第26話


         ※


「よく来てくれたね、トウヤくん」

「ああ」


 俺は短く答えた。長ったらしく喋ると、今までの苦労や辛さに関する愚痴になってしまいそうだったからだ。


 目の前にいるのが、俺をこの世界に召喚した神様だということは分かる。声を聞いていたからだ。しかしこんなに若い姿をしているとは。


 純白のやや大柄な長袖シャツに、動揺に少し丈の長いズボン。髪は淡い金髪で、顔つきは、まあ一言で言えばイケメンだ。嫌味がなく、それでいて先天的なカリスマ性を感じさせる。


 部屋全体は真珠のような輝きを帯びているが、床も壁も天井も境目がはっきりせず、俺は半歩引き下がった。


「おっと、心配することはない。床はちゃんと、君の足元にある」


 なんじゃそりゃ。よく分からない言い回しだったが、念のため俺はその場で靴を脱ぎ、ゆっくりと一歩踏み出した。

 すると神様は、さっと両腕を掲げた。その動きに合わせて、床面から大きめのソファが現れる。これもまた純白に輝いており、正直俺は座るのを躊躇った。汚してしまうのではないかという、なんとも場違いな危惧を抱いていたのだ。


 それを悟ったのか、神様は、気にしなくていいよと一言。


「どうやら君のご両親、いや、父兄の方々は礼儀を重んじる性質だったようだね」

「そうかもな。礼儀作法については、伯父さんがうるさかったし」

「僕は君のみならず、その伯父さんの教育方針にも敬意を払うよ。それでも君は、大学時代から生活が荒れてしまった」

「そうだな」


 あまり思い出したくはない。それを察してくれたのか、神様は俺の元いた世界に関する言及をそこでやめた。


「あー、えっと」

「僕の呼び方かい? 好きなように呼んでくれて構わない。地上界隈じゃあ僕のことを『神様』なんて言ってるらしいけどね」

「じゃ、じゃあ神様」


 俺はずいっと一歩、大股で踏み出した。


「どうして俺を召喚したんだ? 俺以外にも引きこもりやらニートやらはいるだろうに」

「まあね。取り敢えず座ったら?」


 俺は無言で、ゆっくりとソファに腰かけた。すると、ソファの間にガラス製のテーブルが現れた。ちょうど床面から生えてくるかのように。その上には芳醇な香りのする赤紫の液体と、グラスが二つ。


「確か日本では、二十歳以降だったらお酒が飲めるんだったね? 裏の庭園で、僕と天使たちが摘んだ葡萄から作ったワインなんだ。口に合うといいんだけど」

「……」

「そう怖い顔しないでくれ。毒なんて入ってないよ」


 ううむ、ここは盃を交わさなければ、事態は進展しそうにない。飲んでみるか。

 神様に注いでもらって、俺はゆっくりとグラスを傾けた。あ、美味い。


「お気に召したようだね」

「ああ、まあ……」

「何も君を酔い潰すつもりはないよ。これでも度数は低いんだ。安心して飲んでくれ」


 取り敢えず一杯目を空けた俺は、先ほどはぐらかされた本題に入ることにした。


「神様、どうして俺を選んだんだ? 俺の元いた世界には、今は八十億人近い人口がいる。ニートの人数もまた膨大な数になるはずだ。何故、いや、何か俺に適性でもあったのか?」

「そうそう!」


 グラスをゆらゆら回していた神様は、ぱっと目を見開いて身を乗り出してきた。


「僕が君――倉野内闘也くんをこの世界に招いた理由。それはね、君は厭世的になりながらも、しっかりとした正義感を持ち合わせていたからなんだ」

「つまり、世の中を嫌いながらも、どこか諦めきれないっていうか、釈然としないっていうか……。そんな感情に陥っているところに目を付けた、ってわけか?」

「なあんだ、君自身自覚があったんじゃないか」


 身体をソファに戻し、背もたれに身体を預けながらグラスを回す神様。


「君たちは神様の加護、と呼んでいるらしいけれど、その力を付与したのも僕だ。だが、無から有は生まれない。そこで君の出番となったわけさ、闘也くん」

「へ?」


 何を言われているのか。俺はやや困惑した。


「いいかい闘也くん、君は最初、僕の声を聞きながら、とんでもない高度から降ってきたんだよ? それなのに、傷一つ負わずに落着した。その後もしばらくは、不思議な防御力が君には託されていたはずだ」

「やっぱりあんたの仕業だったのか」

「そうだよ。元いた世界における君の人間不信、厭世的気分というものを、僕はどうにか活かせないかと考えた。そこで最も効果的でやりやすかったのが、君が他者や元いた世界に対して抱いている『不信感』を防御力に転嫁することだったんだ」


 心の壁と言ってもいいね、と付け足す神様。簡単に言ってくれるじゃねえか。

 ん? 待てよ。


「ちょ、ちょっと待ってくれ」


 グラスを口に当てながら、軽く目で促す神様。


「じゃあ、だんだん俺の防御力が下がってるのは?」

「それは君自身が一番よく知ってるんじゃないかな」


 俺は嫌な汗が額から滴るのを感じた。


「もしかして、俺の攻撃能力や俊敏性が上がったのと関係が……?」

「そういうことさ」


 長い足を組んで肩を竦める神様。

 どうやら俺の予想通りらしい。つまり、俺は神様から授かった防御能力を犠牲にして、攻撃能力や素早さを手にしたのだ。


 もし、あのジャングルで遭遇した土亀の口に放り込まれたら、今度は呆気なく噛みちぎられてしまうかもしれない。


「あっ、でも、いや……」

 

 俺が俯いてもごもごしていると、神様は足を解いて膝の上に肘を載せ、手の甲を自分の顎に添えた。


「僕にまた力を貸してほしいんだね?」

「ん」


 図星だ。


「しかしすまないね、最初に君に力を授けたけれど、僕が一人の人間に付与できる能力値は決まっているんだ」

「じゃ、じゃあ、隣の部屋にいる三人は? サンやエミやベルに力を付与してあげられないのか?」

「ふぅむ」


 顔を上げた俺の前で、神様は腕を組んだ。

 

「彼らは彼らで、じゃんけんの法則に従って戦っている。そのバランスを崩すことは、新たな争いの火種をばら撒くのと同じことだ。残念だが、一千年前から人間は進歩していない」

「一千年前……?」

「ああ、この話はまだしていなかったね」


 神様は立ち上がり、ソファの周りを歩きながら言葉を続けた。


「闘也くん、君はもう一つの種族がいることを知らないわけではないだろう?」

「もう一つ? あ」

「そう、暗黒種族だよ」

「そうだ、あいつらだ! あの連中さえいなければ、まだこの島の人たちは戦わなくて済む! 少なくとも、命の危険は減るはずだ!」


 俺は立ち上がり、神様に迫った。


「神様、頼む。どうにか暗黒種族の連中だけでも倒す、ってことはできないか?」

「断る」

「だよな! あんただってあんな連中、いない方が――って、え? 今何て言った?」

「暗黒種族の殲滅に力を貸すことは断る。そう言ったのさ」

「そんな! あんたの力があれば――」


 そう言いかけて、俺は思わず唾を飲んだ。

 神様はじっと目を細め、俺を睨みつけていたのだ。その目の奥にあるのは、怒りや絶望、そして悲しみだった。


「か、神様……?」

「ああ、すまない。感情的になりかけた」


 神様にも感情はあるのか。そんな発見はわきに置くとして。


「僕に暗黒種族を止めることはできない。何故なら、彼らを生み出したのは他でもない、この僕だからさ」

「へ?」


 今度は俺が、しばし絶句する番だった。何を言っているんだ、目の前の青年は?


「だ、だって、あんな奴らを野放しにしてたら人が死ぬんだぞ? それなのに!」

「だからこそだよ、闘也くん。この島に三つの種族が上陸し、別個の文明を築き始めてもう二千年になる。だが、千五百年くらい前から、彼らは血生臭い陣取り合戦を始めてしまった。僕は悩んだよ。どうすれば、彼らを共存できるようにしてあげられるか」

「まさか……」

「そのまさかだ。三種族にとって共通の、それも恐るべき脅威が存在すれば、彼らは一致団結すると思った。そこで僕は、第四の種族として、暗黒種族を創造した。しかし、僕の見込み違いだったよ。人間たちは人間同士の戦いを続けながら、暗黒種族の駆逐に乗り出したんだ。まあ、積極的な駆逐というよりは迎撃と言った方がいいけどね」


 事が事ならぶん殴ってやる。そう思っていた俺の気合いは、しかし一瞬で消え失せてしまった。


「僕が暗黒種族を島に放って約一千年が経過したけれど、状況は好転しない。だからその間、様々な異世界の様々な人々に、協力を仰いできた。闘也くんで十一人目だ。僕のところに辿り着けたのは最初だけど」

「どうして俺をここに誘い込んだんだ? 俺一人で暗黒種族を滅ぼすなんて、絶対に無理だぞ?」

「そう。暗黒種族は最早、創造主である僕の制御下にはいない。暴走を始めている。君一人で、とは言わない。だが、なんとか皆と協力して暗黒種族と戦ってほしい。異世界から召喚した人物が、そんなリーダーシップを有しているかどうか――それを見定めるために、僕は君をここに呼んだんだ」

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