ep.29 亡霊の足跡
朔那は大学の近くにあるカフェのカウンター席でホットコーヒーを飲んでいた。
ミルクも砂糖も入れず、苦いブラックコーヒーは心を落ち着かせるのに最適だ。
周囲にいる客は学生が多く、カフェモカやラテなどおしゃれなものを注文しているが、今の自分にそんなものは合わない。
ガラス張りになっているカウンター席からは、外の様子がよく見えた。学生たちが行き交い、スーツ姿の会社員やベビーカーを押す若い母親が目に入った。
空は快晴、雲ひとつない清々しい昼だが、朔那は浮かない表情をしている。
もうすぐ亮真と夏海がこの場所にやってくる。事件の真相をすべて朔那に伝えると待ち合わせをしているのだ。
「待たせてすまない」
背後から声がして振り返ると、そこに亮真と夏海が立っていた。朔那の顔を見て、ふたりは悲しい表情をする。
無理はない。
ここ最近まともに眠れていないため、酷くやつれた顔をしていることは毎朝鏡を見るから知っている。
目の下にはくまができ、瞳は虚ろで病人のような様相をしている。
亮真と夏海は朔那を挟んで両隣に座り、夏海は母のように、朔那の顔を心配そうに覗き込んだ。
「しっかり眠れてる?」
「生きるのに最低限の睡眠はとれています。大丈夫です」
「そう・・・」
眠れていない。
そう正直に答えはしない。弱音を吐いていても真実が変わることはない。
「いろいろと大変だったんですよ。椿さんがマンションに来て、土下座で謝罪されて。あんな大企業の社長が土下座なんてどんな噂が立つかもわからないのに」
「そう。それで、朔那くんはどうしたの?」
「正直に気持ちを伝えました。椿さんの命を救うために僕の母は亡くなった。だけど、椿さんの身体の中で母の心臓はまだ動いてる。それに、椿さんは自分が移植された心臓がまさか殺害された人のものだとは思ってなかったでしょうし」
椿の心情を考えると、彼女もまた苦しんでいるはずだ。こうやって生きていることすら罪悪感を持っているだろう。
「だから、許すことにしたんです。あってはならないことだけど、椿さんが助かったから今の僕がある。僕が桐生琴音の息子だと知っていたから祖父は僕を引き取って育てようと決めたそうですし。すべてが悪ではないですから」
そう言って朔那は窓の外を眺めた。彼が具体的に何を見ているかはわからなかったが、彼の目に映っているのはこれからの未来だ。
だから、亮真は真実を朔那に伝えることを決めた。彼の未来のために。
「すべてを知る覚悟はあるか?」
「ええ、そのために来ました。どんな結果も受け入れる覚悟はできています」
亮真は朔那に事件の真相を話した。
一連の殺人の首謀者は山内啓太として生きてきた桐生実誠、朔那の父であり、十三年前に殉職したはずだった人物。
一件目の金城を殺害したのは実誠で、二件目と三件目の犯行は被害者に恨みを持っていた人物によって実行された。
そして、最後に九十九椿と九十九正隆を殺害して真の復讐を終えるはずだった。
それを止めたのは息子である朔那だった。
すべては二十年前に朔那の母が違法に臓器を摘出されるために殺害されたことがはじまりだった。
医師の竹中秀治は殺人の容疑で逮捕され、起訴される見通しだ。
「山内啓太さんは実在した僕の叔父だったんですか?」
「ああ、彼も桐生さんと一緒に琴音さんの死の真相を調べていたらしいが、口封じのために殺害されたそうだ。桐生さんは君のために山内さんのふりをして生きることを選んだ」
竹中は山内の殺害に関しては否定し、実誠を殺害するために爆弾を仕掛けたのも彼ではないと言い張っている。その真相は闇の中だ。
山内が殺害されたことで、実誠は山内啓太として生きる道を選んだ。転職し、髪型や体型まで変えて誰も山内啓太を知らない環境に身を置くことで、他人になりすますことに成功した。
「父は、僕が九十九に引き取られたことを知っていたんですね。僕が気づかないところから、見守ってくれていたんだ」
「ああ、朔那くんが二十歳になるまで復讐心を押し殺して来たんだろう。人を殺すことはどんな理由があっても許されない。刑事として、許すことはない。だけど、桐生さんを見ていると、ひとりの人間としてすごいと思ったよ」
彼は十三年間どんな気持ちでいたのだろうか。
山内啓太として株式会社GCに入社し専務の立場まで出世したが、社長は臓器移植を受けた人物で彼が憎んでいた人種だ。
すぐそばにいながら殺意を抑えていたことは、相当な覚悟が必要だったに違いない。
「今回の件、君のおかげで解決できたと言ってもいいくらいだ」
「本当に感謝してる」
「こちらこそ。おふたりと会えたことは幸運でした。おふたりとはこれで終わりとは思えません」
「私たちにできることならなんでも言って。恋愛相談でも乗るわ」
「工藤自身が恋愛してないのにか?」
「それは問題発言ですよ」
朔那は少しだけ笑った。心の底から、というには程遠いものだったが、少しだけ心が晴れた気がする。
朔那はコーヒーを飲み干して、席を立った。
「今夜、うちに友人を招いて食事会をしてくれるらしいんですよ」
「いいじゃないか。あの彼女さんが計画したのか?」
「ええ、もう恩返し以上のものをもらっています」
「恩返し?」
「こっちの話です。それでは、また」
朔那はカフェの扉に向かった。
入って来たときは薄暗かった店内が、今では明るくなった。
そして、扉を開けるとそこにはさらに明るい世界が待っていた。
母の死の真相と父の決意を知り、遺された朔那はこれからの人生をどう歩んでいくのか。
まだ答えは見つからないけれど、彼らの想いを無駄にしないために、決して無気力で進むことはしない。
父が十三年間、すでにこの世にいないはずの亡霊として刻んできた足跡を胸に、俺は俺の足跡を、生きた証を刻んでいく。
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