ep.28 悪意の連鎖
桐生実誠は取調室の椅子に背筋を伸ばして座り、これから行われる聴取の開始を待っていた。
取調室はマジックミラーがついており、隣の部屋から様子が見えるようになっているが、こちらからは鏡に自分が映るだけだ。
亮真と夏海はマジックミラー越しに実誠を見た。
山内啓太だと思っていた男は、朔那の父である実誠で十三年前に殉職した一ノ瀬の先輩刑事だった。
今回の聴取には一ノ瀬が同席する。
捜査に私情を持ち込みたくないとこういう場合は一歩引いたところから見るはずの課長も、今回ばかりは実誠に訊きたいことがあるのだろう。
「相楽、工藤。準備はいいか?」
扉が開いて、一ノ瀬が顔を覗かせた。
亮真と夏海は、彼の表情がいつもとは違うことに気づいた。
無理はない。実誠が殉職したことで自らを責めた一ノ瀬は、これから目の前でこの世を去ったはずの人物と対峙するのだ。
「行きましょう」
亮真と夏海は部屋を出て、隣の取調室の扉を開く。隣の部屋から見たときと同じように姿勢正しくまっすぐこちらを見る実誠と目が合った。
亮真は実誠の向かいの椅子に座り、夏海は彼の斜めうしろに立ち、一ノ瀬は扉のそばの壁側に立った。
今、目の前にいる人物は殺人を犯した犯罪者。それなのに、彼は穏やかで、人生の目的を成し遂げたような清々しい顔をしている。
一ノ瀬はどんな顔で見ているだろう。亮真は振り返って確認したい気持ちを抑えて、聴取を開始した。
「桐生実誠さん、まずは竹中秀治から聞いた話をお伝えします。二十年前、金銭と引き換えに九十九椿さんに行った臓器移植について、琴音さんを意図的に殺害したことを彼は自供しました。当時経営難だった病院を立て直すため、どうしてもお金がほしかったそうです。しかし、その後の移植については欲が出た結果であり、九十九正隆さんに真実を公表しない代わりに、臓器売買をビジネスとして継続するための協力をさせていました。正隆氏は、どうしても本当のことが言い出せなかったそうで、椿さんはその事実を知りませんでした」
「そうですか」
実誠はずっと知りたかった真実を知り、大きくため息をついて机に視線を落とした。
彼にとってもっとも聞きたくなかった、望んでいなかった真実だろう。
警察に確保された竹中は、もうこれ以上怯えていたくないとすべてを語った。経営のために犯してしまった違法な臓器移植と、臓器を手に入れるための殺人。
決して許されるものではない。
だが、彼は大金が入ったのをいいことに、それをビジネスとして続けようとしてしまった。九十九正隆が紹介した人脈を辿り、違法なビジネスを続けた結果、金の匂いに飛びついてきたのは裏社会の人間たちだった。
金のためのビジネスは、金を求める者を集め、自身が危険だとわかるとすぐに仲間のはずだった人間に牙を剥く。
竹中は罪を償うことになるが、外で拷問を受けるよりはいいと安堵している。
そして、それが世間に知られることになり、竹中医院はもう経営を続けられないだろう。彼はいつまでも自分が可愛いだけの卑怯者だ。
「桐生さん、あなたが亡くなったはずの十三年前、そのあとどうやって生きてきたんですか? なぜ山内啓太のふりをしたんですか?」
「爆発で海に沈んだと思っていたのに、岸壁に打ち上げられて命が助かりました。私はそれを利用しようと思ったのです。この世に私は存在していない。命を狙った連中は油断しているはず。だから、私は死んだものとして生きることにしました」
息子の朔那を守りたかった。その気持ちと同じくらい、琴音の死の真相を知りたかった。
だから、息子にすら父は死んだと思わせて、亡霊として生きる道を選んだ。
「山内啓太さんは、どこにいるんですか?」
山内の調査をしたとき、彼は架空の人物ではなく、間違いなく存在している人物だった。卒業した学校の名簿に名前があり、琴音の弟として確かに生きている人間だった。
実誠が山内として生きてきたなら、山内本人はどこに行ったのか。
「啓太くんは、亡くなりました。何者かに殺害されたんです。犯人はわかりませんが、おそらく竹中の仕業か、彼とビジネスをしていた誰かか。私を殺すために爆弾を仕掛けた人物と仲間でしょう」
「山内さんの遺体はどうしたんです?」
「啓太くんには申し訳ないことをしました。そのとき、これは利用できると思ってしまった。彼の遺体を埋めて、私が山内啓太として生きれば、復讐が達成されて逮捕されたとしても、朔那に迷惑はかからない。そう考えました」
いつか九十九を導く立場になるであろう朔那の実の父親が殺人犯だと知られれば、世の中は朔那を排除しようとする。そうならないために、あくまで殺人犯は山内啓太でなければならなかった。
すでに亡くなった義理の弟の名前を汚すことになるが、朔那のためだとわかってくれると自らに言い聞かせた。
守ろうと思っていた朔那に正体を見破られる結果になったことは、もはや天罰が下ったとしか言いようがない。
「では、一連の殺人事件についてですが、金城社長を殺害したのは、あなたで間違いありませんか?」
「そうです。早朝、社長に自宅に行くと伝えて刃物で殺害しました」
「ですが、あなたには死亡推定時刻にコンビニにいた証拠があります。どういうことですか?」
隣にいる夏海が口を挟んだ。彼には金城が殺害された時刻にアリバイがあるのだ。
「暖房と電気ストーブを使って、体温の低下と死後硬直を遅らせました」
夏海は「ん?」と首を捻る。
殺害現場に電気ストーブなど発見されていない。現場の捜査資料にもそんな記載はなかった。
「金城に雇われていた家政婦の三嶋さん。彼女は、彼に臓器を提供した人物の遺族です。私は彼女に金城を殺害するという話を持ちかけ、家政婦として雇われるように仕向けました。彼女は自らの手で殺したいと言いましたが、それは止めました。ただ、第一発見者となり、細工をした証拠を処分する協力だけしてもらいました」
三嶋由紀。金城の家政婦だった彼女もまた、富を持った人間のために大切な人を失ったひとりだった。
彼女は出勤したとき、すでに金城が殺害されていることを知っており、電気ストーブを処分して暖房の電源を落としてから警察に通報した。
「あとの二名は、あなたが殺害を指示したんですか?」
萩野幸一郎と菊池晋也。彼らを殺害した犯人はすでに逮捕されており、物的証拠も回収されている。
「私が実行する予定でしたが、彼らは傲慢でたくさんの人に恨みを買っていました。どうしてもこの手で殺したいと言って聞かないので、殺害方法だけを指示しました」
これらの殺人に関連性を持たせて二十年前の真実を明るみにするためには、殺害方法を統一する必要があった。
朔那がメモと事件が関わっていることに気づき、調べることも想定していた。そう、彼が、実誠は山内啓太じゃないという事実に気づく以外は、計算通りだった。
ここまでずっと無言で様子を伺っていた一ノ瀬が、口を開いた。
「もし、あの場に朔那くんがいなかったら、椿さんと正隆さんを殺すつもりだったんですか?」
「どうでしょう。今となってはわかりません。ただ、朔那が二十歳になるまでは、彼らを死なせるわけにはいかなかったんです。私がどれだけ恨んでいても、今は朔那の母と祖父にあたる人たちですから、成人するまでは責任を負ってもらわないと。自分勝手であることは自覚しています」
その答えを聞いた一ノ瀬は、そっと亮真の肩に手を載せた。意図を汲んだ亮真は席を立って場所を譲ると、一ノ瀬が椅子に座った。
「先輩、俺はあなたを尊敬していました。目の前であなたを失って、刑事を辞めようとまで思いました。それでも、あなたに負けないような立派な刑事になろうとなんとかここまでやってきたんです」
亮真と夏海から一ノ瀬の表情は見えないが、そのうしろ姿を見ていると、彼がどんな気持ちでいるかは容易に想像がついた。
「どうして、頼ってくれなかったんですか・・・」
「すまない、一ノ瀬。本当に立派な刑事になった」
「その言葉を、私より前にいるあなたから聞きたかった」
「そうだよな。人として堕ちた俺に、そんな言葉をかける資格はないな」
とてつもなく重い空気が、亮真と夏海の後頭部にのしかかる。
きっかけは小さいことでも、あとを追うのは大きな悲しみ。
どんなに小さな悪でも、見逃すことは許されない。
それが刑事としての責務だ。
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