第7話 優し過ぎる人々

 都は高い外壁に囲われていたが、不思議なことに門番は居なかった。

 すんなりと都に立ち入った鴉紋の眼前に広がる光景は、中世のそれだった。

 今にも倒れそうな様子でフラフラと喧騒の中に入っていくと、すぐに一人の中年男性が神妙な顔付きをして声をかけてきた。


「兄ちゃんフラフラじゃねぇかい!? 大丈夫か?」


 その声でその場に居た人々は皆立ち止まって、フードを深く被った鴉紋を心配そうな表情で取り囲む。


「アルモ荒野から歩いてきたんじゃないかしら? 大丈夫?お水はいる?」

「お腹が空いているんじゃないか? ひどく痩せこけてるぞ、可哀想に」

「疲れたでしょう。うちの宿に空きがあるから休んでいきなさい。何、お代はまたでいいよ」

「お兄ちゃーん。これ、少ないけど僕達のお小遣いをあげる」


 鴉紋の手に子どもが銀貨一枚を握らせた。直ぐに若い女性が駆けてきて鴉紋に水を手渡す。そして夢中でそれを飲み干して声を上げる。


「……はぁ! はぁ! ありがとう。水をもう少し頂けませんか?」

「いいわよ、直ぐに持ってくるわ」

「兄ちゃん。これ食べなよ」


 白いコックコートを纏った青年が、手にパンを持って鴉紋の口に近付けた。しかしそのパンの上にはソーセージが乗っていて、その肉が鴉紋の脳裏にあの晩のシチューを思い出させてしまった。


「や! やめろぉッ!!」


 思わずコックの青年を突き飛ばすと、パンは地面に転がった。


「いてて……はは」

「ぁ……あ…………っ」


 それでも尚微笑む彼をみて、鴉紋は良心の呵責かしゃくに襲われ始める。


「あ……。その、これで足りますか?」


 鴉紋がポケットに入っていた硬貨を全てその青年に渡そうとすると

「いいって事よそのパンは兄ちゃんに無料でやったんだ。その代わり、またパンが食べたくなったらうちにおいでよ」と言って親指を立てられた。


「はい旅の人、お水!」


 目の前にまた水が差し出された。

 そこには、錯乱した鴉紋の行動を非難する者は一人も居なかった。まるでここにいる老若男女全ての人々が、得体も知れない彼を心の底から心配している様に。

 水を貰ってから、鴉紋は皆に向かって頭を下げる。そうすると群衆は散り散りになっていった。


 ――なんなんだこの世界の人々は。


 その世界の人々は、優しさと思いやりで溢れている。それは鴉紋の目には異様にも思えた。


 鴉紋は食料を求め、自然と賑やかな方へと歩いていく。


「お腹が空いた。肉以外の物を何か」


 角を曲がると商店街に辿り着いた。だがそこで彼が目にするのは、怖気の立つ程に邪悪な光景であった。


「お兄さん! とうですロチアートの串焼きは?」


 小さな屋台に座ったおばさんが、串に刺さった眼球を差し出してきた。網では音を立てて肉が脂を滴らせている。


「あ……あぁ……ぁああっ!」


 口をわなわなと震わせた鴉紋が、戦慄して駆け出す。


「ロチアートのフランクフルトどうだーい」


 先程パンを手渡してくれた青年が、商品を持って笑顔で客寄せしている。その小さな屋台の天井には、数十本のソーセージが吊るされていた。


「あ……あああ……」


 その光景から逃げるように商店街を駆ける鴉紋。流れ行く景色の中で、一際と肉料理ばかりが目に付いていく。


「オスとメスのロチアートのケバブだよー」


 巨大な棒に店主が肉を貼り付けている。その背後にはフックに吊るされる何かの影が見えた。


「あぁぁ! ああっ」


 そんな惨劇が目の前で起こっていても、人々の喧騒は変わらず、皆笑顔でゆったりとしている。

 まるで、イカれているのは鴉紋の方だといった風に。


「なんなんだここは! なんなんだこの世界の奴らはぁッ!」


 その狂った光景に、鴉紋の肩は震えていった。


「同じ人間を……同じ人間が嬉しそうに食っている!」


 目の前を横切った男女が、仲睦まじくパンに挟まった肉を頬張っている。

 屋台の男が「もう駄目だな」と言って切り落とされた肉をゴミ箱に放り投げる。


「狂っている。この世界は狂っているんだ! イカれている! どうしようもなく壊れているッ!!」


 陰惨な光景に耐えられなかった鴉紋は、とにかく目にかかった路地裏に駆け込んだ。

 そしてその暗がりで一人静かに嘔吐する。しかし口から出るのは、先程飲んだ水だけだった。


「どうして俺がこんな世界に来なくちゃいけなかったんだ……誰の、何の目的で? どうして俺にこんな世界を見せる……こんな地獄のような世界を、俺に……」


 蹲うずくくまっていると、向こうの路地から勢い良く駆けて来た人影が、鴉紋にぶつかって転んだ。


「……っ……!」


 それは、ぼろ切れを一枚纏まとっただけの少女であった。振り返った鴉紋を涙を溜めた瞳で見上げながら、酷く怯えた様子で赤髪を震わせている。

 鴉紋は虚ろげな表情で少女を見下ろしてから、ハッとした様に我に帰ると、しゃがみこんでその少女と視線を向かい合わせる。


「っ……」

「梨理? 梨理だよな」


 鴉紋は何処と無く面影のある彼女に、梨理の姿を重ねていた。


「梨理! 梨理だ……梨理だよ! 良かった生きていたんだな梨理! あれは別の人間だったんだ、本当に良かった……梨理」

「……?」


 すがる物を失い、狂った世界に閉じ込められた鴉紋は、もはやまともな思考すらを失っていた。そして強迫的なまでに繰り返す……

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