第22話ー嫁入り

 ぽた、ぽた、と雫が落ちるような音が、そこかしこで聞こえていた。雪解けが本格的に始まったのだ。長い長いロード帝国の冬が終わり、今年もつかのまの春がやってきた。

 今年の春のはじまりは、帝都の人々にとって一味違うものとなった。エリザベータ皇女殿下がリードラ公との婚礼の儀のため王宮をご出発なさったのである。婚礼用の馬車は豪奢をきわめており、祝砲が盛大に鳴らされた。皇女殿下の姿を人々が目にすることはかなわなかったが、皇家を離れリードラ公妃となられるのであれば今後は民衆の前に姿を現す機会もあろう、と皆期待している。夫となるソール・サリードラが、あまり評判の良くない人物であることが、お可哀そうでならないけれど、と人々、特に貴婦人たちが口にしていたが。

 王宮を出た婚礼の馬車は、まっすぐに帝都を抜け、雪解けを迎えた見晴らしのよい街道を進んだ。リードラ地区の、リードラ公の屋敷までは半日ほどの行程である。途中、小さな森に入らねばならない。森の入口で、馬車の護衛をする者らは皆、警戒を強めた。

 その、警戒どおりに。

「敵襲!」

 森で待ち構えていたらしい賊が、一斉に一行を取り囲みにかかった。その数、少なくとも約二十。それも、ほとんどが騎乗している。

「襲撃があるとするならこの森しかないだろうと踏んでいたけれど……、当たってほしくなかったなあ、この予想は」

 護衛のひとりである、ジーク・サファイアが毒づいた。もはや、ここで殿下の命を奪っても降嫁の代役を充てられる可能性はほとんどない。それでもなおこうした手段に出るという思考の持ち主を相手にしていたと思うと、これまでの間よく殿下の命を守れたものだと肝が冷える。

 ジークは馬上で矢をつがえ、賊に向かって次々と放った。

「実は、俺の得物は飛び道具でね!」

 おかげで武人大会では苦労した、と思い返しつつ、ジークは賊を射る。矢はおもしろいように当たり、跳ね飛ばされるようにして賊が落馬した。ガイ・オニキスが馬を駆ってすぐ脇を抜けてゆく。その表情は険しかった。

「思ってたより数が多いぞ、これは!」

 そうなのだ。ジークも内心で焦っていた。馬車が無事であるという確証が、持てない。

「……頼むぞ、ガーネット」

 ジークは、祈るように呟いて矢を放った。

 その祈るような呟きが、豪奢な馬車に届いたのか、どうか。

 馬車の戸が細く開かれ、隙間からパッと花開くように白い装束の端がたなびいた。と思ったら、その白い装束を着た人物が扉から身を乗り出し、馬車の脇を走る馬の手綱を引き寄せた。そして、ひらりとその馬にとび乗り、颯爽と駆け出して行った。婚礼衣装であるに違いない、儚げなヴェールが舞うように揺らめいた。

「馬車を出た! 皇女だ!」

 馬車近くに迫っていた賊のひとりが叫んだ。慌てて追いかけようとするのを、別の賊が引きとめる。

「待て、早まるな! あれは囮だ! 皇女があんなに機敏にひとりで馬を駆れるものか!」

 追いかけかけていた賊は、たしかに、と思いとどまり、当初の予定通り馬車に近づいた。手始めに御者を刺し殺し、馬車を引いていた馬の歩みを止めさせてから、金の縁取りがされた重い戸を引く。中には。

「やはりな!」

 純白の婚礼衣装に身を包んだ、可憐な乙女がいた。賊らを見て、その乙女は。

「何がやはり、なのかな?」

 悠然と微笑んだ。そして。

「ぐええええ!!!」

 賊の喉を、剣で一突きにした。

「なっ!?」

 もうひとりの賊も、驚いている間に刺し殺す。

「そうだよねー、皇家の子女があんなに颯爽と馬を走らせられると思わないよねー。でもさー、できちゃうんだなー、ウチの殿下は」

 血濡れた剣を手にそう呟くのは。

「そらよっと」

 リク・ガーネット。馬車を降りると、純白のドレスのまま油断なく次の敵を狙い、馬を奪った。

「つーか殿下が自分でとび出していくなら、俺がドレス着た意味なくない!?」

 ぼやきつつ、リクはドレスを剝ぎ取って、殿下の馬を追った。

 その、殿下はというと。

 途中、追いついて来たハンナ・オパールとともにひたすらにリードラを目指し、リードラ公の屋敷の手前で馬を降りた。ハンナの手を借りて大地に降り立った殿下を出迎えたのは、リードラ公……、ソール・サリードラそのひとであった。

「まさか皇女殿下がその身ひとつでやって来られるとは、思いもしなかったですよ」

 心底おもしろそうに、リードラ公が笑った。生気溢れる、美丈夫であった。

「道中で賊に襲われ、とにもかくにも殿下の御身だけはとお連れした次第でございます」

 ハンナが膝を折り、深々と頭を下げた。その後ろから、次々と従者らが到着し、馬を降りて居並んだ。

 ホウタツ・ジェイド。

 ガイ・オニキス。

 ジーク・サファイア。

 ルカ・シトリン。

 ネイ・アメジスト。

 ハンナ・オパール。

 リク・ガーネット。

 煌めく宝石たちを背に並べ、殿下は優美に微笑んだ。

「エリザベータでございます。どうぞ、末永くよろしくお願いいたします」

 殿下は、完璧なる可憐な声で挨拶をした。

宝石の名を持つ戦士を嫁入り道具に携えた、エリザベータ皇女殿下ことアルテム皇子殿下は、この日、リードラ公・ソール・サリードラに、嫁入りを果たした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

皇子殿下の嫁入り道具 紺堂 カヤ @kaya-kon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ