第3章 前夜世界線

その1 ムダ君とスーザちゃん

 @『エバルシユホフ』(12月)と『アダザムンライ』(4月)の間の2月14日


 嫌な予感どころか絶対に今日は事務所に顔を出さないつもりでいた。

 課長から5分おきに呼び出しの電話が来たって無視する気満々でいた。

朱咲スザキなら昨日から鍋を見張り続けているらしいぞ」と、先生から有力な垂れ込みがあったので完全に出社拒否を決め込もうと思っていた。

 が。

 こうゆうときに限って事件が起きる。

 お願いだから今日だけは静かでいてほしい世間のクソガキ共よ。

「お待ちしていましたわ!」エプロン姿のスーザちゃんが満面の笑みで事務所待機。「さあさ、ムダさん。景気づけにわたくしの作った渾身のチョコをぽいっと一口」

「原材料を添加物まで全部一覧表にして見せてくれたらね」

「まあ、ひどい。食べられないものを混入しているとお思いですのね?」

 そりゃあ、そんな意味のわからない濁った色を見せられたら。

 そういえば、こうゆうときに横やりを入れる減らない口がいない。

「課長は?」

「すでに現場ですわ。もう、ムダさんはいつもわたくし以外を気にされる」

「とにかく行こう」

 被害者の少女のケアを最優先。

 加害者の少年は先生に任せて。

 終わった。

 帰ろう。

「あら、ムダさんどちらに?」スーザちゃんの高い声が脳天に突き刺さる。

「スーザちゃん」

「はい。なんですの?」

「ちゃんと味見した?」

「ええ」

「美味しかった?」

「ええ、それはもう」

 スーザちゃんの味覚は大丈夫でない節が浮上した。

 その辺にいた課長もいつの間にやら姿が見えないし。さては危険を察知して逃げたな。

「持って来てる?」

「ええ、受け取っていただけるの?」

「受け取ったら食べなくてもいい?」

「なぜそのように頑なに警戒なさるの?」

 いや、だってそのヤバい色見ちゃったら。

「市販品でよくない?」

「もう、ムダさんは。乙女心を全否定なさるのね?」

 そんなことは言ってないんだけど。

 スーザちゃんは機嫌を損ねて行ってしまった。

「それはムダ君が悪いな」電話口の瀬勿関セナセキ先生が言う。「体調に異変があればあったで私が解剖して」

「それは結構です」

「冗談だ。謝るのは早いほうがいいな」

 対策課事務所の上階が、スーザちゃんが継いだ祝多イワタ出張サービスの事務所兼スーザちゃんの自宅。呼び出しブザーを押すとすぐにスーザちゃんが顔を出した。

「えっと、さっきはごめん」

「気にしていませんわ」スーザちゃんは表情を変えずに言う。「わたくしも生まれて初めて作ったことで浮かれていましたの。試作品を贈りものにしてはいけませんわね」

「今年はそれでいいよ。来年また作ってくれれば。今年のより上手く作れるはずだしね」

「ええ、わかりましたわ」


 ***


 来年なんて。

 来なかったのですけれどね。



















その2 エビスリ課長とアレクサ本部長(前編)

 @『アダザムンライ』よりあとのどこかの2月14日


 まずは赤火あかほちゃんからもらった。友だち(いい友だちができたんだね)と一緒に作ったらしい。ハート形で一口大の。他にもいっぱいもらうだろうから、と気を遣ってくれたようで。さすがのよくできた娘だ。10代にしてすでにどこに出しても恥ずかしくない。ありがとうね。

 次に白光しろひくんから。バイト(まっとうなやつ)代で買ってくれたってだけで涙が止まらない。知る人ぞ知る、数量限定のレアなやつ。並んだのか抽選で当たったのかはわからないけど、そうまでして手に入れてくれたのが嬉しい。ありがとうね。

 お次は黒土くろどくんから。ほぼ白光くんと同時。赤火ちゃんに先を越されたのを知って悔しがってたけど、自分が一番上だからってそんなに気負わなくてもいいのにね。雇い主の瀬勿関セナセキ先生からのアドバイスで、先生一押しらしい。それは期待大。ありがとうね。

 最後に青水あおみくんから。遅くなったのは、どれがいいのかわからなくて探し回ったかららしい。誰にも相談せずに自分だけで決めたかったってのが君らしいね。少ないお小遣いから工面してくれてごめんね。次回の参考に好みリサーチ? そうだね。君からもらったものなら何でもうれしいよ。ありがとうね。

 んで、だ。肝心の俺はというと。

 例え今日が日曜だって祝日だってなんだって、自宅でゆっくりまったり過ごすなんてことはないし、況してやド平日のなんてことない日には市中を駆けずり周っているわけで。合間合間で本部長室をのぞくけど、姿が見えた試しはなし。

 不審な行動を察した本部の人(事務方の人かな)が、今日明日と出張で不在、という超重要情報をくれたのが夕方過ぎ。

 なんで。

 そうゆうだいじなことを。

 俺に言っていかないのか。

 電話もつながらないし、メールも返事がない。

 もうこれ、自分で食べるかな。

 諦めて寝ようとしたときに。

 いや、ないな。着信も返信も。

 寝よ。

 次の日の夜に、出張とやらを終えた本部長が帰ってきた。





その3 エビスリ課長とアレクサ本部長(後編)

  @『アダザムンライ』よりあとのどこかの2月15日


 出張先でその光景を目撃して気づいた。

 今日が、その日だったか。

 しまった。

 日帰りする予定だったから何も言わずに来てしまったが。

「日が悪かったようですね」埼玉県警本部長が気を遣う。「休憩にしましょうか」

「いえ、内容が内容なので」

 今日でなくてもよかったが、極力早く目を通したかったのも事実。

 徒村等良アダムラなどよしの元上司が持っていた、タ=イオワンに関するすべて。

 なぜこれが埼玉県警本部長の手元にあるのか。

「これは聞かなかったことにしてほしいのですが」埼玉県警本部長が背を向けて言う。「彼は私の生物学上の父親だった。こちらは顔も存在も知らなかったのですがね」

 つまり、徒村等良の元上司は、埼玉県警本部長の実父ということになる。

 彼は死後、生き別れの息子に悪の処遇を託した。

「前置きが長くて申し訳ない。ここまでご足労戴いたことに報いたいので本音を言います」埼玉県警本部長が正面を向いた。「握り潰すには私の信条にもとる。これは悪だ。間違いなく紛れもない悪。しかし、これを私に託したのは、嫌がらせの他にない。私はこの悪をどうにかするよりも大切なものがあるんです。この悪をどうにかするというのと、私の大切なものを守ることは相反することでしかなく」

「要するに、受け取らなかったことにしてもっと役に立ちそうな他人に責任ごと押し付けたい、と。そういうことですか」

 埼玉県警本部長は返事をしない。

 間違っていないから否定をしないだけ。

「受け取った私がこれを役立てるかどうかは保証できかねますが」

「構いません」埼玉県警本部長が苦々しい表情で言う。「申し訳ないが、なりふり構っていられない。提案に乗っていただいて感謝します」

 受け取ったのは紙ではなくデータ。バックアップがあるのか尋ねたが、黙って首を振られた。

 ここで落として踏んづけたら、これはこの世から抹消される。

 個人的な恨みはないわけではないが、触らぬ神に、とも言う。これをどうするか考えているうちに愛知県警に戻ってきてしまった。

 夜。

 恐る恐る私用のケータイの電源を入れる。

 それはそうか。

 必要なのはまず謝罪だろう。オズ君に電話をかけた。

「すまなかった」何か喋る前に先手を打った。

 すでに後手なのだということは置いておいて。

「言い訳とかあります?」オズ君の声は乾いていた。「もう寝るんで、明日でもいいですけど」

「電話では話せない事情で埼玉県警に行っていた」

「それもうほぼ言ってますよね?」オズ君が息を漏らした。「密談なのはわかりました。でもそれとこれとは話が別です。行き先は内緒でもいいですが、せめて出張に行くならそう言ってから」

「すまなかった。連絡を取れないようにしていたのもすまなかった。どこかでこの埋め合わせをさせてほしい」

「わかりました。挽回の機会を与えます。今月中にお願いします。じゃあ、おやすみなさい」

 早口でまくしたてて、電話が一方的に切れた。

 なるほど。機会は与えるから、方法は自分で考えろと。

 週末に温泉に誘った。もちろん子どもらは留守番だ。文句を垂れる奴がいたら土産で黙らせようと思っていたが、誰ひとり反対せずむしろ笑顔で送り出してくれた。

 順調にいい子に育っている。オズ君と私の教育の賜物だろう。

 オズ君は内風呂(露天)がお気に召したらしく、何度も出たり入ったりを繰り返している。

「聞いてほしい話がある」

 露天だと外に声が漏れるので、浴衣を着て部屋に入ってもらった。

「出張の件ですか」空気を読んだオズ君は小声で言った。

「向こうの本部長から、祝多イワタに関する捜査資料を預かった」

 オズ君があからさまに嫌そうな顔をした。

「何だい?その顔は」

「お気づきだと思いますけど、それ、明らかに押し付けられてますよ」

「よくわかったね。押し付けられに行ったんだよ」

 オズ君があきれたような表情になる。

「まさか、俺の復讐をしようとかそうゆう」

「そうも考えたんだが」

「だが?」

「どっちでもよくなっているというのが本音だ」

「なんです?それ」オズ君が首を限界まで捻る。「じゃあなんでわざわざ押し付けられに行ったんです?」

「なんでだろうね」

「はあ」

 オズ君がお茶を淹れてくれた。熱くて美味しい。

「生きていると思うか?」

 祝多イワン。

 タ=イオワン。

「ご主人が殺したとか言ってましたね」オズ君が座布団を丸めて枕にする。「でも、いましたよね? あのとき」

 もう何年経つのか。

 あのとき。

 徒村等良が死んだとき。

 あのとき見たのは。

「押し付けられたのはデータですか?」オズ君が仰向けのまま言う。

「そうだね。その方法が確実だね」

「なんでそんな歯切れ悪く言うんですか? ここまで聞いたらもう戻れませんて」

 仰向けのオズ君に覆いかぶさる。

「どうすればいいと思う?」

「答え出てるくせに」オズ君が蠱惑的に微笑む。「持ってきてますか?」

「ああ」オズ君の手に握らせる。

「こうするんです!」オズ君は仰向けのままそれを放った。

 落下地点の先にあったのは。

 窓の外の。

 内風呂。

 ぽちゃんと音がしたが、どうでもよかった。

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