第3話 マリーの憂鬱

 給仕の日々は目まぐるしく、休まることはない。

 手が空けばお掃除はできるし、雑用は頼まれる。そうバタバタと走り回っていたら、私はここにきて5年を迎え、15歳になっていた。かといって、何が変わったというわけではない。赤毛はいつものように赤いし、着潰した制服はくたびれているし、そばかすは顔にある。変わったところがあるとすれば、少し身長が伸びて、髪が伸びたことくらいだろう。


 変化といえば、私よりもエリンだ。


 エリンが来てから2年。彼女は寮の中でとても人気があった。

 元より明るくて社交性がある彼女だ。誰にだって自分から話しかけるし、コロコロと良く笑うので誰からでも話しかけれらていた。

 それに16歳になった彼女は、さらに輝きが増したように感じる。以前は小女性の愛らしさに溢れていたが、急にぐっと伸びた足やメリハリのついてきた体は少女から女性に変わろうとしているようだ。

 順調な成長。蝶よ花よ。


 彼女が蝶なら私はこのコロイモだな。と泥を洗い流していた芋を見つめた。

 コロコロと小さくて、無骨な見た目をした脇の存在。そのくせ固くて手を加えないと食べられない。可愛げがない。

 自分の情緒を不安定にするのは朝飯前(今は昼過ぎ)だ。一つため息をついて鍋一杯に入ったコロイモに最後の一個を乗せた。

 

 「さて」


 厨房まで持って行きますか。

 よいしょと勢いをつけで鍋を持ち上げた先にエリンの姿が見えた。彼女はいつものように洗濯カゴを持っているのだが、彼女の横を歩く茶髪の男性もまたカゴを持っていた。男性の持つカゴはエリンが持っているものよりもたくさんの洗濯物が入っているように見えた。遠目からでも服装でわかる。あれはこの第8騎士寮の兵だ。

 気をつける、と言ったのはいつのことだっただろうか。

 もうあんな光景は見慣れたものだし、誰も何も言わないので気にしている私がおかしいんだ。落ち着かすようにもう一度大きく息を吐いて、エリンから目を逸らし、逃げるように歩き出す。


 「マリー!」


 私の姿に気づいたエリンの呼ぶ声がする。うっと振り返ろう足を動かした先に、予想外に丸いものを踏みつけた。それはぐりんと足の裏で回り、私の足を思いがけない方へ投げ出した。

 

 「うわぁあぁ」


 情けない声が私の口から出ると、世界が急に傾き、コロイモが空を飛んだ。視界の先で金色の綺麗な髪が揺れ、次の瞬間には世界が白くチカついた。ごちん。

 頭の奥で音が響いた途端、頭の角に激痛が走った。

 コロイモが入った鍋を持っていたせいでうまく受け身が取れず、人が見ている前で情けなく頭を地面に叩きつけていた。

 痛いやら恥ずかしいやら、私は頭を抱え込むことしかできない。


 「ま、マリー!?」

 

 滑り込むように私の元へかけてきたエリンは、優しく私の肩を掴んで起こしてくれた。頭に怪我がないかを確認し、服についた砂を落としてくれる。


 「ごめんなさい、急に呼びかけちゃったから」

 「ううん、ただの私の不注意。いたた」

 「顔擦りむいちゃってるよ。赤くなってる」


 エリンは給仕服の前掛けについているポケットからハンカチを取ると、すぐ後ろにある水場で濡らし、私の顔に当てた。言われてみれば目の下当たりが痛い。

 落ち着いてきた頭で周りを見るとそこかしこにコロイモがコロコロしている。せっかく洗ったのに水に濡れているので逆に砂がついてしまっている。台無しだ。

 地面に座り込んだまま近くのコロイモをぼちぼちかき集める。あぁなんて不甲斐ない。

 

 「あとでちゃんと手当てしてもらお?」

 

 心配そうに覗き込んでくるエリンに、大丈夫だよと微笑み返す。確かに打ち付けた頭は痛いし、顔も痛いし、体のあちこちも痛いが素人目にも大したことはなさそうだ。

 私の手の届く範囲にあるコロイモをそれなりに集めたので転けた時に投げ捨てただろう鍋を探すためにぐるりと周囲を見渡した。するとぐっと顔の前に鍋が突き出された。


 「周りのは拾っておいたから、あとはそれだけだよ」


 私の前に出された鍋の中には砂を纏ったコロイモが入っていた。そのまま顔をあげ、声の主を見ると、エリンの横で洗濯カゴを持っていた兵士がニコッと笑いかけてきた。

 そうだ、私の無様な様を見届けたのはエリンだけじゃない。顔に熱が集まるのを感じて、私は目の前の鍋を受け取りそのまま顔を隠すように下を向いた。


 「あ、ありがとうございます」

 「別に別に。それよりすごい格好で転けたけど、足とか捻ってない?」

 

 すごい格好とは周りから見て私はどんな滑稽な転け方をしたのだ。もういい忘れてくれないだろうか。特に体の調子を確認することなく、大丈夫です大丈夫ですと手をバタバタと振って答える。それで納得してくれるわけもなく。

 一度立ってみて、だとか。服は破けてないか見せて、だとか。エリンとその兵士は代わるがわる気にかけてくれたけれど、自分の醜態をとにかく忘れて欲しく、その場からすぐに逃げ出したかった。


 「本当に、本当に大丈夫なので。心配してくださってありがとうございます。もう大丈夫ですので。

  エリンも気にしてくれてありがとう。もう大丈夫」

 「本当?僕が持って行こうか?」

 「本当に、本当に結構なので!」


 助けてもらった上に、運ばせるだなんて!申し訳なさの上塗りで、慌てて鍋を抱き込む。

 

 「アル、私のも持ってくれてたのにいいの?」

 「あれは僕の出し忘れの洗濯物を受けっとってもらうためには運ばせていただかないと。それはそれ、これはこれ」

 「ほらマリー、アルもこう言ってくれてるし、頭打ったみたいだしちょっと休んでいた方がいいわ。コロイモならお洗濯ついでに私が洗っておくから」


 ね、と頑なに鍋を離さない私の腕に手を置き、諭すようにポンポンと背を叩く。その叩かれた背中も肩甲骨あたりが痛い。

 アルと呼ばれた兵は私が抱え込んでいる横から鍋のとってを掴んでいた。

 笑顔に挟まれ、心折れたと同時に腕の力が抜け、するりと鍋は抜けていき、私はエリンに支えられながら水場の淵に座らされた。

 エリンとアルは2人でコロイモをざざっと洗っていく。2人でやるのでどんどんコロイモは綺麗にされていく。

 

 少し距離ができたことで、私はアルをちゃんと見ることができた。

 

 アルは私やエリンより少し年上で、だいたい16歳か17歳くらいの男性というか青年だった。

 スッと伸びた身長は、私たちより頭ひとつ分ほど大きい。しかし。その大きな体躯についた顔は垂れ目がちで、どちらかと言えば可愛げがある。風に揺れる茶色い髪も柔らかそうだ。

 長い足を窮屈そうに曲げて、エリンの隣で楽しそうにコロイモを洗う。


 遠巻きに見れば、なんだかとてもいい雰囲気に見えた。

 

 やっぱりエリンはすごい。

 いつのまか知り合って、仲良く名前を呼ぶまでになっている。私はこの5年間そういった間柄の人はいない。私の名前を呼ぶ人なんて、同じ給仕の仲間たちぐらいだ。

 騎士の中には貴族のご子息がいらっしゃることもある。このアルがどういう立場の人かはわからないが、この物腰の柔らかさから傭兵上がりということもないだろう。

 

 いいじゃないか、お似合いだ。

 コロイモじゃなくて持っているのがお花だったら、どこかで読んだ本の1シーンのようだ。

 ぼんやりと2人を見ながら、少し痛む手首をぐるりと回した。

 

 

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女給マリーとそばかす 燈井 真 @smith02

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