第20話
※
さっきこの洞窟内に瞬間移動してきた時、俺はさっぱり外の様子が分かっていなかった。安全な陣地内であるという場所に移動してきたのだから当然だ。
俺から見ると代り映えのしない洞窟の中を、ベルは迷いなく歩いていく。七色に輝く水晶の柱の位置関係が頭に入っているのだろう。
すると、俺たちは行き止まりにぶつかった。そこには三角帽を被った若い男性がいて、水晶玉を手中に浮かべてそれに見入っていた。
「状況は?」
「ベル様、ご覧を。もうご承知かもしれませんが……」
恭しく水晶玉を差し出す男性。それに触れることなく、ふわりと受け止めたベルは、確認するようにそれに見入った。
俺の部屋にあった水晶玉を見た時と同じ、冷淡な目つきでそれを見つめたベルは、素っ気ない礼を男性に述べて俺の手を取った。
「トウヤ、あたしから離れないで。瞬間移動が失敗する」
「わ、分かった」
俺は再度、視界が真っ白になって、それから開けるのを待った。
「さて、ここはどこ――」
と言いかけたまさにその時、ヴン、という音と共にエメラルド色のバリアが展開された。
「うわっ!」
「トウヤ、まだ離れちゃ駄目」
全く以て唐突に、俺達二人に向かって銃撃が開始された。銃弾だけではない、対戦車ロケット砲も飛来してくる。
これには流石に対応不可能か。しかしベルは、ふっと息をついてすぐさま魔法陣を修繕・強化した。ロケット砲は俺たちに爆風を浴びせることすらなく、呆気なく食い止められた。
俺はようやく周囲を見回す余裕ができた。見回してみると、ここはまさに大型の戦闘機械が撃破された場所だった。つまり荒野だ。
それだけで、俺たちは遮蔽物の確保に苦労することになる。しかもさっきの戦闘によって、盾に使えそうな金属片は散らばっている。身の隠しようがない。
「お、おい、どうするんだ、ベル!」
「大丈夫。すぐに片づける」
「か、片づけるって……?」
右腕だけで魔法陣を展開していたベルは、そこに左手を添えた。
まさか……!
「ベル、よせっ!」
俺はベルを引っ張り倒してでも彼女を止めるつもりだった。が、結果的にそれは手遅れだった。
左手からも魔術供給を受けた魔法陣は、もはや単なるバリアではなかった。防御能力と攻撃能力を兼ね備えた、恐るべき殺傷兵器だった。
魔法陣はその円周上から無数の光弾を発し始めた。これもまたエメラルド色に輝いており、ヒュヒュヒュヒュヒュッと空を切るような音がした。
その連射速度は自動小銃にも劣らず、一発あたりの最大効果域はロケット砲のそれに匹敵した。
早い話、本人の言う通り、ベル一人で全てが片づいてしまう勢いだったのだ。
仲裁に入る? 無理に決まっているじゃないか。これほど強大な戦闘能力差を見せつけられては。
俺はぽかんと顎が外れた間抜け顔を晒しながら、無残にズタボロにされていく機甲化種族の兵士たちを見つめていた。
気がついた時には、あたりには肉が焦げるような不快な臭いが、黒煙と共に漂っていた。
俺は無意識のうちに腕を伸ばしていた。ベルの胸倉を引っ掴む形で。
「お、お前、なんて酷いことを!」
「酷い? 今のが?」
「ああそうだ! バリアを張ってるだけで、相手は勝手に弾切れを起こすんだ! 何も攻撃する必要なんてなかったのに……!」
「そう? 母様はあなたと同じことを言って、殺されてしまったけれど」
「な、なん……?」
突然のカミングアウトに、俺は絶句した。
「ベルの言うことは事実です、トウヤ殿」
そこに現れたのは、ベルの父親だった。
「彼女は母親を、私は妻を喪った。陣地の防衛がてらに復讐する権利は十分あると考えます」
「あ、あんた……!」
俺は振り返り、今度は父親の胸を拳で打ちつけた。動揺していたためか、大したダメージにはなっていない。それでも、言ってやりたいことは決まっている。
「あんたは娘に人殺しをさせて平気なのか! それでも人間なのかよ!」
「もちろん、立派な人間ですよ。私も娘もね」
「あっ……あんたは私怨で動いてる! そこに正義はないぞ!」
「誰も正義の話などしておりませんぞ、トウヤ殿。それに、人間だからこそ私怨という感情を抱くのです。我々は、人間らしさを十分活かして活動している。それだけの話ですよ」
事ここに至り、俺は今まで何度も思い返したことが脳裏をよぎったのを感じた。
ここは元いた世界の日本じゃない、生死が紙一重で存在するような場所なのだ。俺の道理が通る、という道理はどこにもない。
「でも……でもっ!」
俺は、気づけば落涙していた。その場にぺたりと座り込み、泥だらけになった手を顔に押し当てる。
「では、ベルがどうしてこれほど他者の生き死にについて鈍感なのか、そのきっかけはなんなのか、ご覧いただくしかありませんな。一度、瞬間移動で陣地に戻りましょう」
※
三度の瞬間移動の経験は、しかし俺の頭に残るようなものではなかった。
慣れてしまったといえばそれまでだろう。だがそれよりも、俺の脳みそを占領していた考え、というか情報がある。
ベルの母親が平和的なことを唱えていながら、敵に殺されてしまったということだ。
そんなことがあってたまるか。感情的になって、そう喚き立てることはできる。だが、ここではそれが通用しない。その冷淡さあってこそ、俺はこの世界を『異世界』と認識しているのかもしれない。
「トウヤ殿」
「……」
「トウヤ殿、貴殿のお部屋を使わせていただいてもよろしいですかな」
気づいた時には、俺は自室の扉の前で、ベルの父親と向かい合っていた。
「あ、ええ、どうぞ」
「では、失礼」
父親、俺、ベルの順番で入室する。一見さっきと変わっていないように見える自室。だが、大きな変化が一つあった。
「水晶玉が真っ黒になっている……?」
「そうです。飽くまでもこの水晶玉は、敵性勢力の接近を知らせるためのもの。念のためにトウヤ殿の部屋にも置かせていただきました。現在、魔術を用いた防衛線は破られていないから、映し出すものがないのでしょう」
「はあ」
「ではトウヤ殿、こちらの椅子にお掛けください。私とベルが見た、母親の最期の姿をご覧に入れましょう」
そう言って、父親と俺は向き合う格好で椅子に座った。
「目を閉じて呼吸を楽に。手はそのままで結構です」
どうやらベルの時と違い、手先が接触していればそれでいいらしい。
俺が目を閉じると、すぐに映像が展開された。
※
「でやっ! はあっ!」
「ふんっ! だあっ!」
「うおおおおおお!」
あまりの違和感のなさに、俺は驚いた。まるで映画の世界に入り込んでしまったかのようだ。しかもベルの時とは違い、映像のみならず音も聞こえてくる。
(ご覧になれますか、トウヤ殿?)
(はい)
(これは、我々が武闘家種族に襲われている時の映像です)
時刻は夕方、場所は荒野だ。横一列に隊形を組んで、武闘家の連中が攻め入っている。槍や剣、はたまた拳で、攻撃の仕方は様々だ。
いかにもといった戦い方だと思った矢先、俺は我が目を疑うことになった。
「ぬうん!」
大柄な武闘家の戦士が、思いっきり腕を振りかぶった。すると、彼に向かっていたはずの魔術光弾がいっぺんに弾かれてしまったのだ。
その戦士の歩みは止まらない。腕を振った回転の威力を殺さずに、反対側の手で裏拳を放つ。すると、魔術師の展開していた魔法陣は呆気なく破砕されてしまった。
チリチリとガラスが飛散するような音がする。そのまま回転を続けた戦士は、魔術師の頭部を思いっきり殴りつけた。ぐしゃり、と嫌な音がする。頭蓋骨が陥没する音だろうか。
俺がさっと目を逸らしたその時、誰かの声、否、思念があたりに響き渡った。
(魔術師の皆さん、武闘家の皆さん! 攻撃をやめてください! お願いします!)
柔らかな白光が下りてくる。その中央には人影があった。大人の女性だ。ベルの母親だろうということは、その美麗な顔つきから察せられた。
一時的に双方は攻撃の手を止め、その人影を見遣った。
(私は魔術で浮遊していますが、この力を攻撃に使うつもりはありません! 話し合いましょう! 皆、同じ島に住む人間同士、隣人同士なのです! 傷つけ合うのは――)
まさにそう言いかけた、その時だった。シュトッ、とキレのある音がした。
同時に女性の声が止む。
何が起こったのかは分かる。だが分かる、分からないというのは些末な問題だった。
俺にはこんな事実、受け入れられない。
今まさに、ベルの母親が弓矢で胸を射抜かれたなんて。
「ああっ!」
俺に聞こえたのは自分の声。後は一切の音が消えてしまったかのような錯覚に囚われた。
冷氷が背筋を滑り落ちるように、汗が落ちる。
(ご覧になられましたか、トウヤ殿)
声の方を見ると、父親のそばでこの光景を凝視するベルの姿があった。
俺は全身が脱力し、現実に引き戻されるまでしばしの時間を要した。
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