第4章 暇な世界線
その1 ようじさんととしきさん(前編)
@いつかの2月14日
昼休みが潰れるのは気にならない。
気に入らないのは、人の昼休みをわざわざ潰しに嫌がらせに来る輩。
「先輩に置かれましては、本日も絶好調の当直明けでなによりです」
顔を背けたのがよほど予想通りだったのだろう。
視界の端に満足げな笑みが浮かんだ。
「一秒でも早く消えろ」
「まあまあ、多忙な僕にも用はありますって」三仮崎が紙袋の中から取り出したのは。
妙にデカイ箱。
「渡す奴を間違ってる」
「何を仰いますか。僕いまフリーですよ?」
「んなこと聞いてるんじゃない」
周囲に誰もいないのは知っていた。
病院の裏。
研究所が見えるここは、陽が差さない。
「本命ですよ?」三仮崎がむやみに顔を近づける。
「ったく、そんな奴ばっかいやがる」
「あ、もしかして。先越されてます? 弱ったなあ。こうなったら質で勝負するしか」
先、というのは。
同居してる弟。
こっちは仕事柄めったに家に帰らないが、向こうは仕事的に自宅内で完結するので、基本すれ違いで、生活リズムもばらばらだが。
昨日(昨日だったか)、当直前に差し入れと一緒に持ってきた。
そこそこの大きさの箱。
「なるほど、当直だから先に渡したわけですね」三仮崎が神妙な顔で頷く。「今回は僕の完敗です。先輩の勤務状況を把握していなかった僕の完全な落ち度で」
「いい加減諦めるっつう選択肢はねえのかよ」
お前も。
弟も。
「じゃあ僕のは友チョコってことにしてください」
「余計要らねえよ」
相手にすればするほどツケ上がるのでテキトーに切って。
じゃなかった。
なんつったかな、いまは。
「いらっしゃい」ようじがエントランスで待っていた。「なに?その手荷物」
「あいつらには俺の両手がフリーに見えるらしい」
「両方とも俺が握ってるのにね」
「どうりで余裕がねえわけだ」
3階の、ようじの私室に入る。
相変わらずの散らかり具合を予想していたが。
「あづまだよ」ようじは迷惑そうにソファのクッションを持ち上げる。「朝から探してるんだけどどこにもない。勝手に場所移動されると困るんだけどなぁ」
「何探してんだよ」
「としきにあげようと思って買っといたチョコ」
「マジかよ」思わず天井を見る。「あづまは?」
「えとり君のとこじゃないの? 呼び出されてたっぽいし」
そっちはそっちでよろしくやってるのか。
いやいや、人のことに構っている場合じゃない。
「ちゃんと探したのかよ」
「もうお手上げだから、見つかったらでいい?」ようじが面倒くさそうに言う。
「いやいやお前、それもらうために来たんだが」
「今日でも明日でも変わんないよ。賞味期限半年くらいあったはずだし」
割とショックな自分がいることに気づく。
「わーった。俺が聞いてみるから」あづまに電話をした。
「なに?」あづまはすぐに出た。
その2 えとり君とあづま君(前編)
@いつぞやの2月14日
勝手に大学に行くのは気が引ける。
呼ばれてるんだから堂々と入ればいいんだけど。
咎められたときのために念のためカードを預かってる。
いまだ出番はなし。
誰も気に留めない。
「おはようございまーす」秘書の人が挨拶してくれた。「あ、奥でお待ちですよー。どうぞどうぞー」
「おはようございます。どうも」挨拶はちゃんと返さないと。
奥ってことは。
入ってすぐに甘いにおいがした。
キッチンをのぞいたら、えとりの横顔と眼があった。
「おう」
「え、来るの早くない?」えとりは顔を上げずに言う。「まだ全然固まってないんだけど」
「別に固まってなくても」
「固まってなかったらただの飲み物だよ」
「それでも別に」
えとりがやっと顔を上げた。
不満そうに眉を寄せて。
「せっかく人が頑張ってるのに、そうゆうことは言わないでくれるかな」
「わかった。悪かった」
「わかってくれればいいよ。そこらへん座ってて」
床に座ろうとして、思い直してソファに腰を下ろした。
「困ったな。座っててもらっても固まらない」えとりはお手上げのポーズをしてエプロンをカウンタに放った。「どうしようか」
「どうしようかって」
急に飛びつかれたのでソファの座面に頭がぶつかる。
「おい、そうゆうことはここではしないって」ゆってたはずだが。
「固まるのが遅いのがいけないんだ」
「話が逸れてる」腕一本分の距離が取れた。「だいたいな」
父さんから持たされているケータイがふるえた。音が鳴るとうるさいので切ったままだった。
「え、ちょっと」と、えとりが遮る前に。
「なに?」電話に出た。「急ぎ?」
「俺の部屋片付けてくれるのはありがたいんだけど」父さんだった。「俺が頼んだときだけにしてね」
「何かなくなった?」
「大当たり」父さんが指を鳴らした音が聞こえた。「さて、何がなくなったでしょう」
「急ぎの用なのにクイズ? ううん」
父さんはすぐにクイズを出す。考える力をつけるのが目的らしいけど。えとりによると、愉快犯なだけ。
「だいじなもの」
「そうだね」父さんが優しい声で言う。「だいじなものだから、なくなると困るね」
「あ、わかった。わかりました」えとりが口を挟む。「ようじさん、動かぬ証拠を突きつけるからちょっと待っててください」
「は?お前、なに」する気だ、が口の中に消えた。
俺じゃなくて。
えとりの。
「ほら、やっぱりね」赤い舌に透明な粘液が滴る。「ようじさん、あづま君、食べちゃったぽいですね」
「はあ? おい、あづま」親父の怒鳴る声がケータイから聞こえた。
「そんな気がしてたよ」父さんがわざとらしく溜息をつく。「お小遣いはもともと俺のカネだから弁償しなくていいけど、ここで怒り狂いそうなとしきに何かひとことあってもいいかもね」
「ごめんなさい」
「だってさ。赦してあげてよ」父さんが言う。
「わざとじゃなければいい」親父は怒ってなさそうだった。「それに、なんだ? 怒り狂いそうてのは、なんつーか、言葉の綾だ」
「あや?」
「気にするなってことだ。わかったか?」
「わかった。ほんと、ごめんなさい」
「わかったらいい。邪魔したな。じゃあ」電話が切れた。
「チョコ美味しかった?」えとりが至近距離で睨んでいる。
「うん、珍しいものがあったから開けてみたら」
「言い訳はいいよ。チョコは僕があげるってゆってたじゃん」
「怒ってるのか?」
「怒ってるよ」
「なんでお前が怒るんだ?」
あのチョコは、父さんのだったわけだし。
「わからない?」えとりの顔が険しくなってくる。
「全然」
「はぁ」えとりが顔を離して息を吐く。
「なんだよ」
「あげたくなくなってきちゃったな」
「じゃあ別にそれでも」
「欲しいってゆってよ!」
「どっちだよ!」
あげるってゆったり、あげないっつったり。
わけがわからん。
そもそも俺が欲しいってゆったか?
そっちがあげたいってゆったからこっちは。
「わかった」えとりがソファから立ち上がってぶつぶつ喋る。「アレは親チョコだからノーカン。しかも勝手に食べたわけだし」
「えとり?」
「ごめん、僕が大人げなかった。固まったか見てくる」
付いて行って一緒に台所をのぞいた。
「まだみたい」えとりが表面をスプーンで触りながら言う。
「これホントにチョコか?」
「チョコは入れてないよ」
「?」
「チョコを使わずにチョコを作ってる」えとりは得意そうだったが。
それはもはや。
「チョコじゃないんじゃないか?」
えとりが、「そうかな?」みたいな顔で首を傾げた。
その3 としきさんとようじさん(後編)
@いつだったかの2月14日
としきにあげる予定だったチョコをえとり君が食べてしまったので、その罪滅ぼしに、としきの行きつけのラーメン屋に来た。なぜか俺が奢ることになったんだけど。
「そこはフツーにチョコ買い直して渡すのがフツーじゃない?」
「俺がいいっつってんだからいいだろ。ほら、さっさと喰え」
食券買ってカウンタ席についたらもう出てきた。
メニューが2種類しかないから、用意も楽なんだろうか。
「美味いか?」としきのはもう半分以上なくなっていた。
「たまにしか食べないから比べようがない」
「そこは素直に美味いって言っとけよ」
むしろチョコよりもこっちのほうがよかったのかもしれない。
結果論だけど。
「あいつ、わざとやったんじゃねえか?」店を出てからとしきが言った。
「もうどっちでもいいよ」
結局、慣れないせいで半分も食べられなかった。残りはとしきの胃へ。
「はー、喰った食った」としきが満足そうに伸びをする。
「楽しそうだね」
「お前が楽しそうだったらもっと楽しいんだがな」
冷たい風が眼に入った。
「楽しいよ」
「そうか? そうは見えねんだが」
「え? 顔に出てない?」
「お前の顔はわかりにくいんだよ」
そのあとなんとなく、としきの車に乗ってその辺をドライブした。としきの運転だとドライブていうより、レースゲームをしているみたいになるのが玉に瑕。
「どこか行きたいとこあるか?」としきが上機嫌で話しかける。
行きたいところは。
「ぜんぶ行ったよ」
「じゃあこれから行きたいとこは?」
これから。
行きたいところ。
「考えてなかったな」
「1ケ月あるから、考えとけよ」
ホワイトデーかな。
「連れてってくれるってこと?」
「一緒に行っていいならな」
「えー、どうしようかな」
ぜんぶ終わったら。
としきに愛想尽かされてなきゃいいよね。
その4 あづま君とえとり君(後編)
@いつでもない2月14日
固まったチョコを一緒に食べて、のんびりする。
あづま君は眠くなって寝てしまった。寝息はよく聞こえない。
ちょっとチョコ食べすぎたかな。
頭も痛くなってきた。
記憶と夢と幻と。
ぜんぶこんがらがって。
とろけて。
消えちゃった。
千代に、いやチョコに 伏潮朱遺 @fushiwo41
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます