第2章 楽園世界線
その1 ジンナイさんとキリュウさん(前編)
@『アダザムンライ』第5章より後
フランスに滞在して何回目かの冬。
食事と睡眠と入浴その他生理現象に伴う活動以外で止まることのないともる様のピアノが、止まった。右柳ゆーすけとオンラインでやり取りしながら互いの演奏を聴かせ合っていたはずだが。
「ちーろ」ともる様が私の自室をノックする。「一ヶ月暇をやるから、墓参りに行って来い」
思わずドアを開けた。
「それはクビということでしょうか」
「どうして一ヶ月の暇が解雇に聞こえるんだ。父親が死んだのに、葬式にも行かなかったと聞いたが」
「どこからそれを?」
一瞬であらゆる可能性を思い浮かべたが。
「あいつが埼玉県警から」
あいつ、というのは右柳ゆーすけなのだろうが。
右柳ゆーすけは、ドイツにいるのに埼玉県警と交流があるのか?
他人の個人情報を垂れ流すくらいに?
「あの、ともる様。お言葉ですが、死んだ陣内は確かに私の名字の大元ではあるんですが、生物学上の父親ではなくて、その、ただの」
「父親には違いないだろ? ほら」
と、断れる状況にもなく直行便で帰国。
最後に日本に帰ったのは。
ええと。
割と最近だった。1年も経っていない。
いま気づいたことがある。
陣内の墓の場所を知らない。
さて。
どっちに連絡すべきか。
ここを間違えるとこの滞在が不快なもので終わってしまいかねない。
不快でも別に構わないのだが、私は嘘が下手だから、不快が全面に顔に出てともる様を悲しませるのが不本意極まりない。
仕方ない。
不快でないほうを採ろう。
「いま時間あるか」
「久しぶりに連絡してきたかと思えば」鬼立が息を吐く。「いまどこだ? いつ帰ってきた」
「成田。ついさっき」
どたんばたんと何かが倒れる音がして。
「いいか。そこを動くなよ」と刑事ドラマみたいな台詞を吐き捨てて。
電話が切れた。
埼玉県警本部長を平日午後に電話一本で管轄外に呼び出すことは是か非か。
10割0割で非だろうな。
「何しに、来た?」全速力で息も絶え絶えの鬼立が視界に入った。
「まさかパトカーで来てないだろうな」
駐車場にあったのが鬼立の私用車でとりあえずホッとした。
「何のつもりだ」鬼立が発進準備をしながら言う。「何しに来た」
「出頭か。捜査協力か」
「いい加減なことを言うな。4月のアレだって結局」
「ともる様の計らいで陣内の墓参りだ」
鬼立の特技は、精神的心理的な事情で運転をミスらないこと。
高速道路を順調に飛ばす。
2台ほど車を追い越した。
「なんか言え」
「正気か?」鬼立が前を見ながら言う。真っ直ぐに。
「正気ってのは?」
5台ほど車を追い越す。トラックと観光バスも。
「笑えよ」こっちは全然可笑しくも何でもないのだが。「俺だってどうかしてると思ってる」
「気が違えたとしか思えないが」
「奇遇だな。俺もそう思ってる」
インターを降りて、一般道を走る。
陣内の墓に向かってくれているのか、まだわからない。
「本気なんだな?」鬼立が念を押す。
「そんだけ言われるならやめたくなってきたんだが」
「なぜ顔も知らない生物学上の父親の喪主を俺がやることになったと思う?」
「顔は知らなくても生物学上の父親だからだろ?」
「そうじゃない」鬼立が一瞬こちらを見た。「葬式に出てないお前は知らないだろうが、母は反対した。あの二人が仲が良かったらこうはなってないわけだからな。俺たちを捨てたクソ野郎の葬式なんか開く義理はないと。俺だってそう思った。けど」
「けど?」
窓の外の景色に緑が多くなってきた。いつの間に山に?
「殉職らしい」鬼立がハンドルを切りながら言う。
峠のカーブの遠心力で、脳天が車の天井をこする。
「らしい?」
陣内の死因が殉職かどうかなんかどうだっていい。
らしい、ということは。
それを誰か関係者から聞いたということだ。
そして、殉職かどうかもよくわかっていないということだ。
「知らないうちに知らない奴に殺されてたってことか」思考を整理するために声に出した。「ざまあねえな。自業自得の見本市じゃねえか」
聞こうと思ったことがあったが窓を開けて放り投げた。
「寒みィな」すぐに閉めた。
「仇打ちなんか考えてないから安心しろ」鬼立が言う。
「わざと言わないでやったのに」
車が止まった。
草むらに、朽ちた建物。
いや、燃えた?
「陣内が、いや、お前相手だと紛らわしいな」鬼立が首を捻る。「陣内千尋が出世したきっかけになった事件の舞台らしい」
「俺は墓に連れて行けと言ったはずだが」
「ここだ」
その2 ジンナイさんとキリュウさん(後編)
@『アダザムンライ』第5章より後
建物の焼け跡をぐるりと一周観察して、探偵が戻ってきた。
「焼けてから随分経ってそうなのに、放置か。わざと残してるのか。ああ、墓だったな。いや、墓って勝手に掘ったら駄目じゃなかったか」
「遺言があった。ご丁寧に生き別れの息子の俺を指名で。喪主を務める条件で、これまで集めた捜査資料の一式を」
探偵が怪訝そうな顔をした。
「わかっている。捜査資料、しかも陣内千尋が追っていたのは」
この世すべての悪を凝集してもなお闇深い。
ベイ=ジンという女。
この通称も陣内千尋による命名。
そして、この女は、
ここにいる探偵と浅からぬ血のつながりがある。
「なるほど」探偵が私の思考を見透かして鼻で嗤う。「警察庁に返さずに、お前に託したってことは」
本当に渡したかったのは、他人の
「俺なんかに渡したらそれこそ燃やしちまうかもしれないのにな」探偵が冗談まじりに言う。「ああ、違うな。お国に返さずに処分してくれってことだろうな。持って来てるのか?」
「俺がそんな重要な資料をみすみす灰にするわけがないだろう」
「利に適いすぎてぐうの音も出ないわな」
山は日が陰ると一気に冷える。
探偵がコートのポケットから線香を取り出す。風に煽られてなかなかマッチの火が燃え移らない。私が風よけに立ったがあまり効果がなかったので、探偵と交代した。図体のデカさはこうゆうときに活きる。
火が移ったら移ったで、尋常ではない炎が上がった。とても持っていられなかったので地面に放ったが、探偵が目線で首を振った。
確かに拾おうにもキャンプファイアよろしく炎が上がっているし、線香もあっという間に灰になってしまった。
まあ、いいか。
探偵は立ったまま適当に手を合わせた。私はしっかりと膝を追ってから。
火が消えるまで見守って、燃え残りを踏んづけて土をかけた。飲用に持ってきていたペットボトルの水もかけたので、失火の心配はまずないだろう。
「んじゃ、帰るか」探偵が言う。「本部長サマを長々と拘束しても悪いしな」
車を発進させて帰路を辿る。
すっかり夕刻を過ぎている。
「実は本部を出てからずっと振動しっ放しだ」鬱陶しいのでとうとうケータイの電源を切って後部座席に放った。「一緒に言い訳を考えてくれ」
「正直に言やいいだろ。伝説の探偵とデートしてましたってよ」
「直接言えるか?」
「言っとけ言っとけ。あの坊ちゃんはそろそろ諦めてくれたほうがこっちも都合がいい」探偵が空笑いしながら言う。
ん?
デートか。
デートだったのか。
「泊まっていくのか」
「いや、用が済んだら帰る」
成田まで送った。
夕飯を一緒に食べた。
フライトの1時間前になった。
「あ、そいやあ」探偵がコートのポケットからビニール袋を放って寄越す。「これ、フランス土産。んじゃ」
振り返りもせず行ってしまった。
どことなく線香くさかったが、中身は。
「へえ、直で手渡すのがあの人らしいですよね。むしろそのために11時間もかけてフランスから飛んで来たのかな?」部下の龍華が手元をのぞきこんでいた。「これは提案なんですが、半分ほど戴けれるのなら口封じに最大限ご協力いたしますけど?」
反射的に距離を取ったが、すべてが遅い。
予想していなかったわけではないが。
「いつからだ」
「ええと?そうですね」龍華はわざととぼけたような表情を作る。「伝説の名探偵とデートがどうとかっていう辺りが特に印象に残っていますよね」
最初から最後まで見られていたし聞かれていたと考えたほうがいいだろう。
あとで自分自身の身体検査をする必要がある。ケータイや車も含めて。
「はあ。まったく驚いていないのは、僕の実力を過不足なく評価してくれているものとして好意的に取っておきましょう」龍華が不服そうに私をねめつける。「この若さで某県警本部長まで登りつめたエリート。そこそこ顔がいいのになぜかここまで独身で、かつ、浮いた話を一切聞かない。そんな仕事一筋の男が平日午後に突然職場放棄して、自家用車で消えたらそれはそれは現場は混乱するでしょう。ええ、でも僕は、むしろ僕は落ち着いていましたよ。行き先も、何しに行ったのかも、誰に会いに行ったのかも、僕にだけはわかった。どうです? 僕にそのフランス土産、半分といわずそっくり全部譲りたくなってきたんじゃないんですか?」
駄目だ。
反論のはの字も浮かんでこない。
黙って袋ごと差し出すしかなさそうだった。
本部に戻って、やけに足取りの軽い龍華を追い払う。
一刻も早く車からGPSやら発信器やら盗聴器やらを取り外そうと思ったが、それらしきものはなく、代わりに荷台から見覚えのない紙袋を見つける。
これは線香くさくなかった。
中身は。
GPSと発信器と盗聴器(すべて破壊済み)と、小さい箱。
探偵が書きなぐったらしい小さい字でメッセージがあった。
―――あっちは義理。こっちが本命。バーカ
沈黙させていたケータイで日付を確認する。
あとで聞いた話だが、結局探偵は一ヶ月間国内にいたらしい。あのとき格好つけて国際線に乗ったと見せかけて、実は乗っていなかったという。
相変わらずそうゆう意味のわからない工作が得意というか板に付いているというか。
一ヶ月か。
一ヶ月こっちにいるのを知っていたら、お返しも渡せたのに。
と思った。ちょこっとだけ。
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