第17話 怨念


「大丈夫だよ」


 セイルの言葉に鴉紋は身を預ける。

 しばらくして、頃合いを見計らった様子のフロンスが尋ねた。


「鴉紋さん。貴方はこの世界全てが許せないと私に言いました。その思いに相違はありませんか」

「ああ」

「ならば聞かせて下さい。貴方の目的は何なのです?」


 すると彼は、何でも無さそうにして口を押し開いた。


「赤い瞳の人間が喰われる事の無い世界」


 フロンスとセイルが顔を見合わせて息を飲む。


「……それは最早、この世界の全てを創世し直すかの様な、神の領域の話しかと」

「俺は全てを破壊するだけだ。この怒りに任せて」


 途方も無く沸き上がる、この世界への憎悪に身を委ねて。


「鴉紋。どうして私達にそんなにしてくれるの?」


 セイルの胸の中で鴉紋は答え始める。


「俺の愛した人を、俺の全てをこの世界が殺したからだ」

「鴉紋が愛した……」


 セイルはギリギリと奥歯を噛み締めていた。


「……たったお一人で、本気で世界を変えるおつもりなのですか……貴方という人は」

「鴉紋は一人じゃない。私と……あなたがいる」

「……。途方もない目的ではあります。しかし、手がない訳ではありません」

「なに?」


 鴉紋がセイルの胸を離れてフロンスに耳を傾ける。


「鴉紋さん、一先ずここを離れませんか? あまりジッとしているとすぐに援軍が来ます」


 フロンスの言葉に鴉紋は頷いたが、未だ炎を上げるこの村の事が気に掛かった。


「あぁ、しかし村の生き残りは捜さなくていいのか」

「えぇ、私がこういうのも非情かも知れませんが、今は一時でも早くここを離れるべきかと。私達がここを離れれば、これ以上無為にロチアートが殺される事は無いでしょうし、それに次の敵軍が……いや、二つもの隊を壊滅させたとなると、そろそろ使が現れてもおかしくは無いかと思いますので」

「天使の子とはさっきから何なんだ。強いのか?」

「…………」

「……鴉紋って、本当に別の世界から来たのね」


 フロンスが呆れたように渋い顔をして見せる。その時ばかりはセイルも同じ様にして鴉紋を見上げていた。


「ゴホン。……そうですね、今ここに天使の子が現れれば我々は即座に始末されるでしょう。まだ我々には力が足りません……とにかく全て移動しながら説明します。こちらへ」


 フロンスの操る亡骸が、その呪縛を解かれ再び地に伏せた。


 鴉紋はフロンスに連れられて、村の外れの生い茂った木立の中に入っていった。

 夕闇の森を、フロンスが指先に灯した光を頼りに歩んでいく。

 程無くすると彼は語り始めた。


「これは口にするだけでも恐れ多く、そして何の確証もない禁忌の領域の話しです。

 この世界には一つの大陸があり、そこにセフトの支配する9の都があります」

「セフト?」

「統治機構の名前だよ。この世界には一つの統治機構しかないから、世の中はすっごく平和なんだって私は習った」


 得意気なセイルにフロンスが頷く。

 屈託の無い笑みを向けられて鴉紋も微笑むしかなかった。


「その通り。故にそれぞれの都には各100名の憲兵隊が三つ配置されるのみ、つまり都には第六の王都を除いて300の兵しかいないのです」

「随分少ないな……」

「ええ、犯罪もほとんどありませんので、仕事は魔物の討伐位ですから。


 ――一つの大陸を一つの統治機構が管理している。それ故に戦争もなく覇権争いなどの火種も無いという事か……? だとしても兵の数が少な過ぎないか。いや、そもそも一つの大陸しかないという事は、この世界の総人口が限り無く少ないのかも知れない……

 などと思案していると、フロンスが意を決した様に再び口を開いた。本題に入っていくのか、声音に妙な重みを持たせて。


「いいですか……そしてそれぞれの都を使という強大な力を持った存在が統治しているのですが。

 その存在を全てと神に等しき力を得ると言われています。その喰らうというのが何の比喩表現なのかは図りかねますが」

「そんな事、私習ってない」

「ええ、これは語るだけで反逆罪の太鼓判を押される禁忌の説ですので、知らなくて当然ですよセイルさん」


 ――たった9人の人間を殺せば、神に等しき力を手に入れられる? 

 荒唐無稽な話しだったが、どちらにせよ、この世界を統治している天使の子を全て殺せば、新たなる統治者として実権を握れる事は確かだった。


「その天使の子を全て殺せばいいのか?」

「今はそれにすがるしかありません。もっとも、そんな事の出来る力があれば、最早それは神の様なものでしょうが」

「待てフロンス、じゃあ何故あの場を離れた、あそこでマニエルとかいう天使の子を待てば良かったんじゃないか?」


 フロンスは肩を落として嘆息すると、細い目をして鴉紋を流し目で見る。


「貴方は天使の子という存在の恐ろしさを、その強大さをまだわかっていない」

「なんだ?」

「いいですか、鴉紋さんの異能力は確かに強靭です。しかし、もしこれから天使の子に出会ってしまったら、とにかく逃げることだけを考えてください」

「……」

「天使の子の力は貴方を……人間を遥かに凌駕していると云われます。今はまだ力が足りません」

「人間を?」

「そうです。都の兵の数が少ないのは各都に天使の子が居るからでもあるのです。天災を打ち返し、千の軍勢を一人ではねのける存在は、もはや人では無く、使なのですから」

「……」

「鴉紋ならきっと大丈夫だよ!」


 むくれるセイルを見て、フロンスはそれ以上の言葉を仕舞い込む。


「そうですねセイルさん。それではお二方、早くこの場を離れましょう」


 うすぼんやりとした月の光と、フロンスの指先に灯した光を頼りに森をさ迷い歩いていく。虫の声などの一切が無い闇夜の森は静謐せいひつで、自分達が枝を踏む音や、草を掻き分ける音だけが響いていく。


 ――どうしてこの世界には人と魔物しかいないのだろうか。


「ん?」


 鴉紋の耳が自分達の立てるのとは違う物音を聞き取った。まるで枝を擦り合わせるかの様な軋んだ物音が、確かにしているのだ。フロンスとセイルもその異変に気付いた様子である。


「鴉紋。こっちからも」

「あちらからもです。囲まれました」


 森の至るところから唐突に湧き上がる軋んだ音。しかし一介の兵であれば、もっと素直な足音などが聞こえる筈である。

 一つに固まって背中を会わせた鴉紋達。セイルは怖がって鴉紋の背中を強く握っていた。

 やがて闇の木立の向こうから、覚えのある声が聞こえてきた。


「貴様……許さんぞぉ、俺をこの俺をロチアートなんかに喰わせやがって」

「メルトか? しかしメルトは……」


 そしてまた別の声が鴉紋の背後の闇から続く。


「我のみならず弟の命まで奪った罪、償わせてくれようぞ」

「鴉紋。あの時の騎士様の声だよ」

「ドルト・メニラか、しかし何故だ、奴も確かにこの手で……」

「鴉紋さん、まだです、至るところから」


 せきを切った様に、無数の声達が鴉紋達に語り掛け始めた。


「痛い……まだ痛む。お前に裂かれた腹が」

「やっと都の騎士になったばかりなのに、お前さえ来なければ!」

「家畜に喰われるなど、屈辱の極み。この恨み貴様の末代まで祟って……」

「父さん母さんごめん。あいつに殺されたんだ。あの悪魔に!」

「殺してやる」


 何時しか鴉紋達は死人の声に囲まれていた。訳が分からずに、額から冷たい汗が垂れて視界を遮る。


「どういう事だフロンス」

「わかりません。わかりませんが人間の出来る芸当ではありません。私の『死人使い』でも、生前の声や意識は再現出来ません」

「つまり……」


 ――その瞬間、とてつもない豪風が鴉紋達に襲い掛かった。辺りの草木までもが飛び散って空に流されていく。


「うぉわ……ッ!?」


 鴉紋は咄嗟に黒くなった腕を地面に深く突き刺して、下半身が浮き上がる程の猛烈な突風を堪え忍んだが、セイルとフロンスは共に後方に吹き飛ばされていった。


「セイル! フロンス!」


 フロンスはセイルを抱いて防御魔法で身を包んだ。しかしその突風の勢いのままに、大木に背中を打ち付けて血を吐く。


「がハっ!」

「フロンス!」

「鴉紋さん……セイルさんは、無事です」


 フロンスが苦悶の表情で腕を開くと、そこからセイルが顔を出して辺りを見回した。


「逃げて……ください。天使の子とは決して闘わない……でくだ……私は置いて」


 意識を失ったフロンスに駆け寄ろうとすると、背後から強烈な気配を感じて鴉紋は振り返っていた。


「二匹の家畜は後でどうとでもしましょうか」


 余りの風に地形が変わり、そこにあった木々が折れて視界が開けていた。そしてその先から、月光に照らされながら、緑色の翼で空を漂う存在が降りて来る。


 エメラルドグリーンのローブを身に纏い、金の長髪を翻すその女は、背に生えた翼を羽ばたかせながら地に足を着けた。


「翼……っ!」


 緑色の澄んだ瞳が鴉紋を正面に見据える。その女は手元の小さなハープを一撫でして、ポロンと音を立てた。


「天使の子……か?」

「私を知らないのです? はぁ、よもや私が名乗らねばいけないとは……」


 さも面倒そうに子首を傾げながら、彼女は名乗った。


「第七の都ネツァクを守護するマニエル・ラーサイトペント。貴方のいう天使の子です」


 フロンスがあれ程危惧していた存在が、気付いた時には目前に佇んでいた。背から翼を生やした仰々しい様相のこの女が、人を越えた力を持つというのだろうか。

 しかし鴉紋は挑戦的な口調で話し始める。


「仲間毎吹き飛ばしたみたいだが、良かったのか」

「私は一人で来ましたよ? 騎士達をこれ以上減らされるのは困りますので。あはは、凄く止められましたけど、無視して来てしまいました」


 口元を隠して上品に微笑するマニエル。肉感的な容姿とは裏腹に、その女から迸る凄まじい力を肌に感じる。


「一人だと? では先程の無数の声は何なんだ?」

「あぁ、あれですか。うぷぷ……貴方はその異能力の腕で沢山の人を殺したのでしょう? ならば沢山の人達の怨念では無くて?」

「怨念?」

「それで、どうするのです? 怪我もしている様です。貴方のお仲間は逃げろと申していたようですが」

「ふん」


 ――――すまんフロンス。


 鴉紋は大股を開いて拳を構えた。


「そうですか、罪深いお人」

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