第20話 傲慢


「――きゃっ!」


 セイルの顔前まで迫った鋭利な木偶の左腕は、すんでのところで弾けて地面に落ちていった。

 訳もわからずセイルが目を凝らしていくと、鴉紋の右手が梨理の左肩を掴んで砕いている事に気付く。

 その光景に憤激し、眉間にシワを寄せ始めたマニエル。


「貴様。愛した女に攻撃するのか」


 すると鴉紋は木偶に吊り上げられたまま、掠れた声を上げ始めた。


「……ぐだぐだ……ぐだぐだ」


 鴉紋は自分の首を掴んだ木偶の胴体を殴って後退させた。

 その隙にセイルを抱き止めて背後に隠す。しかし至る箇所から出血し、息も粗く、俯いて垂れた前髪の隙間から前を窺う様にする姿はボロ雑巾の様であった。


「痛い……痛いよぉ鴉紋。やめてよ」


 梨理の木偶が立ち上がりながら涙を流し始めた。だが鴉紋は動ずる事もなく、マニエルを見上げていく。


「ぐだぐだぐだぐだと……っ!」


 その額の下には未だ、燃え盛る様な紅蓮の闘志を宿した眼力が落ちていた。


「うるッせぇんだよ戦う理由だの何だのッッ!」

「……なに?」

「てめぇらの世界に俺を当てはめてんじゃねぇ。俺はの為に戦っている」

「お前の……世界?」


 マニエルは上空からぽっかりと口を開けて放心してから、怪訝な表情で鴉紋を見下ろす様にしていた。

 そこにある感情は侮蔑。そして奇妙なる違和感。

 鴉紋はゆっくりと雄弁に口を開く。


「俺が見て、感じているモノが俺の世界だ。俺が貴様らを悪だと言ったなら、それが全てだ。それ以外はどうだっていい」

「な……」


 激情の眼で見上げるは怒り。ただ純粋で果てのない憤怒。いつまでも燃え盛る灼熱のマグマ。

 言葉を失いかけるマニエル。

 一介の人間がうそぶくにしては余りにも過ぎる傲慢ごうまんに、どういう訳だか得体の知れぬ、果て度もない狂気が満ちている事に気付き始める。

 身を凍らせながら、マニエルは激しく叱咤しったを始めていた。動揺した額に冷たい汗を一筋垂らして。


「き、貴様はなんだ? ……悪め、悪魔め!」


 自らの気に入らぬこの世界の全てを、己一人の為にぶち壊すと宣言する極限のエゴイストは、最早マニエルの理解の範疇はんちゅうを超越していた。一見愚かしく、無謀とも思えるその信念を支えるは、底の無い怒りという原動力。

 そして悪魔は吠える。地の底から這い出して来るような怒声と共に……


「黙れ……貴様らが……貴様ら世界全員が俺に合わせろッッ!!」


 その瞬間、マニエルに向けて頭上に掲げた鴉紋の掌に異変が起こる。そして鴉紋は、何やらわからぬその力に、ある確信すらも持って、その開いた掌を握り締めながら、力強く腰まで引いた。


 ――一瞬、辺りを強烈な白い閃光が包むと、次に神の怒りの様な爆音が起こった。


「――ッッがぁあハっ!!!」


 とてつもない轟音と、稲光と共に、天より黒い雷がマニエルの背に落ちていた。


 黒い煙を上げながら、翼を焼け焦がして天使が地に落ちる。

 鴉紋は自分の両の上腕を囲む様に発生した白い光の魔方陣を携えながら、まるで知っていたとでもいうかの様に、すんなりとその技の名を口にした。


「『黒雷こくらい』ッッ!!」


 技を放った後、フラフラとよろめいた鴉紋。半死半生の最中さなかに、更にとてつもない魔力を消費して、最早立っている事が奇跡の様な状態である。


「あ……鴉紋? 今のって魔法……?」


 鴉紋を背後から、毛髪を静電気で逆立てたセイルが見上げる。


「あぁ、俺がやったらしい。どうやったのか今でもわからねぇけど」


 鴉紋はセイルを見下ろして優しく微笑む。

 梨理の木偶が、主からの魔力供給が尽きてバラバラの木片に戻っていく。

 ――しかし


「あぁもぉんッ!!!」

「鴉紋! ま、マニエルがまた起きて……!」


 片翼を焼け焦げさせ、身体中にすすと泥を着けたマニエルがよれよれと体を起こして、鬱血した瞳で鴉紋を睨み付けた。長かった金色の頭髪もぐちゃぐちゃに焼け焦げている。先程までの優雅な出で立ちは無くなって、天使の子などという呼び名が滑稽に思える程だった。


「ちょうじにぃ! 調子に乗るなよ! 貴様のその途方もない傲慢が……そんな傲慢が赦されるとおもっでいるのが!?」

「……」


 マニエルは遂に立ち上がって、最早指の一本も動かせぬ鴉紋に歩み寄って来た。まだ余力を残しているのか、手元の壊れかけたハープを鳴らす。すると周囲の木々が再び人の形状を取っていく。


「ぞんなわがままが赦ざれるのはぁあっ!! ぁぁあ神だけだぁぁあっっ!!!!」


 遂に木偶となった木々は、再びドルトとメルトの顔となり武器を持った。額に青筋を立てて激昂するマニエルが顔の至る箇所にシワを刻んで、木偶と一緒に近付いて来る。


「鴉紋! 逃げよう、鴉紋っ!」


 慌てふためきながら鴉紋を引っ張っていこうとするセイルだったが、彼はその場を動こうとしなかった。

 その絶望的状況でもまだ、鴉紋の瞳には動揺や恐怖などは微塵も無く。あるのはやはり逆巻く炎の渦である。


「黙れ、なら神も殺してやるよ」

「……ぬぅぅッ!! 何処までも不徳な奴めがっ! 最早貴様に勝ちの目は無いであろうがっさえずるなッ!」


 マニエルが地に張った大木の根を沸き出でさせて、鴉紋の全身を何重にも縛り上げる。その強度は先程の非では無く、そのまま絞め殺すことも可能な程であった。

 激憤したマニエルに懇願するセイル。


「鴉紋! やだ! 鴉紋を殺さないで!」


 マニエルは少女の戯言ざれごとなど耳に入っていない様子で、根に巻き付かれていく鴉紋をめつける。


「貴様さえ……貴様さえ来なければこの世界は平和だったのだ。……この世界に悪は必要無い。貴様を必要としている者もまた、いない」

「やめてよやめてッ! いやぁああ!」


 ドルトとメルトがマニエルの合図にて構えを取った。そして根で巻き上げられて身動きのとれぬ鴉紋に向かって、その刃を振り上げる――――


「な! ……ぬぅう邪魔をするか教育係めがッ!」


 僅かに意識を戻しかけていたフロンスが、鴉紋の前に防御の魔方陣を展開させて、その斬撃を防いでいた。


「鴉紋……さん……」

「鬱陶しいわっっ!!」


 マニエルの突風によってフロンスの防御魔法は即座にかき消される。


「小賢しいぞ家畜どもっ!! 今更何を抗う! 我々の為に生かされてきた貴様ら家畜風情が! 人間に楯突くなぁっ!!」

「我々は……」


 次にフロンスがつむいだ息も絶え絶えな一言に、マニエルは激情しながらも絶句する事になった。


「我々は人間だ」


 家畜に自我が芽生えた。


「――――っは……?」


 その罪深くおぞましき事態にマニエルは息を飲んだのだ。それ程までにロチアートという種族はさも当然のように、何百年も、何千年も、はたまたこの世界の誕生以前より、人類に喰われる為だけに存在し続ける食料に過ぎなかった。

 パンは何の為に作られているのか――人間が食べる為だ。

 ロチアートは何の為に生かされているのか――人間が食べる為だ。


「…………ッ」


 当然だ。当然の事で不変の物であった……筈だ、それが…………


「我々はぁあっ!! 人間だあぁあっ!!」


 フロンスの振り絞った絶叫に、マニエルは血相を変える。すぐにざわざわと冷たい感覚が背を伝っていく。


「俺を突き動かしてんのは怒りだ」

「……はっ!」


 マニエルが思わず木偶の手を止めさせていた事に気が付いたのは、目前で根を巻かれて拘束された鴉紋が、くぐもった声を出した時だった。


「梨理を殺されたから……でもそれだけじゃない。俺の中からが喚き続けるんだ」

「は?」

「一人でも多くの人間を殺せ。赤い瞳を救えと。叫び続けるんだ!」

「破綻……している……おま、お前は……!」

「この――が!!」

「死ぃいねぇえええッッ!! 悪魔めぇえぁぁあっ!!」


 ドルトとメルトの木偶が刃を繰り出した。その背後からはマニエルの生成した巨大な矢じりまでもが高速で迫って来ている。


 その全てをセイルは鴉紋の背後から見ていた。それ故に絶体絶命の鴉紋の運命を克明に理解する。


「駄目ぇえええッッ!!」


 セイルは逃げる所か、縛られた鴉紋にしがみついた。そしてその刹那、セイルの意識を越えて、桃色の魔方陣が展開されて鴉紋を包んだ。


 ドルトとメルトの一撃の後に、マニエルの巨大な矢じりが木偶もろとも大地を穿ち、土煙を上げる。


「……なに!?」


 そこには鴉紋の姿もセイルの姿もなかった。

 マニエルが視線を上げると、先程までフロンスが背を預けていた大木の前に、桃色の魔方陣が発生していた。


「逃がさんっ!!」


 無数の矢じりがそこに飛んでいったが、それらは魔方陣の中で唐突に姿を消した彼らには当たらなかった。


「――ッ……! ちくッ……しょぉぉおオオオオッッ!!」


 マニエルは猛り狂って周囲に突風を吹かせ、木々や草花をぐちゃぐちゃに混ぜながら吠えた。


「テレポートだと……? 教育係といい、希少な魔法属性に異能力……なんなのだあいつらはっ! なんなのだアイツラハァァアッッ!!」


 興奮冷めやらぬマニエルは、手元のハープが傷付くのも構わず振り回して木片を砕き続ける。


「ついこの間までただのロチアートだったのでは無かったのか!! それともこれも鴉紋が原因なのかぁあっ!!」


 そんなマニエルの元に、ふらふらと亡霊の様に歩み寄って来る者がいた。

 怒りに我を忘れかけたマニエルはその存在を、自然を掌握する能力『聖霊の領域』で察知すると、突風に乗って片翼でその存在目掛けて飛来していく。


「――ハァァアッ!」


 途中手に取った木片を刀に変化させて、その切っ先をふらふらと近付いて来た存在の首元に押し当てる。

 その切っ先が触れての首元から赤い血の一筋が出来ていく。


「な…………」


 彼は腹部に風穴を開けて、身体中から血を吹き出した有り様のまま、未だ燦然さんぜんと輝く正義の眼を携えていた。

 その存在を見たマニエルの衝撃は相当なものであった。

 何故なら彼は確かに、間違い無く筈なのだから。


「お前は……」


 ブロンドの長髪が月明かりの元に流れる。彼の手元には、銀色の兵士の剣が力強く握り締められていた。


「鴉紋は……鴉紋はぁッッ!?」


 ――敗北を喫した騎士が、復讐の炎を燃え滾らせて現世に舞い戻った。


「あ……あはっ! アッハハハハ」


 途端に醜い笑みを浮かべたマニエルは、その兵士の血みどろの頬を指先で撫で上げる。


「鴉紋にあてられたのは、貴方もだったのね。

 ダルフ・ロードシャイン」

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