぉぉ!! オアアアアッ!!!」


 鴉紋は体ごと吹き飛ばされそうな力に逆らいながら、声を上げて魔方陣を右腕で殴りつけた。


「馬鹿なッ!」


 鉄壁を誇った二重の防御魔法に亀裂が走る。

 もう一度、もう一度と拳を乱打し始めた鴉紋。唖然とする司教を他所に、みるみると防御魔法は亀裂を増やしていって、遂には二つまとめて砕け散った。


「と……とんでもない豪腕ッ!」

「潰れろぉお!!」


 飛び上がった鴉紋が一人の司教を頭から捻り潰した。

 ――しかし鴉紋は、その不可思議な感触に異変を覚える。


「なんだっ!? 手応えが全然ねぇ!」


 鴉紋が潰した司教は、水となって地に溶けた。それを遠巻きに見ていたセイルが叫ぶ。


「鴉紋! 分身だよ、端から一人だったんだ!」


 もう一人の――否、術者であった司教が杖の先から水流を放たんと、切っ先を鴉紋に向けて口を緩ませる。


「もう遅い!」


 ――陽気な男の声音が大聖堂に響き渡っていた。


「な~にやってんだよ。天使の子をぶっ殺すんじゃなかったのかぁ?」


 何処からともなく、聞き覚えのある男の声が鴉紋に届いた。

 そして水流を放とうとした司教の目前に、全身から触手をうねらせる造形の大男が湧き出て、腐乱した肉塊の様な体で司教に覆い被さった。


「ひぃゃああ!!」


 司教は触手から噴き出す硫酸を被せられて、全身を溶かしていった。

 彼の存在を察したセイルが、肩を飛び上がらせながら頭上を見上げていった。


「ガッシュ!?」

「んな雑魚に手こずってんじゃねぇよ」


 頭上の天窓を破って、ガッシュが鴉紋の側に降りてきた。しかし全身から血を噴き出して、瞼の上は青くなって腫れている。


「私の事を殺そうとしたのに、鴉紋を助けるっていうの?」


 腰を折ったガッシュは、耳に指を突っ込んで掻き回しながらセイルを一瞥する。


「あぁー? 助けたんじゃねぇ。俺は自分自身の為にやったんだ」

「お前自信の?」

「あぁ、あのボスが殺されんのを目の前で拝んで、俺自身が気持ち良くなりてぇから。それだけだ」


 ガッシュはニタリニタリと笑いながら、十字架の下に佇んだ神を仰ぐ。


「貧民街のガッシュ……」


 ザドルはただ静かにそう呟いたかと思うと、背を丸めながら、今度は顔を真っ赤に膨れ上がらせ始めた。


「神よ……ぉお、なんという事でしょう……今無惨にも葬られた偉大なる司教ペルータの無念……心が痛む。ただ民の安寧のために闘った貴方のような聖者が何故……何故!」


 司教が目前で殺された事に憤慨したザドルは、嗚咽を漏らし、目尻から大粒の涙を流して天を仰いだ。西陽が落ちて彼を照らしている。


「うわぁぁあーーん!! ウワァァァアン! ペルータよ! 我が友よ!!」


 奇怪にも子どものように咽び泣き始めたザドル。そして忌々しい様にガッシュが呟いていった。


「頼むぜ兄ちゃん。俺は……俺にはあの化け物は殺せねぇ……!」

「第4の都ケセドに司りし天使の子。ザドル・サーキスが、神に代わって天誅を下します」


 狼狽するガッシュを横目に、鴉紋がザドルに視線を戻す。

 辺りの水流をかき集め、自らも水を発生させながら、極太の激流が一筋となってザドルの体に巻き付いていく。


「……これが、天使の子の力か」


 それは膨大な水量となり、ザドルの体を包み込む。やがて彼の体に大蛇の様に巻き付いた激流が、その造形を露わにし始めた。


「龍……?」


 ザドルが閉じた翼をゆるりと開くと、川がまるごとうねりながらそこにある様に、激流が巨大な竜のシルエットとなった。この広大な大聖堂の、高い天井にも収まりきっていない程の巨体である。


「これはドラゴンという架空の生物だと、ミハイル様より直接教授を賜ったものです。それを想像して私が作り上げたのです」

「馬鹿げてるぜ……俺様もこの目で見るのは始めてだけどよ……こりゃあ……」

「あんなの、どうやって倒すっていうの……鴉紋! テレポートで逃げよう!」


 やがて激流はザドルから離れると、その頭部を鴉紋達に向けていった。

 そしてザドルは胸の前で十字を切った。散っていった殉教者の為に。


「死を……神の御心に習い、代行者として死を送ります」


 後退るセイルとガッシュの前に立った鴉紋は、キツく口を結んだ左の口角を上げて、瞳を苛烈に光らせた。


「慈悲とやらはもうくれないのかよ! 神を気取った変態天使!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る