Epilogue
ep.30 最高の恩返し
「ただいま」
亮真と夏海と話を終えた朔那は帰宅した。すでに陽は沈んで部屋は暗く、人の気配はない。
食事会をすると言っていたが、まだ誰も来ておらず、紗理奈は食材を買い出しに出たのだろう。
廊下の電気をつけてリビングに向かう。扉を開けて、いつもの場所にあるライトのスイッチを押すと、突然大きな破裂音が響き渡った。
驚いて固まる朔那の前には、クラッカーを鳴らし終えた真綾と瑠偉が立っていた。その奥のテーブルのそばに紗理奈と虎徹が微笑んでいる。
「これは、何事?」
「朔ちゃん、元気ないと思ってたら、いろいろ大変だったんでしょ?」
事情を知らなかった真綾と瑠偉に、虎徹がすべて話したのかもしれない。解決したあとなら、隠す必要もない。
「なんで言ってくれなかったんですか。水臭いっすよ」
「ごめん、巻き込みたくなかったんだ」
「私たちにできることはなくても、心配したんだよ? でも、将来は九十九の社長になるわけでしょ? 紗理奈さんは社長夫人だね」
「これで朔も俺と同じ、跡取りだな」
あれ、なんだか話の流れがおかしい。
虎徹を見ると、彼は悪い顔で笑っている。
そうか、真実は伝えずに何か他の問題で悩んでいたことになっているのか。ならば、そのままでいい。
過去を話す気分でもないし、本当のことは気が向いたら伝えよう。
紗理奈が顔を赤くして真綾に「そんなんじゃないですから」と文句を言っている。こんな時間を幸せに感じることが、幸せなのだろう。
食事の準備は終わっており、紗理奈の手料理や、中には虎徹が持ってきた白幡屋の料理もあった。
朔那は箸を取り、小皿に食べたいものを入れていく。
今まで味のしなかった食事が、やっとおいしく思えるようになった。
これからのことはまだわからない。真綾と瑠偉は、朔那が将来九十九グループを受け継いで社長になると思っているようだが、まだその想いはごく小さいものだ。
今回の事件を通して、桐生実誠というひとりの人間が刑事という肩書を捨て、夫として復讐に燃え、父として復讐心を長い時間押し殺してきた。
『将来』という言葉を考えるとき、人はなぜか大学や就職先ばかりを考える。しかし、本当に大切な『将来』とは、それだけではないはずだ。
朔那の将来が、九十九の社長であれ、他の仕事であれ、誰と一緒にいたいと願うのか、友人、恋人、家族、それこそが足跡を刻むということではないか。
「朔那くん、料理、口に合わない?」
思考で箸が止まっていた朔那を見て、紗理奈が顔を覗き込んで訊ねた。
俺が一緒に足跡を刻みたい人は、もう心に決めた。
「そんなことないよ。いつも通り、いや、いつもよりおいしいよ。あ、いつもおいしいけどね」
「そう、よかった」
こんな気持ちになったのは生まれてはじめてだった。
いろんな事情があって、家族と呼ばれる九十九の人たちとは本当の意味で心が通っていなかった。
友達がいなかったわけではない。学校生活はそれなりに楽しんだ。
だけど、人生の足跡を刻みはじめたのは、高校で真綾と瑠偉に出会ったときだった。それから虎徹に出会い、紗理奈に出会った。
ここにいる人たちと、これから何十年も幸福を分け合えることができたら、それが人生になる。
食事会は真綾の活気と瑠偉の天然が炸裂し、終始室内の空気は軽かった。
夜も遅くなり、虎徹はまだまだ喋り足りない酒が入った真綾と瑠偉を強引に引っ張って部屋を去って行った。
気を遣ってくれたのだ。彼はこれからも、朔那のよき理解者でいてくれるはずだ。
「片づけようか」
「私がやるから、座ってて」
「俺のために食事会やってくれたんだから、片づけくらいさせてよ」
朔那と紗理奈は綺麗に食事を平らげられた食器をキッチンに運ぶ。
よくもこれだけの量を五人で食べ切ったものだ。とはいえ、ほとんどを虎徹が食べた。彼は身体のサイズほどによく食べる。
「じゃあ、食器洗おうか」
朔那がシンクの前に立つと、紗理奈が彼の手を握る。
「どうしたの?」
「抱きしめてもいい?」
「なんで?」
「抱きしめたいから」
紗理奈がどうしてそんなことを言ったのかわからないまま、朔那は頷いて紗理奈のほうを向いた。
彼女は、自分より背が高い朔那の背中に両手を回すと、力強く、朔那の身体を包み込んだ。
「辛いときは、泣いていいんだよ」
「辛くないよ。紗理奈さんがいるから」
「私の前では、ありのままでいてほしい。我慢しないでほしい。私にできる恩返しは料理を作ることだけじゃなくて、友達になることでしょ?」
涙は出ない、そう思っていた。なのに、彼女の声を聞いていると自然と雫が落ちた。
自覚もないうちに、暖かい涙が紗理奈の肩に落ちる。
「あれ、なんで泣いてるんだろ」
「それは、心が泣きたがっているから。だから今は、心に正直にいてもいいんじゃないかな」
理由がわからない涙が、次から次へと両目からあふれる。
本当は、悲しかった。辛かった。だけど、いつの間にか他人に弱い姿を見せることができなくなっていた。
それは、信頼していないということになる。だから、紗理奈なら、この姿を見せてもいいと、心が言っているのだろう。
どれだけの時間泣いたかは覚えていない。
だけど、紗理奈の身体を包み込んで、彼女に好きだと伝えたことは記憶にある。
それが、どういう言葉だったかはわからない。
だけど、彼女が「私も」と返事をしてくれたことは忘れない。
父が母を想う気持ちは、きっとこれと同じものだった。
この気持ちと、紗理奈のことを守り、共に歩く。
それこそが、これから残していく俺の足跡だ。
Fin.
亡霊の足跡 がみ @Tomo0
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます