第28話 水の刃
「……っ……とりあえず一段落か?」
螺旋階段を駆け上がった所で、鴉紋は膝を着いて息を荒げた。何十人葬ったのだろう? いつしか教徒達からの増援も無くなっている。
「鴉紋さん傷が!」
「慌てるなフロンス。深い傷は無い」
鴉紋は至るところに光弾を喰らって全身から出血していた。驚いて走り寄ったフロンスが治癒魔法を施そうとするが、彼はそれを遮る。
「まだ憲兵隊も居るんだ。動作に支障がある時以外治療しなくていい。魔力は温存しておいてくれ」
「……しかし!」
「でも鴉紋……血が出てるよ」
「大丈夫だセイル……それに、敵も悠長には待ってくれそうにない」
螺旋階段の終わりから正面に続くのは、天使の彫刻の施された鉄製の大扉であった。鴉紋は険しい目付きでそちらを窺う様にしている。
「この先の部屋から甲冑の擦れる音がする。数十……いや、数百の」
「な……それは第12憲兵隊では? 鴉紋さん、やはり治療を……」
「いや、もう向こうの方から走り出したみたいだ、ダメージを負った俺達を狩りに!」
このまま敵が上から攻撃してくる螺旋階段で迎え撃つのは困難と判断した鴉紋は、機先を制し、こちらから扉を殴って吹き飛ばしていた。
バラバラと砕け散る鉄片が騎士に突き刺さり、出鼻をくじかれた第12隊は思わず足を止めている。そして大広間に侵入して来る鴉紋達をただ呆然と眺めた。
そこは彫刻の施された金色の柱が立ち並ぶ真っ白い大広間であった。壁や高い天井にまで天使の絵画が施されたその一段と豪奢な部屋に、甲冑を纏った100の兵と、数十の教徒達の青いローブが立ち尽くしているのが鴉紋の目に飛び込んで来る。
鴉紋の後にセイルとフロンス、そして生き残った十数名の甲冑の死人と、二十名程の教徒の亡骸が各々よろめき、呻き声をあげながら侵入して来た。
それを見た第12隊隊長のベックス・ラヴィーは、甲冑を震わせながら、絶句した表情を剥き出しにする。
「教徒達を殺したのか……全て。……神の使徒に仕えし神聖なる聖職者を……」
ベックスに引き続き、傀儡となった同志の哀れなる姿を見た騎士や教徒達も戦慄していく。
「心は
ベックスが毅然とした態度で問い掛ける。そこには明らかに非難の意が宿っている事が見てとれる。ベックスの問いに、周囲の騎士達も視線を険しくしながら、鴉紋の返答に聞き耳を立てる。
注視を浴びた鴉紋は平然としながらに、彼等の神経を逆撫でする様に、ふてぶてしい態度で答えていった。
「
「……そうか。よく……よく! わかったッ!!」
激昂して
「第12国家憲兵隊隊長ベックス・ラヴィー。先ずはその無惨な姿の同志を浄化しよう!」
先程不可解と称したベックスの剣は、
「水の剣!?」
セイルが飛び上がって驚くと、次にフロンスが眉間にシワを寄せる。
「……おそらくあの水の刃は長さや太さも自在な筈」
かつての同志を思い、目尻から涙を流し始めたベックスが、その水流の切っ先を鴉紋に向けていく。
「水剣『
ベックスが向けた切っ先は、フロンスの言った通り自在に流動し、何メートルもの長さに変わって鴉紋の顔面に向かう刺突となった。
「おわっ!!」
咄嗟に伏せた鴉紋だったが、振り返るとその水流の切っ先が背後の壁にまで至っている。まさにその斬撃の範疇は、無限であるかの様だ。
「遠距離も出来る剣なんて聞いたことねぇぞ!」
「……せめて安らかに逝け。同士達よ」
ベックスは壁に突き刺さった剣をそのまま横薙ぎに繰り出す。水流の剣はそのまま壁を一直線に破壊しながら、数十の死人の胴体を真っ二つに両断していった。
瓦礫が飛び散り、死骸が割れて臓物を撒き散らす。一瞬で景色を変えてしまったベックスの一閃に、鴉紋は伏せながら目を見張っていた。
「おまけになんて切れ味してやがるッ! 片腕で両断か!」
「同士達よ……まだ動くのか。なんとまがまがしい能力だ、死人使いよ」
胴体を切断されても、死人は
「私はお前を絶対に赦さんぞ、ロチアートの死人使いよ! 貴様は我が同志を……人間の尊き生をなんだと思っている!」
ベックスはフロンスに向けて過激な非難を始めた。それを聞いた兵も、湧き上がる様な声で同調し、果敢に走り出して来た。
「人間をなんだと思っているロチアートが! 生を
「
兵達の怒りの声を聞いて何か思ったのか、フロンスはゆったりと体を起こして立ち上がっていった。
「何してるフロンス! 奴の水流が!」
「刺突にさえ気を付けていれば大丈夫です。先程の様な攻撃を繰り出せば兵を巻き込みます。彼のような
落ち着き払ったフロンスは、目前から迫る怒り心頭の騎士達を眺めて、一度鼻を鳴らした。
「行ってください鴉紋さん。ベックスの背後、教徒達の集う先に奥へと続く扉が見えました。おそらくその先に天使の子は居ます」
フロンスの言葉に耳を疑う鴉紋。目前には百数十名の敵。それに対するは精々二十名程の死人。それも教徒の光弾や、ベックスの水流の剣によって瞬く間に葬られるであろう事は目に見えている。
「貴方がここで深手を負えば天使の子を倒せなくなるのです! さぁ早く、私は大丈夫ですから」
引き留めようとする鴉紋であったが、一足早く何かに気が付いたセイルがそれを止めていた。
「鴉紋行こう!」
セイルに手を引かれる鴉紋。神妙な剣幕でフロンスは頷いてみせた。
「道中敵の数を減らしてくれると助かります」
「……わかった」
鴉紋はセイルを背に抱え、フロンスを置いて走り出す。
「行かせるな! 我等が使徒様の御前に不届き者を立たせてはならん!」
ベックスが騎士に告げ、その水流の剣を鴉紋に向けて凪ぎ払う。しかし鴉紋は地に手を着いて宙に飛び上がると、セイルを抱いたまま兵の中に潜り込んでいった。
「うわあぁあ!」
片腕で兵を殴り、引き裂きながら前進する鴉紋。奥へと続く扉に向かって一直線に駆けながら、剣を振り上げる騎士を
「行かせるものか!」
むざむざと減らされていく騎士達に、ベックス自らが鴉紋に向かって走り出そうとしたその刹那――
フロンスの体から紫色の煙が起こって、異様な雰囲気が辺りを満たし始めた事に気が付く。
「あなたは私に
「何をするつもりだロチアート!」
フロンスは拳を眼前に突き出すと、親指を天に、小指を地に向ける。そうしてそれを反転させながら、禍々しい妖気を孕んでこう言い放った。
「――
怪し気な囁きと同時に、死人は甲冑を鳴らして地に伏せる。
フロンスの妙な行動に眉根を寄せていく騎士達。だが確かに危険な雰囲気が
「自らの戦力を……減らした?」
そう漏らしたベックスは、次の瞬間に目を見張っていた。
フロンスが支配権を放棄した死人達から紫色の煙が立ち上り、ただ一人残った甲冑の死人へと集まっていく。
「何をする気だ」
冷や汗を垂らすベックス。
そして、ただ一人残った
「ォォオオオアアアアガァァア!!」
それまでとは明らかに違う、異様な空気を纏った一人の死人に向かって、教徒達は示し会わせる事もなく光弾を放ち始めた。彼等もまた、その存在の脅威にいち早く気が付いたのだ。
その無数の光弾の見事に全てが、死人に炸裂していった。
「いきましょう
ありったけの光弾を受けた体内から光を明滅させながら、その死人は消滅する事もなく、白煙をあげて佇んでいた。
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