第29話 サハト


「なぜ我々の光弾が効かない!?」

「ィイイイアアアアアッッ!」


 サハトと呼ばれた一人の死人は、突き抜ける様な雄叫びと共に手近の金色の柱を殴った。


「……なんだと!?」


 巨大な柱がサハトの一撃で根本から折れ、騎士を押し潰す。その怪力に辺りの兵は息を飲んでいった。


「ォオオアアアアアガアア!!」


 最早人とは言い難い言語を発しながら、サハトはその巨大な金色の柱を抱え込んで持ち上げる。過度に膨張した腕の筋繊維が、ブチブチと音を立てながら裂けていくのも構わずに。


「まずい、避けろっ飛ぶんだ!」

「でも甲冑が重くて……っぁあ!!」


 サハトは持ち上げた巨大な柱を振り回し、固まった兵を一挙に凪ぎ払ったのである。誰一人避ける事が出来ず、その一撃で三十人程の兵が壁に叩き付けられて動かなくなっていく。


「ゥゴァアアァアア――!!!」

「なんでそんな力……どこから!? 元はただの人間だった筈だ!」


 ベックスが思わず後退すると、後方から教徒達が声を上げ始めたのに気付く。

 そして教徒の群れを突破していった鴉紋は振り返ると、扉を越える前にフロンスに言った。


「必ず戻れフロンス!」


 そして鴉紋とセイルは奥の扉へと消えていった。


「その恐ろしい死人はなんだロチアート……! 人の理を越える力が何故一兵士に宿る!?」


 ベックスは鴉紋達を追うことを辞め、目前の脅威を排除する事を決断し、水流の剣をフロンスに向ける。


「人の理は越えていません。死人だからこそ出せる人間の力と言いましょうか」

「死人だからこそ?」

「はい。人間は本来備わった筋力の三割程までしか行使できない生物です。脳に至っては一割も使ってないんだとか。それらは全て、脳が自らを守るためにセーブしている結果です」

「まさか貴様……!?」

「そうです。私はその人間のリミッターを外す事が出来る。兵を一人にする事によってですが」


 金色の柱を持ち上げたサハトが、白くなった眼球を見開きながら、血の涙を流して歯を食い縛る。すると二の腕の筋繊維から血が吹き出し始め、膝や大腿も同じようになった。全身の筋肉が何倍にも膨張して、その体型は最早変わってしまっている。


「無理やりに人間のリミッターを……貴様はなんと恐ろしい……むごい事をっ!」

「死人にむごいも何も無いでしょう……彼等はただの肉袋なんですから」

「な…………ッ!」


 サハトは過激に叫びながら金色の柱を持ち上げていった。口から噴いたあぶくには血が混じっている。


「――させるものかっ!」


 しかしベックスの水流の剣が金色の柱を中間部から貫いて破壊する。その攻撃で瓦礫に埋もれたサハトであったが、そこからすぐに飛び上がって、ベックスに向けて駆け始めた。


「アァァアアバァアア――っ!!」


 断末魔にも似た声を上げるサハトは、そのまま振り下ろされて来たベックスの水流の斬撃を、膨れ上がった下半身を駆使し、猛烈に飛び回って避ける。彼が足を着く度に地はその衝撃に耐えきれず、破裂した様に音を立てて床を粉砕していった。


「ッ化け物め! 最早人間の動きではない! ならばっ」


 ベックスは標的を術者本人――つまりフロンスへと変更し、水流の剣を振り下ろそうとした――


「――なっに! 貴様卑怯だぞ!」


 フロンスは標的が自分に変わるやいなや、前衛に残った騎士達が、ベックスの斬撃の軌道に入るようにひょいと移動していた。

 そして訳の分からぬベックスの叱責に、眉を上げながら疑問を口にする。


「え……なにが?」

「おの…………っれ!!」


 ベックスの水流の剣が止まる。次に彼が死人に視界を戻すと、瞬く間に懐近くにまで走り寄り、飛び掛かって来る所でだった――


「ベックス様ぁあ!」


 ベックスを取り囲んでいた騎士が前に出て、サハトを剣で突き刺し、掴みかかる。彼等が騎士隊長を守る為に、まさに一丸となって標的に覆い被さったのだ。


「お前達……っいかん離れ――っ!」

「ぃぎぁぁぁあ! 刺せ! 俺毎でイイッ」

「抑えられん! 本当に人げ……ッッ!?」


 騎士はサハトを激しく斬り付けていったが、最早死人であるサハトは眉根の一つも動かさずに立ち上がって、兵の頭を両の掌で潰しながら持ち上げていく。


「バァアアアィィアァアッ!!」


 一塊となった騎士をその膨張した脚で蹴り回すサハト。鈍く低い、肉が潰れていく音が強烈な蹴りに合わせて巻き起こっていく。二十程の兵が、ただ一人の死人に蹂躙されていくのだ。


「ブ……ッぐ!!」

「ぶぼぉっ!!」

「ぅぅぐっっあ!!?」


 サハトに蹴られた兵が口から臓物を噴き出して横たわる。腕や脚を折られた騎士が叫びを上げる、背骨をへし折られた者が、あらぬ方向に上半身を捻らせる。

 だがサハトもまた不自然に左腕をだらりと下げていた。騎士達による斬撃で筋繊維が断裂して動かせなくなっていたのだ。


「お前達もういい! 退がるんだ!」


 ベックスがそう言い放った時には、もうそこに無事立っている者は居なくなっていた。


「……化け物が」


 サハトは足からも噴出するように血を流している。それは騎士達の鋼の甲冑に構わずに、一心不乱に蹴りを繰りだし続けた事による負傷であったが――


「がァアッ!」


 そんな事、異にも介さないサハトはそのままベックスに向かっていく。

 フロンスは子首を傾げてベックスを眺めた。


「さっきから化け物化け物と……。先程までの同士を敬う気持ちは何処にいったのですか?」

「黙れ! 畜生が一端に主張をするなぁ! 最早こんな化物は我が同士ではない!」


 ベックスの背後から放たれてきた、教徒と騎士による光弾と水のつぶてを、フロンスは防御魔法で弾き落としていく。


「なんだ……優しい人かと思えば、そちらが本性でしたか。ならばこちらから御覧に入れましょうか。真実の――――」

「退いて下さいベックス様ぁあ!」


 兵達が叫ぶと同時に。サハトが驚異的な踏み込みで床を粉砕していた。そしてそのまま風の様に走り寄って拳を振り上げる。ベックスの真正面で振りかぶって。


「ゴギィイォオオオッ!」


 兵をほふり散らし、目前に脅威が佇んだその瞬間、その刹那的な思考にて――ベックスはスローモーションに映し出される景色の中に、勝機を見出だしていた。


「……天啓!!」


 絶体絶命のその瞬間、天から啓示を受けたかの様なタイミングで、ベックスは兵達を甲冑の上から蹴り続けたサハトの右足が、不自然な挙動をしているのに気が付いた。


 ――崇高たる我が同志達よ……これはお前達の作った勝利の灯火! 命をかけて残した正義のほむら! 消させはしない! 我が命ここで尽き果てようと、お前達の残したこの希望だけは!! 


「ぉぉおおおおっっ!!」


 サハトが機敏なフットワークで攻撃を避けられない事を察したベックスは、水流の剣をただ真っ直ぐに刺突していった。


「ギィィッッあ゛――?!」


 サハトの突き出した拳が、真正面から湧き上がった水流の刃に貫かれ――


「くらえ、我等が騎士道の団結の力――『泉水せんすい』!!」


 拳を貫いた水流の剣はそのまま、袈裟けさ斬りの要領で肩から斜めに胴を斬り払っていった。


「ゴアァ!! ギ……ぎぃ…………あ…………」


 拳の届くほんの手前でサハトの胴は両断され、右の拳も二つに裂かれる。

 騎士が勝鬨かちどきを上げる。


「…………ふっ」


 彼等の声援を胸に、ベックスはその手応えに目をギらつかせた。

 そして勝利の雄叫びを上げんと顔を上げた時――


「見たかぁ!!! これが我――――ぇっ」




 ――ベックスの目と鼻の先に、砕けた顎で大口を開ける、血の涙を流す化け物の顔面があった。




 サハトは拳を貫かれ、胴を切り離されても、残された上半身のみでベックスの頭を掴んだ。その二つに裂かれた右の掌のままで、上体だけとなった憐れな姿で……


「ベックス……様……?」

「……あ?」


 兵達と同じようにベックスも言葉を失った。

 そして静かにフロンスは言い放った。絶頂の悦びを迎えた様な、屈託の無いその爛漫らんまんな笑顔で。


|、人間に……」


 サハトの下半身がズルリと落ちて臓物を撒き散らす。しかし切り離された上半身は依然とベックスに絡み付きながら――大口を開けてその顔面にかぶり付く。


「ごご……っあ……!? ……ぉ…………ぁ!」


 ベックスの悲鳴は、顔面に噛み付かれ、肉を食らわれながらこもっていく。ただくぐもった叫喚が、大広間にネタネタと響く――


「ベックスさ……ま?」


 衝撃の光景に誰もが言葉を失って動けなくなった。

 やがてサハトが、頭蓋を掴んでベキベキと砕く痛烈な音が響く。脳漿のうしょうが飛び散り、高貴なる騎士隊長が体をびくんと跳ねさせている。

 ようやくと我に返り始めた幾人かの騎士が、力無く剣を落としていった。


 ただ一人。

 その様を見ていたフロンスは、静まり返った大広間で、涙を流す程に腹を抱えた。


「くッハハ! ハハーーッハハハハハハハハ!!」


 肉の喰われる咀嚼そしゃく音と、人体の破壊される鈍い音、そしてフロンスの声だけがそこに反響した。

 残された者はただ血の気を失して、その惨たらしい物音を聞いている事しか出来なくなっていた。

 サハトはやがてベックスの顔面を半分喰い尽くすと、そのまま力尽きて共に地に倒れた。自らの臓物と血液と、敵の脳漿にまみれて。


 そして最後にサハトは、潰れた声帯で声を上げる。


「ギョアアガアアアァァアアガガ!!」

「アーーーッハハハ!! クフゥハハハハ!!!」


 サハトとフロンスの声が混じりあい、おぞましい叫声となって、残る者に戦慄を残した。



 しばらくの沈黙の後、兵と教徒は落とした武器を手に取ってカタカタと体を震わせた。

 恐怖の言葉を発する者は居なかった。誰かがそれを発すれば、たちまちに集団にそれが巻き起こることを皆が直感していたからだ。


「ぅぅうあああああああッ!!!」


 ――震えた体で。すくんだ目付きで。皆がただ無茶苦茶に剣を振り上げてフロンスに向けて走り出した。

 最早正気の兵はここに一人も居ない。湧き上がる恐怖を自然と振り払うかの如く、皆がただ反射的にそうしたのだ。


「残念です。そちらの反応でしたか」


 絶望に巻かれた騎士が散り散りになって逃げ出すのを期待したフロンスが落胆する。彼の魔力は先程の『狂魂』の影響で残り少ないのだ。


「ベックス様の無念をおお!!」

「隊長の残した騎士道をぉお!」

「我々がぁあ!」


 騎士の胸に去来するのは、隊長の雄々しき最後の姿。それが兵達を奮い上がらせる最後の糸である。


「死人を使う力はまだ少し残っていますよ」


「――――ひ!!」


 フロンスの展開した紫色の魔方陣の中から、ただ一人の男が立ち上がり、向かい来る兵の前に立った。それは『狂魂』による特別な死人でもなく、光弾の一発で灰となる脆弱ぜいじゃくな存在であったが――


「ベ……ックス……さま?」


 顔面を喰い破られたその死人が一人立ち上がっただけで、五十程の兵は戦意を失い、ただ蹂躪じゅうりんされる形になった。

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