第21話ー刺客
宵闇が、肌にうるさかった。
皇子女宮殿の裏通路に身を潜ませ、リクはいつでも剣を抜ける態勢を取っていた。刺客と遭遇しかけた日から、八日が経っていた。今夜は、来る。間違いなく。発表までの残り日数から考えても今夜が最後の機会だろう。それでなくとも、リクは朝から嫌な予感がずっとしている。
「来るなら来いよ、早く」
誰に言うでもなく、口の中で呟く。と。
「っ!」
頭上から剣先が振るわれた。一切の音もなく。
「くっそ、あっぶね!」
すんでのところで避けはしたが、リクは久々に本気で命の危機を感じた。避けざまに横なぎにした剣は、相手の足をかすめたようだが傷は負わせられなかったようだ。相手の顔は、当然見えない。暗闇の中で、剣戟の応酬が続いた。それは実に激しいやり取りであるのに、奇妙なほど静かだった。
「~~~っ」
たった一手でも間違えば、死ぬ。その緊張感が、むしろリクの体の動きを良くさせた。
と、背後からもうひとり近づいてくるのを感じ、リクはぎょっとする。この状態でふたりを相手にするのは無理だ、と思った、が。
「!」
刺客の方が身を翻した。
「私が追う!」
背後からのもうひとりが、短く叫んで駆けてゆく。ハンナだ。
「そりゃ、そうか……、後ろから、ってことは宮殿内からってことだ、味方が来るに決まってる……」
荒い息の中で、リクは呟いた。咄嗟にそれがわからなくなるほどには、切羽詰まっていたということだ。実際、かなり危なかった。
「くせものだー、であえであえー、って叫べないところがつらいね」
本来ならば、襲撃される方はそのように騒いで味方に駆けつけてもらえばよいのだが、リクたちもまた隠れ忍んでいるわけなので、それができない。ハンナが襲撃に気づいてくれてよかった、とリクは心底そう思った。
ハンナは、ほどなくして戻ってきた。
「逃してしまいました」
悔しそうにしているのが暗がりでも手に取るようにわかる。
「殿下の命が守れたことをよしとしようじゃん。来てくれて助かった、ハンナ・オパール」
「ええ。ガーネットはもうしばらくここで警戒を。もうひとり来させましょう。たしか、ジェイドが動ける状態のはず」
「わかった。さすがにもう今夜はやって来ないと思うけど……、用心はしすぎるに越したことないし」
お互い小声で業務連絡を行い、リクは再び通路の壁に身を沿わせた。その後合流したホウタツとふたり、朝まで警戒を続けたが、結局、刺客はそれ以降やってくることはなかった。
そして無事、殿下の婚約発表が行われ、婚礼はその三日後と決まった。
「三日? それはまたずいぶん早くない?」
リクはパンを手に取りながらまばたきをした。隣ではガイがヴォドカを飲み、向かいではルカがリンゴを剥いている。珍しく、五人そろって食事をしているのだった。一応、最大級の警戒をしなければならない時期を抜けたとあって、全員が少しくつろいでいた。
「殿下が急がせたらしいわよ。あたしたちもいそいで出発の準備をしなくちゃね」
ルカが切り分けたリンゴを受け取りながら、ネイが言う。
「あ、そっか。俺たちも行くんだ。といっても、俺はたいして荷造りするような持ち物もないけど」
そんな会話をしていたところへ、ハンナとジークが姿を現した。
「お、全員いるな。ちょうどよく」
「ジーク・サファイア、ハンナ・オパール。いかがされましたか」
ルカが立ち上がって挨拶をしかけたのを、ジークは笑いながら手で制した。
「よせよせ。礼儀を尽くすのは殿下にだけでいいよ。俺とハンナは皆と同様、嫁入り道具の宝石なんだからさ。……で、そんな嫁入り道具の皆さんにお知らせだ」
「お知らせ?」
「うん。警戒を解くには、まだ早い、ってな」
「え」
驚く、というほどではなかったが、リクは軽く目を見張った。
「でも、とりあえず警戒を強めなければならないのは婚約発表までだって」
「うん、とりあえず、な」
「あ、その言葉が効いてくる感じね……」
リクは思わず苦笑してから、すっと背筋を伸ばした。刺客とやり合った際の緊張感が全身によみがえる。
「リードラへ着くまで気を抜かずにいてほしい。つまり……、婚礼当日が、最後の山場だ」
わかってはいたことであるけれど、ずいぶん物騒な婚礼になるようだ。リクは唇の端だけで、笑った。
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