第21話
※
「う、あ……」
「大丈夫ですか、トウヤ殿。今我々がいるのは魔術師たちの陣地中央部、極めて安全な場所です。あなたは私の過去体験を追いかけただけで、実際にあの戦場にいたわけではありません。トウヤ殿?」
「うわああああああっ!」
俺はガタン、と椅子を蹴倒した。突発的な怒りと狼狽に身体を支配され、檻に入れられた熊や獅子のように部屋を行ったり来たりする。
今のはベルと父親の過去体験? だから今は平気だと言いたいのだろうか? だとしたら全く以ておめでたい話だ。
俺の心配事。それは幼い日のベルが、自らの母親の身に降りかかった現実を目にしてしまったことこと。そしてそのせいで、敵性勢力に対する慈悲の念がなくなってしまったのではないかということだ。
平和を希求していた母親が無惨に殺害されたのを目の当たりにし、一部の感情が欠落してしまっているのではないか。
それが、あれほどの殺傷能力を持つ魔法陣を展開する力の根源だとしたら。
「恨みが募りすぎて、ベルはあんな魔術が使えるようになったのか……」
独り言のつもりだったが、父親が有難くも解説してくれた。
「仰る通りです、トウヤ殿。彼女の行使する魔術は、我々の種族の中で五本の指には入るでしょうな。あれだけの経験をしたのですから」
「なあ親父さん、あんた、どうしてベルを戦場に連れ出した? しかも、自分たちとは相性の悪い武闘家の連中との戦闘を見せつけて……。自分や母親がベルにとってどれほど大切なのか、考えなかったのか?」
「良い魔術師は、悪徳とされる呪術の心得もまたあらねばなりません。だからこそ、身内の死というものを幼い頃から目に焼き付けさせたのです。躊躇いなく敵性勢力を殲滅できるように」
「……あんた今、何て言った?」
「身内の死を幼いころから記憶に焼き付けさせて――ぐっ!」
気づけば、俺は椅子ごと父親を殴り倒していた。
「つまりあんたは、自分の妻を犠牲にしてまで、娘を殺戮マシンにしたかった。そういうことなんだな、えぇ!? こんなひでえことして、よくもまあ涼しい顔をしていられるな! そんなに自分の財産だか名誉だか、そんなもんが欲しいのか!」
「それは、んっ、違いますよ」
殴られた際に切れたのだろう、唇から赤い筋を流しながら、父親は立ち上がった。目の奥に驚きの残滓が見て取れるが、それ以外は完全に冷淡な、いつもの態度に戻っている。
「私と妻の一致した見解でしたが、我々は地位や名誉のために、娘を容赦のない人間に育てたわけではありません。これは、我々の責務なのです」
「責務?」
「この島に最初に到達したのは我々魔術師種族。残りは言ってしまえば外様です。彼らに対抗するためには、魔術素養のある子供にどんどんその実力を伸ばしてもらい、いざとなれば前線で戦ってもらう外ない。そして我々が知る限り、その最も効率のいい方法は、精神的ショック療法です」
ああ、駄目だ。この父親、自分がやっていることを英才教育の一種だとでも思っているようだ。これでは相手にならない。こちらから話題を変えなければ。
「皆で島を分け合って分割統治する、ってのは駄目なのか?」
「許されません。最初にこの島に到達した我々こそが、真の人類なのです。少数精鋭の、歴史に責任を持ちうる唯一の人種なのです。そして将来、その筆頭になり得る人物こそ、我が最愛の娘、ベル・リアンナというわけです」
今のは独裁者の台詞ではないか。そう思ったが胸に封印する。俺の世界の常識は、この世界では非常識なのだから。
怒りの鉄拳を振り下ろす場所も気力も失ってしまった俺は、ばすん、とベッドに腰かけた。
今の会話を聞いていたのかいなかったのか、ベルは隣でぬいぐるみを弄んでいる。目の前で父親が殴り倒されたことについて、何の関心もないらしい。
こんな小さな子供を、それも最前線で徴用するとは、正直吐き気がするほどの怒りを覚える。しかし、俺にそのことをどうこう言う権利はない。
「少し寝る。ベル、どいてくれ」
俺は清潔なシーツの張られたベッドに横たわり、父親に連れられたベルが退室するのを待った。
考えなければならないことは多岐に渡る。倫理的にも戦略的にも、そして俺がこれからどうするかも。
「まずは神様に会わなけりゃ始まらねえな」
そう呟いて、ごろり、と転がると、俺の意識はあっという間に睡魔に呑み込まれていった。
※
ドクン、ドクン、ドクン、ドクン……。
「んむ……」
不吉な調子で脈打つ心臓の鼓動で俺は目を覚ました。何事かと思いながら目を開けると、室内は真っ赤に染まっている。どこからか赤い光が差しているのだ。
周囲を見遣ると、テーブルに置かれた水晶玉がその光源だった。それが人間の脈拍に合わせるかのように、点滅を繰り返している。
これなら部外者の俺でも、非常事態が起きているのだと察せられた。そのくらい不気味な輝きだったのだ。
敵襲か? 一晩に二回も? 俺が状況を呑み込み切れずにいると、勢いよく扉がノックされた。
「トウヤ殿! トウヤ殿!」
ベルの父親の声だ。
「急いで避難所へ! 暗黒種族の襲撃です!」
「何だって!?」
俺はさっと自分の頭に血が上るのが分かった。あの連中、機甲化の陣地のみならず魔術師の土地まで分捕りに来たのか。
扉を開けると、冷静さと緊張感の入り混じった表情で父親が立っていた。
「さあトウヤ殿、避難所はあちらに」
「冗談じゃない!」
「ええ、まったく冗談ではありません。暗黒種族は――」
「違う! 俺の扱いのことです!」
すると、一瞬父親は目を丸くした。
「まさか、戦いに出ると仰るんですか?」
「そうです! ベルに人殺しをさせるのがやむを得ないってんなら、俺が戦死してから彼女を参戦させてください」
「何を考えているのですか?」
「さっき十分話したでしょう! あなたたちにはあなたたちなりの流儀や矜持がある。でも俺は異界の人間です。素直にはいそうですか、と従ってばかりじゃいられない。今の世の中が酷いってこと、そしてまだまだ改善させていけるってことを、ベルに教えてやりたい」
父親は目を細め、じっと俺を見つめた。それは威嚇のようでもあり、気遣わしげなもののようでもあった。
「仕方ありませんな。敵の進撃速度からして、もうじき戦闘が始まります。どうしても戦うと仰るのであれば、こちらへ」
父親は右手を握り、その拳を突き出してきた。そこにちょこん、とベルの小さな手が載せられる。俺も遅れを取るまいと、素早く手を差し出した。
※
今回の瞬間移動で連れてこられた場所。そこはまたもや荒野だった。
が、様子はあの機械と戦った荒野とはだいぶ違う。百メートルほど離れたところに、木々が鬱蒼と茂っていたのだ。
木々は俺たちから見て左右に広く展開しており、敵はこの森を抜けて近づいてきている、とのことだった。
俺たちは、先に到着していた魔術師たちと合流し、列の中央に陣取った。なにせ、魔術力トップ・ファイブに入るベルがいるのだ。今彼女を使わずしていつ使うのか? そんな気でいるんだろうな、大人たちは。
俺は怒りをぶつける気にもなれず、ふうっと溜息をついた。俺と父親の任務は、ベルの警護といったところだろう。まあ、暗黒種族が相手なら手加減は要らないだろうし、その点気が楽ではある。
暗黒種族は駆逐していいが、人間は駄目だ。そのことをベルに教えるには、好都合かもしれない。
(陣地防衛隊、配置完了です)
(了解)
そんな遣り取りが脳裏を掠める。どの種族でも、武人の語る言葉は似たり寄ったりだな。
だが――。
俺は違和感を抱いていた。
暗黒種族は、攻撃力は高いし俊敏だが、気配を消すような真似はできない。そんなことを考えずに、真正面から突っ込んでくる。
にしては、前方の森はあまりに静かだった。敵は明らかに何かを考え、目的意識を明確にし、統率が取れている。
果たして、本当に今回の敵は暗黒種族なのか?
俺がそこまで思い至った、まさにその時だった。
木々の向こうで、何かが煌めいた。直後、ザシュッ、という鈍い音がして、近くに並んでいた魔術師が仰向けに倒れ込んだ。
(総員、魔法陣展開! 防御陣形!)
隊長と思しき男性の思念が入ってくる。魔術の心得のない俺はしゃがむしかない。
そこで気がついた。倒れた魔術師の腹部に刺さっているものがある。弓矢だ。
こんな高度なもの、とてもではないが暗黒種族には作れそうにない。また、機甲化種族の連中なら弓矢ではなく銃器を使うはず。
こいつら、まさか……!
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