第五章 混血のならず者

第21話 現実の夢

   第五章 混血のならず者


 第四の都ケセドの貧民街。

 鴉紋がセイルのテレポートでネツァクを離れてから、二年の月日が経過していた。


   ――――――――――――――――――


「今日はどいつにすっか~?」


 腰にダガーを携えて右目に眼帯をした男は、深くフードを被って獲物を捜していた。

 男はこの貧民街で幼い頃から暴力や略奪を繰り返して来た。そうしなければ今日まで生きて来られなかった理由が彼にはあったのだ。

 彼はいつも一人だった。仲間なんて生まれてから一度だって出来た事が無い。

 こんな貧民街であろうと、この太平の世で犯罪に手を染める者など自分の他には居なかった。

 ここは憲兵隊の一人だって居ない無法地帯なのに、貧困にあえぎながらも、ニコニコと他人を思いやり、心より天使の子に祈る貧民街の連中が、彼には理解出来ない。

 つまり彼は一匹狼のならず者だったのだ。


「お……おぉ~~?」


 露店で野菜や穀物を購入する赤い髪の女が、彼の目に止まった。

 女はローブを纏ってフードを被っていたが、何やら独特の気配があった。貧民街に暮らす痩せこけた連中とは違う何かが。

 過酷な環境で生を全うしてきた彼の五感は鋭く、彼自身もまた自分の感覚を信頼していた。


「あの姉ちゃん……」


 彼はニタニタと微笑みながら、大きな傷痕の付いた右手で腰のダガーのハンドルを撫でる。

 男の四肢と首とオレンジ色の頭髪の下の額には、大きな傷痕が計六つある。彼は『ガッシュ』という異名で民から恐れられていた。故にフードを深く被って顔を隠しているのだ。

 暴力や略奪、時には殺しという大罪を犯しておきながら、未だガッシュの討伐が決行されない事には二つの理由がある。

 一つは貧民街というカースト最底辺の下々しもじもの街の事を、都の民も憲兵達も重要に考えておらず、見てみぬフリをする風潮が根強い事。


 二つ目はガッシュに近付くと甚大な被害がある事。


 つまり都の民からも煙たがられる貧民街で極限的に犯罪を犯している限り、憲兵も被害を出してまでは彼の討伐に乗り出して来ない、という単純な理由であった。

 ガッシュもその辺りは重々承知していて、貧民街の外に出る事や憲兵に楯突く行為、憲兵達が動かざるを得ない様な過度の虐殺などは自重していた。

 セフトに抗ってはさしものガッシュも命が無いことを理解している。例え都の民を全て殺してやりたいと心の底から願っていても、その一線だけは彼も越える気がなかった。

 それがガッシュの中にある唯一の法律である。

 とりあえずこの貧民街で数ヵ月に一度人を殺せれば、彼の中の衝動は抑えられたのでそれで良かった。


 つまり貧民街の民にとって、ガッシュはただの災害であった。


  *


 ガッシュは目星をつけたローブ姿の女を尾行している。俊敏で目鼻の効く彼にとって、尾行は得意分野である。

 しばらくすると人気の少ない裏通りに獲物が入っていった。


「そろそろ、かーなっと」


 まだ時刻は昼時で日差しが照っていたが、日陰の続く裏通りと、人気の少なさに乗じて、ガッシュはダガーのハンドルに手をかける。


 物陰から物陰へ機敏に移動して女に近付くと、いやに嗅ぎ覚えのある匂いに気付く。おそらく彼にしか判別出来ないであろうその微妙な香りに、ガッシュは目を輝かせた。


「おいおい、マジかよ……っひょー、俺ってツイてんのなー」


 未だガッシュに気付く事の無いローブの女。彼は湧き上がる好奇心に抗えず、その背後にまで迫ってニヤニヤとしながら息を殺していた。


「お前。ロチアートだろう」

「……っ!?」


 背後から女のすぐ耳元で囁いたガッシュ。相手の反応を楽しむかのように、直ぐにはその手元のダガーを突き立てる事はしなかった。


「ははっそれも上物! 最っ上級の! なんでお前みたいのがこんな汚い街をうろついてやがる!」

「何……あなた」


 手元の紙袋を落としたフードの下から、赤い眼光がガッシュを認める。


「名前なんざどうでもいい……サッ!」


 極端に低い姿勢でもって女に走り寄ったガッシュは、ダガーを女の首元目掛けて突き立て様とした――


「私に関わらないで。眼帯の人」

「な……お前ロチアートの癖に魔法を使いやがるのかぁ?」


 女の眼前に白い魔方陣が浮かんでダガーを止めている。


「益々興味が湧いちまったぜっ!!」


 ガッシュはそのまま地に手を着いて、廻し蹴りを女の足元に繰り出す。足を掬われた女は仰向けに倒れ込んで、そのフードの中身を露にした。ガッシュの茶色の虹彩がその女を見下ろして、歓喜に震え始める。


「若く健康そうで美しい……お前Aランクじゃねぇのかっ!? ハッハハァマジか! こんな事があんのかよ!」


 咄嗟に身を起こした赤いセミロングの女――成長したセイルがしかめた顔をガッシュに向ける。


「私をランクで呼ばないでっ!」


 セイルの手元から火球が放たれたが、ガッシュは身軽にそれをかわす。


「いや~俺もAランクなんて喰った事がないぜぇ」


 ガッシュは連続して放たれるセイルの火球を、サーカス団の様に跳ねたり逆立ちしたりして避けている。


「うーん、焼くか? いやぁ最初は生だ。しかも塩で素材の味を楽しみながら喰う! 頭は取っておいて酢漬けにして…………うーん、ワクワクが止まらねぇよぉっ!!」


 調子に乗って、最高の晩餐ばんさんの思いにふけるガッシュの隣に、桃色の魔方陣が縦になって現れた。


「ん?」

「調子に乗らないで……私だって強くなったんだから」


 セイルは自らの足元にも起きていた桃色の魔方陣に向かって、特大の火球を放った。それは即座に吸い込まれていき、転移先であるガッシュの傍らに現れた魔方陣から出現する。


「ぉおおわぁあっ!!」


 またもやアクロバットに跳んだガッシュだったが、その特大の火球が体を掠めていって衣服を焼いた。火球はそのままレンガ造りの建物の一角に突っ込んでいって、大きな音と共に壁を打ち壊した。


「あっちちち! 何しやがる! 何なんだよ今のは……ていうかお前ロチアートじゃねぇのかよ、なんで魔法を使える上にそんなに戦闘に秀でていやがるっ!」


 衣服の炎をはたいて消したガッシュが、セイルを睨み付ける。だがセイルは口を尖らせてそっぽを向くだけだ。


「ふん……!」

「ちっ……あーもういいや。こちとらコソコソやってんのにでっけぇ音出しやがって……人が集まってくる前に終わらせんぞ」


 言うとガッシュの目付きが鋭いものに変わって、黒い刀身のダガーを背に隠して目を瞑った。


「『げん』」


 背を丸めたガッシュがそう言い放つと、途端に快晴だった空が曇りだして、紫色の怪しげな空へと変貌する。


「なんなの?」

だよ」


 低く立ち込めた濃い雲の中から、白い目をした巨大な紫の顔が現れた。


「きゃあっ!」


 それは顔面だけでセイルの身長をも越える異形の怪物であり、雲の至るところから茫然と見下ろし、よだれを垂らし始める。


「ぉぉぉぉ……ぉお……」


 低く呻いたそれらは混じりあって一つの顔になった。無数の瞳が一つに纏まった巨体が、地に降り立って来る。


「「「キョアアアっ!!」」」


 重複する奇怪な叫びを上げた怪物が、腐乱した腕をセイルに伸ばし始める。


「いやぁあ!」


 桃色の魔法陣を起こし、テレポートでその場を離れたセイル。いつの間にやら辺りの地形はすっかり変わって、荒野の様な荒れた大地が広がっていた。

 巨大な異形が、無数の瞳で見つめながら走り寄って来る。更に周囲の地表を割って、顔の潰れた腕を四本携える怪異が無数に現れて、醜い声を上げる。


「なに……何なのこれっ!?」


 四本腕の化け物がセイルに拳を突き放った。それを咄嗟とっさに避けたが、頬には一筋の切り傷が出来上がった。


「痛い……! 夢じゃ……ない……!」


 やがて後方から巨大な紫の怪物が、四本腕を蹴り散らしながら猛烈にセイルに迫って来る。


「「「ぉぉおおっっィォオオオオ!」」」


 またもやテレポートで距離をとったセイル。すると周囲の地表は赤く染まり、そこに無数の口が現れて話し始めた。


「夢だよ。ただし現実に痛みのある夢だ。アッハハハハハ……」


 見渡す限りの地面に現れた口が笑った。紫色の空にもそれは現れて、何百何千と重なった笑い声のおぞましさに、セイルは耳を塞いでうずくまる。


「お前の視覚も聴覚も知覚も、全て俺の手中にある。さぁ死んでくれよ」


 足を止めたセイルの頭上から、腐乱した巨大な腕が降り落ちて来た。


「あ……ああっ」

「さよなら、Aランクの可愛こちゃんっ」


 遠くに座ったガッシュが、その様を愉しそうに眺めながら、手元のダガーをくるりと回して舌を出した。


「…………っ鴉紋!!!」


 セイルの助けを求める悲鳴に合わせたかの様に、突如として地より舞い上がった存在が、頭上に落ちて来ようとしている巨大な腕を空中で殴り飛ばして軌道を変えた。セイルの直ぐ背後に、巨大な拳が落ちて土を巻き上げる。


「んぁっ!?」


 胡座をかいていたガッシュは驚いて、足を組んだまま仰向けに倒れ込む。


「なっなんだぁ!?」


「この世界にはこんな化け物もいんのか」


 空中で彼の両の黒い腕を取り囲む白い魔方陣が発光していく。


「『黒雷こくらいッ!!』」


 紫の立ち込める空を割って、強烈な稲光が閃光となって巨大な化け物を脳天から撃ち抜いた。空から鳴った轟音にあわせて、異形は膝を付いて消失していく。


「「「ぉぉ……ぉおお……ぉぉ…………」」」

「んなぁあああっ!? なっ、何なんだよアイツはっ!」


 セイルの側に降り立った鴉紋。その姿は二年前よりも髪が伸び、少し身長も高くなっている。


「怖かったよ鴉紋っ」

「近くでデカイ音がしたんでな、それよりアイツは?」


 鴉紋が遠くでのたうち回るガッシュを、獣の様に睨み付けた。


「わからない。ロチアートだってバレて、それで突然襲われて」

「フードを被れセイル……いや、もう遅いか」


 騒ぎを聞き付けてやってきた貧民街の民が、遠巻きに鴉紋の黒い腕を見て騒ぎ始めた。


「黒い腕! まさかあいつら!」

「黒い腕って言ったらネツァクでマニエル様に歯向かったっていう反逆者の」


 鴉紋は嘆息しながらガッシュに歩み寄っていった。狼狽ろうばいした様子の眼帯男は、小鼻にシワを刻み込みながら問い掛けた。


「お前まさか……噂の反逆者かぁ? ロチアートを守ってるっつう酔狂な」

「だったらなんだ?」

「反逆者だかなんだか知らねぇが、この俺様の異能力には勝てねぇよぉ兄ちゃんっ! ついでにそのAランクも置いてけよな!」


 ガッシュは再びに異形の怪物を呼び出した。黒い息を吐く肉塊の様な女と、巨大な怪鳥の様な魔物、顔のつぶれた四本腕の化け物が鴉紋に襲い掛かる。


「都の憲兵に連絡しろ!」

「逃げろ巻き込まれるぞ」


 慌てて逃げる民を横目にしながら、鴉紋は吐き捨てる。


「気持ち悪ぃ能力だ」

「鴉紋気を付けて! これは実体のある幻なのっ!」


 空が笑い出し、地から無数の腕が沸き出でて鴉紋を捕らえる。


「なっ」

「驚いたかぁ? 触られてるんだよお前はッハハァ! 夢の住人達になぁ」

「鬱陶しいっ!」


 鴉紋は足元の腕を凪ぎ払った。しかし切り離されたその腕は宙を飛び、鴉紋の体にまとわりついてしつこく締め上げて来る。


「ぐ……」

「どうすんだぁー! 俺様の世界でお前に何が出来るか、見せてみやがれぇ!」


 目前から数多の怪物が迫って来ている。セイルはそれらに向かって火球を放つが、数体の足止めにしかなからなかった。

 黒い息を吐く肉塊が、鴉紋に腕を広げて絡みつこうとした。


「かァっ!」


 鴉紋は左腕でその肉塊の腹に大穴を空けた。しかしその肉塊は鴉紋の眼前で黒い息を吐きつける。

 毒息を嗅いだ鴉紋はよろめく。視界が揺れて酩酊めいていした様な感覚に襲われているのだ。


「離れろぉ!」


 貫いた左腕を振り払うと、肉塊は消失していった。そして体にまとわりついた腕を払い落としていく。

 セイルは心配しながら鴉紋の横で肩を並べた。

 

「鴉紋大丈夫っ!?」

「あぁ、あんな攻撃もあるとは予想外だった」

「私のテレポートで距離をとる?」

「……いや、大丈夫だ」

「え?」

「皆殺しにする、この空や地に浮かぶ腕や口の一つも残さずに」

「……っうん!」

 

 薄く微笑んだ鴉紋を見て、ガッシュは始めての反応に困惑していた。

 ガッシュが『幻』を使うと、その地獄の様な光景によって全ての人間は発狂するか、錯乱し、仲間も何も関係無く暴れるか、命を諦めてその場にうずくまるか、自ら命を断つかのどれかだった。皆すべからく戦意を喪失するのである。


 地を殴って高速で飛来した鴉紋が雄叫びを上げながら化け物達を殴り、潰し、抉っていく。しかし瞬く間に消失していく異形達は、また直ぐに立ち込める雲から姿を現して鴉紋の前に立ちはだかる。


「…………」


 セイルは先程戦意を喪失しかけていた。それが当然の反応であり理解が出来た。しかしなんだ。今目の前で自分の作り出した異形達を、正面切ってぶん殴っていく反逆者のその姿は。その瞳は。


「おめぇ本当に勝つ気なのかよ、無限に沸きだし続けるその怪物達によぉ」


 とんだ大馬鹿? それとも自暴自棄になって遮二無二暴れている?


 ――――違う。


 その男は確かな殺意を持って怪物達を殴り続けていた。ガッシュの思いのままとなる世界で、その男は僅かにも自分に勝ち目がないなどという事を考えていないらしい。


「俺の押し付けた幻想が、強烈な思いに塗り替えられちまう」


 ガッシュの幻想の設定では倒れる筈の無かった不滅の骸が、音を立てて地に横たわった。

 おそらくあの男の中にあるのは、次の化け物をどう殺し、そしてどう歩んでガッシュの元にまで来て、彼を殺すか……ただそれだけ。自分が負ける事なんて毛程も考えていない圧倒的自我。

 ガッシュの幻想がほころびを見せ始めていた。そんな事は彼にとっても始めての経験である。

 ――ガッシュは思わず彼は恍惚とした息を吐いていた。


「……こんな男がいるのか」

「があァアアアッ!!」

「しかしそいつらを相手どっていてもジリ貧だぁ、どうすんだ」


 瞳を剥いて獣の様に走り、殺戮を続ける鴉紋。虐殺の最中、僅かな一瞬にて、鴉紋の瞳がグリンと回ってガッシュを捉えた。


「ひ……」


 悪鬼の様な戦いぶりに圧倒されていたガッシュは、突如として自分に向けられた恐ろしい眼光に思わず怖じ気付いた。


「『黒雷』ッ!!」


 鴉紋の上腕の魔方陣が煌めいて、紫色の雲で立ち込めた天を割り、黒い落雷がガッシュに向かって落ちた。


「ぬぅわわわッ!!」


 深く地を抉った落雷。飛び退いたガッシュは直撃を免れたが、その衝撃に吹き飛ばされる。


「く……無茶苦茶やりやがってあの男……」


 焦げた衣服を払いながらガッシュは立ち上がる。その途端、眼帯が千切れて隠された瞳が露になった。

 鴉紋はそれを確かに見ながら、思わず呟いていた。


「…………ロチアート」

「く……っ」


 鴉紋に言われて露になった右目を掌で隠したガッシュ。そこにあったのはロチアートと同じ赤い瞳であった。


「俺はロチアートでもなく、人間でもない」


 ガッシュは左の茶色い瞳でもって鴉紋に対峙する。


「どちらにもなれない。どちらとも違う。どちらからも目を背けられる」

「……混血か」

「ムカつくんだよおめぇ。何で人間様がロチアートの味方なんてしてんだ」

「……」

「ちっ……時間切れか」


 都の方から、騒がしい物音と無数の甲冑の音が近付いて来ている事にガッシュは気付く。


「直に憲兵が来るぜ、俺はズラからせてもらう」

「逃げるのか」

「あぁっ!? 当たり前だろうが、憲兵に楯突くって事は天使の子に、もっと言えばセフトに敵対するって事だぞ? それがどういう事だか……」

「随分窮屈きゅうくつそうに生きているんだな」

「……言ってろ。あばよ」


 『幻』を解いたガッシュ。禍々しい世界が終わり、色を取り戻していく。ガッシュは崩れた壁を上って瞬く間に屋根へと移っていった。


「何だよあの男は。憲兵にも物怖じしねぇで……ただの死に急ぎじゃねぇか」


 ガッシュは鴉紋達の前から姿を消した。

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