第15話 這い寄る死骸

  *


 彼の名はフロンス。ロチアート故に姓は無い。

 ミーシャ農園で生まれ育った彼は、二十代の頃にその高い知能によって、各農園に二名しかいない教育係に任命された。

 食用肉であるロチアートに一般的な教育を施すのは、ひとえにという食感的な理由しかなく、フロンスもそれを理解していた。


 人間に喰われる為に子ども達に教育を施し、出荷となったら笑顔で送り出す。Eランクになった教え子を何の感慨もなくステーキにして食べる。そんな日常に疑いも持たず生活していたフロンスだったが、ある少年との出逢いが彼の平凡だった人生を変えた。


 サハトという名の九歳の少年を一目見ると、フロンスの中に得も言えぬ感情が巻き起こったのだ。

 頬がほてり、四六時中彼を考えてしまうその現象の説明が、彼には出来なかった。

 ロチアートは家畜であり人間ではない。その常識的概念によって、ロチアートには他者を愛する事や、性行為を行う事の一切を禁忌きんきとされていたからだ。

 その感情への対処の仕方もわからずに、フロンスはそのサハトという少年と二年もの月日を共にした。


 しかしサハトが十一歳になると、彼は食用肉として出荷の指名を受ける。教育係としていつものようにそれをサハトに伝えたフロンスは、跳び跳ねて喜ぶサハトを胸に抱き締めながら、胸の内に巻き起こる、始めての暗い感覚に襲われる。


 サハトが食用肉になる。それがもう二度とサハトとは会えなくなる事を意味していることは、彼には当然わかっていた。


 しかしこれまでフロンスは、都から指名されて食用肉として子ども達を出荷する際にも、そんな事を考えたことは一度もなかった。それは決してフロンスに慈愛の心が無かったからではなく、ロチアートとしての至上の喜びが人間に喰われる事であった為に、願いが叶ってロチアートとしての生を全う出来たことを共に喜びあうという結論にしかならなかったからである。むしろフロンスは子ども達に対して深い慈愛の心を持ち、心の底から愛していた。


 農園でロチアート達が形成する村には、人間は一人もいない。教育係の二名のロチアートが、都からの通達を受けて指示に従うという構図になるので、村の子ども達は人間に会う事さえも無かった。その為に、その村での実質的権力者は教育係であり、監視にも来ない都の人間達の目を欺あざむくのは容易なことであった。


 愛という未知の感情の虜とりことなったフロンスは、サハトと偽り、同い年の別の少年を出荷した。そしてその日のうちに彼は、サハトを村の外れにある廃墟の地下室へと呼び出した。特別に出荷の前に話すことがあると言って。


 暗い地下室へとサハトを連れていき、二人きりになると堅牢な扉に鍵をかけた。自らが正気であるかもわからぬうちに、フロンスは心の奥に燃え上がるサハトへの愛を確かめるように、彼を胸に抱いた。


 少し戸惑った様な、脅えているかの様な表情でフロンスを見上げるサハト。しかしフロンスの中に沸き起こる愛という感情は治まることは無く、むしろ膨れ上がっていくばかり。


「あぁ……あぁサハト…………あぁぁ」


 他者の愛し方を知らぬフロンスは、サハトを胸に抱きながらも、どうすれば良いかがわからなかった。しかし胸の内にある少年のつぶらな瞳を見つめているうちに、フロンスの中の感情は沸点を越え、噴出し、正気を失ったように延々恍惚の声を漏らし続ける。


「サハト……愛している……愛しているんだ。お前を例え人間様であろうと他の者には渡したくはない」


 そしてフロンスの感情は、間欠泉から吹き出し、天にも昇る水蒸気の様に爆発した。胸の内に巻き起こるものに、全てを任せたのだ。


「……ギャアアアっ!! フロンスさんッ!? フロン……アアアあぁぁッ!!」


 そうして愛に支配されたフロンスは、胸に抱いた愛しいサハトの頭を石でかち割っていた。

 幾度となく殴打されたサハトは血にまみれ、やがて動かなくなった。


「サハ……ト」


 人生で始めて味わう圧倒的悦楽感に身を捩る。


「…………あっ」


 全身が満ち足りる様な絶頂に愉悦の表情を見せながら、彼は削げ落ちた少年の肉を


「これが…………愛……」


 サハトの亡骸を前にしながら、フロンスは身体中の穴から噴出するような快楽を覚えた。そんな事は彼の人生で始めての事で、全身の骨を一気に抜かれた様な感覚ですらあった。



 しかし、その後フロンスは、最愛の少年を自らの手にかけてしまった事にとても深い、深淵のような悔恨を覚えて日々を送り始める。子ども達を愛する彼の真の慈愛と、彼の解釈した愛との葛藤に溺れたのだ。


 しかし彼はそれからも、子供達にサハトの面影を見ると、あの時の愛の快楽を忘れられずに同じ過ちを繰り返してしまった。


 けれどそれは彼の愛したサハトとは違うものであった。いくら別の子に彼の面影を見ようとも、自分の愛した少年とは全く違う存在であるという事を痛感し、サハトへの叶わぬ愛を募らせていくだけの行為でしかなかった。


 ある時フロンスは一方的な愛を確かめて亡骸となった子を胸に抱き、大きな声で泣いた事があった。

 自分の求めているのはサハトという少年ただ一人。それなのに彼を愛するという事がもう出来ないという深い悲しみ。村の子ども達を慈愛で包みながらも、自分の快楽の為に殺してしまったという深い懺悔ざんげの念。それらが溢れ出して、フロンスは亡骸を胸に慟哭どうこくしたのだ。


 サハトの顔を思い描きながら絶望にうちひしがれていると、彼の足元に紫色の光のサークルが生じた。


 それが彼の異能力――『死人使い』を発現させた瞬間であった。


 胸の内に抱く生命を失ったはずの少年が、何かに憑依された様に項垂れていた顔を挙げて、標準の合わない視線のまま、思い通りに動いた。


 フロンスはその光景に驚愕し、そして歓喜して叫んだ。


「ああっ!! サハト……ッ!」

「あ……ぁ…………あ…………ああ…………」


 自らの能力によって使役する少年の亡骸が、愛の為に奇跡的に甦ったなのだと盲信したフロンスは、あの日の様に少年を愛した。一方的な愛を。


 そうして他者を愛する絶頂の喜びを感じながらに、フロンスの中にある疑問が巻き起こってきて、それを思わず口に出した。


「何故、私は人間の様に堂々と他者を愛してはいけないのだ……」


 それが彼に密かにロチアートの存在意義を考えさせる最大のきっかけであった。


   *


 彼の欲望の為に死んだ、今は亡きただ一人の少年の姿を胸に、フロンスは静かに佇む。


「なんなのだ……一体……これは……」


 メルトが見ている光景は、彼にとってまさに悪夢のような光景だった。


「イタアッ! 離れろ、離れろよッ!」

「腕が……! 俺の腕が! いてぇよおおお!」

「何で死なないんだこのロチアートがあああっ!! うわぁあああっ!」


 黒焦げのロチアートが兵を襲い、噛み付き、掴みかかっていく。必至に抵抗する彼等であったが、どれだけ切り刻もうが、魔法攻撃をしようが、丸焦げの死骸は足を止めなかった。

 口の端に泡を吹きながら戦慄するメルトが、憤慨しながらフロンスに槍の切っ先を向ける。


「何なのだと聞いているんだ貴様アアアっ!!」

「あなた達がただ無闇に殺戮したロチアートですよ」

「んぬぁ……にを……っそんな事はわかっているっ!!」

「あなた達の育てた家畜。下劣で愚鈍なただの食い物です」

「ッがああぬっ!!」


 メルトは怒り狂い、混乱しながら醜い表情で歯を食い縛った。余りに興奮して血管を浮き立たせ、首元からの出血を再び噴き上げた。


「殺せえぇぇ!! 騎士達よコイツらにありったけの火球を放てぇえ!!」


 メルトの指示で後衛の兵と、前衛に残った兵が一斉に火球の雨を降らせた。


「燃え尽きろ! 『炎弩砲えんどほう』――!」


 メルトも槍の先から熱線を放つ。瞬く間に炎の渦に包まれるロチアートと鴉紋達。


「――ヒィーハッハッハッハ! やったぞ、燃やしてやった!」


 メルトは立ち上る豪火に、目を剥いて刮目する。


 炎はやがて小さくなって煙が晴れてきた。徐々にメルトの視界に鴉紋達の姿が映る。それはメルトの思い描いていた光景とはまるで違うものだった。


「ぬえッ!?」


 その身を呈して鴉紋達を守るかの様に、自分の従える筈の約二十の兵士達が立ち並んでいた。皆火炎に肉を焼かれて煙を上げながらも、その場に倒れ込む者は一人もいない。

 鴉紋達の足元には再び巨大な紫色の光のサークルが生じている。フロンスはロチアート達の葬った人間達に、再び死人使いの能力を重ね掛けして使役していた。


「鴉紋さん。セイルさんは私が」

「……わかった」


 鴉紋は両腕で地面を殴って高く飛び上がった。未だ状況を整理出来ない兵達はその光景をただ棒立ちで見上げている。そして後衛の50の兵士達の中心へとなんなく鴉紋は降り立つ。

 驚愕して誰一人声も発っせない沈黙の中、鴉紋は静かに言い放つ。


「……お前ら全員殺してやる」

「うわぁあああっ! 撃て撃て撃てえぇぇ!!」

「落ち着けぇえ落ち着…………ぁあああっ!!」


 フラフラと軍勢にもつれ込んでいった鴉紋は。兵が無茶苦茶に繰り出す魔法攻撃や剣撃など物ともせずに、その漆黒の腕で猛進を始めた。

 爆発でも起こっているかの様に後衛の軍勢は各所で血の噴水を噴き上げていき、みるみるとその数を減らしていく。


「な……? 私の150の兵士…………なに……が?」


 前衛の騎士の最後尾にまで後退した茫然自失のメルト。前衛には未だ約70程の兵士達が居るにも関わらず、その場にいる者は皆戦意を喪失しかけている。

 するとフロンスは緩く微笑み、慈愛に満ちた様な表情でもってメルトに視線を投げた。


「さぁ、よ。人間共に、愛を」


 フロンスが両腕を広げると、黒焦げのロチアートと兵達がメルトに向かって走り出した。

 乱戦となる前衛。後衛では鴉紋が一方的な虐殺を遂行している。


「ロイド! ロイド俺だ、お前の兄ちゃんだ、目を覚ませッ!」

「メルト様っどうすればッ!?」

「逃げろッ! 逃げる……ぎあああ!!」

「戦え! 我らは誇り高きセフトの……グアアア!」


 フロンスの操る兵が敵を斬る。黒焦げのロチアートが遮二無二歯や爪を剥き出して襲っていく。頭や足を失った死人達はその場で動かなくなってもいたが、最早そんな事に気が付き、機転の利く兵は居なかった。

 指揮を失った軍勢が脆く崩れ去っていく。混乱と絶望の光景に皆が恐怖を増していき、足元を震わせて次の一歩を踏み出せずにいる。


「あぁ……ッあ! ロチアートに! ロチアートに喰われれ……ッッ!」


 黒焦げのロチアートが兵に食らい付き、血を滴らせた肉を口元から覗かせている。それは平和な世に身を置き続けるこの世界の住人にとって、誇り高き騎士達にとって、とてつもない恐怖でしか無かった。


「くっ! ロチアートに……家畜にッ!」

「痛い!! やめろおお!! 家畜ごときがこの俺を、この俺の肉をッ! に肉、肉、に、にに喰うんじゃねぇえッ!」

「指揮をおおぉ! メルト様っ指揮をどうかあぁあ!、」


 メルトは目を見張ってその戦場の有り様を眺めていた。


「…………ひ……ひぃ」


 全身をガタガタ震わせて、顔を青ざめさせたメルトは、槍を投げ出して背中を向けた。前衛の兵士達を見棄てて逃亡するつもりらしい。


「メルト様ァァ! 指揮を……指揮をぉ!」

「うわあァァッ! イヤだ……ワシはまだ死にたくない……ッ死ぬわけにはいかぬのだぁ」

「メルト様っ! メルト様あぁ……!」

「イヤだ……いやいやい……いぃ! 逃げる! にに逃げるんだぁあぁ……ッ!」


 仲間を置いて駆け出したメルトに、一つの火球が飛んでいった。それをモロに顔面にくらったメルトが、戦火の前衛の中にまで吹き飛ばされていく。


「アアアっ!! き、きキ、キサマァァッ!!」


 それは後衛からメルトの様子を窺っていた一人の兵から放たれた物だった。


「ゴミ野郎が」


 その兵士は最後にそう呟いて、鴉紋に胴を捻じ切られていった。


「ひぃい……ひぃ! ひぃいいいっ!! こんな所で、こんな死に方ぁあ……逃げるんだ、ワシは逃げて生き延び――ッアア!!」


 メルトの太腿に黒焦げのロチアートが噛み付いた。


「イタイタイタイタァァッ!! 離せ家畜ぅうっ! シネェシネェ!!」


 メルトの太腿の肉が噛みちぎられた。


「ぎぃぃッッ!! ギャアアアアアアアアアアアっっ!!」


 痛烈な痛みに悲鳴をあげるメルトの腕に、胴体に、顔に、黒焦げのロチアート達が群がって覆い被さっていく。


「ぎぃぃァァッアアアア!! イタイイタタタタがっ!! 助けろ!! 誰かワシを助けろォオオ!」


 メルトの指先を、目玉を、太腿を、腹をロチアート達が食い破っていく。自分の血に染まりながら絶叫し、部下達に助けを命じるメルト。


「アアアア助け……たすげろォオオ! ワシを……ワシは国家憲兵隊ぃい! 隊長メルト・マニラっがぁあぎぎき!!」


 食い破られた腹から流れ出した臓物を死骸が咥えて引きずり出していく。兵はそんなメルトの姿をチラりと横目に見るだけで、何もしなかった。


「がぢぐ……家……ぢぐなんがに……コの誉れ高ぎワジががが……ロヂアー……どもぉナンガっ…………ニ……………………喰ワ」


 メルトは家畜に喰われて死んだ。自らが卑下したロチアートの手によって、自分達がロチアート達にしていた様に、喰われながら。


 恍惚の表情で頷きながら、フロンスは囁いた。


「あなた達が私達を愛してくれなくても、私達はあなたを愛します」


 命を終わらせていく兵士達の声が、波状雲の並ぶ夕闇の空に吸い込まれて消えていった。

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