第四章 天使の子

第16話 矛盾

   第四章 天使の子


 逃げ惑う兵士達。散乱する食い破られた死骸。未だ行進する傀儡くぐつの死者。平和なこの世界にて、今日まで蹂躪じゅうりんする側でしか無かった騎士達の阿鼻叫喚が、夕暮れのオレンジに呑み込まれていった。


「て、て撤退だ!」

「逃げろ! 何もかも捨て置いて逃げろ!」


 不滅の様な死者達の前に、残った80程の兵士達は打つ手もなく戦線を離脱していく。指揮官も無く、戦意すらも失って、150対2の絶対的有利はの二文字で覆ってしまった。


 鴉紋とフロンスの前から兵が逃げていき、残ったのは死屍累々ししるいるいの光景。


「鴉紋さん。……私はこの世界に反旗を翻してしまった様です。ただの家畜の分際で……」

「もはやお前は家畜ではないフロンス。……それより」


 死者達が伏せて兵士達の死骸を喰らっている。


「私の異能力です。すぐに辞めさせることも出来ますが……」

「いや、いい」

「え、しかし貴方はロチアート達が喰われる事に憤慨していたのでは?」

「あぁ、だがそこに居るのは赤い瞳の人間ではない」

「…………」


 その時、逃げていく兵とは方向を逆にして歩みを進める者が居た。その男はたった一人で鴉紋達に向かって来ている。


「鴉紋さん。あれを」

「なんだ」


 夕闇を背に携えて、ふらふらとこちらに歩み寄ってくる剣を抜いた兵士。その目は金色に光り、明確な殺意を携えていた。

 ブロンドの長髪を靡なびかせるその青年は、メルトに殴られた右の頬を腫れ上がらせたまま、ギラギラと輝く眼を剥いている。


「鴉紋さん、私が」


 フロンスの声と共に、死人が兵士を喰うのをやめて立ち上がる。


「待てフロンス。あいつは俺の客だ」

「しかし……」


 鴉紋は眉間にシワを寄せながら悠然と、ダルフと呼ばれていた一人の騎士に向かっていった。


「鴉紋待って!」


 フロンスの背後からひょっこりと顔を出したセイルが、不安気な表情で鴉紋を見つめる。


「どうしたセイル。俺があいつ一人に負けると思うか」

「違う……違うけど」


 セイルは何か思う事があったらしく、鴉紋の背中にこう投げ掛ける。


「あの人の目。鴉紋に似てる……。だから、だから……」


 ダルフの獣の様な激しい瞳と、鴉紋の悪魔の様な禍々しい瞳が交差する。お互いは物怖じする事も無く、迷うこともなく、やがて互いを正面に認めて足を止めた。


「鴉紋……。終夜鴉紋」

「お前は何者だ」

「……第20隊騎士。ダルフ・ロードシャイン」


 ダルフは鬼の様に眉を吊り上げて、怒気を込めた声で続けていく。


「ヴェルトとフィルという名に聞き覚えはあるか?」


 忌々しく思いながらも、鴉紋は梨理の事を喰らったあの老人達の事を思い起こす。そして、確かダルフという名の息子が居ると言っていた事に思い至った。


「……それで? 復讐か? 一人で何が出来ると思った」

「黙れ。貴様は絶対に殺す。絶対にだ」

「俺達の力を見ていなかったのか」

「貴様の様な悪は俺が討たねばならん。我が両親の仇はっ!」


 興奮冷めやらぬまま鴉紋を睨み付けるダルフの目尻には、涙が伝っている。しかし鴉紋の心は全くもって動揺を見せなかった。


「――はぁっ!!」


 ダルフの放った右手の剣の一撃は、鴉紋の左手でなんなく弾かれた。

 そして鴉紋は甲冑の上からダルフの腹を殴って捻り上げる。


「ぐっ……ほぁッ!!」


 甲冑は崩れ、腹を突き上げる拳は貫通こそしていなかったが、内蔵に重大なダメージ与えていた。ダルフは体をくの字に曲げながら吐血して、その苦痛を表情に刻む。

 しかし彼は倒れずに激情の顔を上げていく。


「く……何故だ鴉紋!! 何故村の人達を殺した? 何故俺の両親を……っ!」

「ふん」

「あの村の人達は、皆親切だった……見ず知らずのお前の事も、きっと村に迎え入れて食事を与えた筈だ……」

「……」

「俺の……、俺の両親は義理とは云えど、俺に……真の愛を与えて育んでくれた……んだ! 生まれもわからぬ俺を都の騎士とするまでに!」

「黙れ」


 鴉紋がダルフの頭を殴って地に叩き付ける。


「――――ッ!」


 そのまま数秒沈黙していたダルフだったが、頭から血を流して再びに立ち上がっていた。


「父は……俺に、優しさを持って弱き者を救えと……言った」

「黙れ!」


 鴉紋の拳がまたダルフの頬を打った。しかし彼はまた踏み留まっている。

 その顔はボコボコに腫れて、元の美青年の面影は無くなっていた。

 そして震えた口元が開き始める。


「母は俺……に、強くなり大切な物を……見つけ、守れと言った」

「さっさと倒れろ!」


 殴られたダルフが相貌そうぼうを上げる。その星屑を散りばめた様な激情の瞳が鴉紋を貫いていく。


「俺はお前を殺すぞ、鴉紋」

「…………っ」


 満身創痍の男に滾った気迫に、一瞬萎縮する鴉紋。そしてダルフは、血の筋の垂れる口を食いしばった。


「何故なんだ。なんでお前は俺の両親を殺したんだっ! 心優しい俺の父と母を! 村の人達を!」

「……」


 鴉紋は何度叩き伏せても立ち上がる男を見下ろしながら、忌々しいといった口調でもって答え始めていた。


「あいつらは、俺の大切な人を殺した。俺の大切な人を、生きる理由を! 瞳が赤いというだけの理由で俺の大切な人をッ!」

「……」

「お前にわかるか? 信頼しかけた人達に、大切な人を殺され、刻まれ、その肉を喰わされた俺の気持ちがッ!? この怒りがッ!!」


 憤激する鴉紋が、歯を剥き出しにして拳を振り上げる。


「だったら――」


 ダルフの足が電気を纏い、一歩踏み込んだ。筋肉に電気を流して踏み込む彼の速度は、鴉紋の反射速度を凌駕りょうがする――


「っ……は!?」

「――お前が今仲間にさせてる行為は何なんだっ!」


 ダルフの拳が鴉紋の顔面を捉えていた。そして続けざまの剣による刺突が腹に向かっていく。


「図に乗るなぁっ!」


 黒の掌がそれを防ぎ、刃を握り込んで粉砕した。

 絡み合うように額を付き合わせた両者。鴉紋を射抜く瞳は凛々しく、正義を纏いながら向けられる――


「この腕で握り潰したのか?」

「……っ!」

「その掌で俺の父と母を握り潰したのだろうっ!」

「黙れぇえ!!」


 振り払う鴉紋の腕を、ダルフは短くなった剣でどうにか受ける。しかしその衝撃で後退を余儀なくする。


「たった一人のロチアートの為に村人を惨殺したのか! 家畜の為にっ!」

「何がロチアートだ! コイツらは、瞳が赤いだけの人間なんだ! 俺達と同じ様に考え、悲しみ、笑い、生きたいと叫ぶっ! 人間なんだっ! 俺達と何が違うという!!」


 地に両腕を着いて飛び上がった鴉紋。超低空からの高速度でダルフの目前にまで飛来すると、右の拳で腹を貫いた。


「がぁ……ッ!!」


 腹部を貫かれたダルフだったが、宙に浮かされたその姿勢のまま、鴉紋の顔面に両の掌を押し当てる。

 ――その瞬間、激しい稲光が痛烈なる衝撃を鴉紋に与えていた。


「アアアアっっ! がぁあっ!!」


 咄嗟に振り払うと、ダルフはそのまま地に投げ出される。

 未だ全身にビリビリとした電撃を走らせながら、鴉紋もよろめいたが、その足で深く地を踏んで耐える。

 そして息を荒げながら、腹部に風穴の開いた男を見下ろす。


「…………お……ま、え……も」

「――ッ!?」


 絶命したと思われたダルフは、口を開く度に血を吐きながら、未だそこに正義という過激を携えて鴉紋を見上げる様にした。


「おな、じ……だろう…………仲間に……ロチアー……トに、人間を喰わせ……」

「俺は……」


 鴉紋は俯いた表情を影に染めながら、その言葉に返す。


「その屈辱を、その恐怖を、その惨さを、この世界の奴らに味わわせてやりたい」


 ロチアートは食用肉という責め苦を永劫のように強いられてきた。やられたのだからやり返す。至極単純だが野性的な思いが、鴉紋の苛烈な怒りの中に垣間見えた。

 あまりの邪悪に言葉を失ったダルフ。だが白んでいく意識の中で、尚も宿敵へと敵意を剥き出す。


「……悪魔、め。必ず貴様を殺しに……行くぞ、覚えておけ……覚えておけ……鴉紋…………」


 事切れたダルフ。

 最早体に風穴の開いた彼の死は明確で、最後の願いは叶えられぬものだという事がわかる。


「悪魔はお前達の方だ」


 鴉紋は一人呟いてダルフを見下ろした。黒い腕が元に戻ると、地肌が幾多の騎士達の血で赤黒く濡れている。


「鴉紋!」


 ダルフの亡骸の前から踵を返すと、セイルが鴉紋の元まで駆けて来た。随分と心配しているのか、頬を紅潮させて涙ぐんでいた。


「どうしたセイル。俺が負ける訳が無いと言っただろう」

「うん……でも、でも…………」

「どうした……怪我をしたんで心配をかけたか? 強かったよあいつ、ダルフとか言ったかな」

「違うの……違う」

「……じゃあなんだ?」



「泣いてるよ……鴉紋」



 セイルに言われてから、やっと鴉紋は自分が目尻から温かい滴を垂らしている事に気が付く。


「なんだ…………なんでかな……なんで」


 俯いて、訳の分からぬ涙を拭う鴉紋の頭を、セイルはソッと抱き締めた。彼の思いを慰めるかの様に。

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