第19話


         ※


 俺は再び驚くことになった。思わず、おおっ、という声が出る。

 言ってみれば、室内はプラネタリウムになっていたのだ。実際の星々の運行とは関係ないかもしれないが、七色に輝く光点が真っ黒な天井をゆったり動いていく様は、圧巻の一言に尽きる。


 床面には、簡素ながらがっしりしたテーブルとやや大きめの水晶玉、それに広めのベッドが一つ。

 俺がベッドに腰を下ろし、天井に見入っていると、ベルがちょこんとそばに腰かけた。三角帽を脱ぐと、白銀の長髪がきらり、と光沢を放った。この部屋の天井に勝るとも劣らない美しさだ。

 そんな俺の感想など知る由もない様子のベル。ぬいぐるみの顔を見下ろしながら、足をぶらぶらさせている。


 こんな小さな子供があれほどの魔術を行使していたとは、俄かには信じがたい。あれほどドスの利いた声を(テレパシーで、とはいえ)発していたことも。


 さて、信じられないからと言って受け入れないのでは何も進まない。俺もいい加減にこの世界に慣れなければ。

 三つの種族が陣地を取り合っているこの世界で、この魔術師種族は俺が遭遇する三番目の人々だ。彼らについて知ることができれば、人種という側面からは俺は全体像を把握できる。


「ベル、質問していいか?」

「ん、なあに?」

「そうだな、どう訊いたらいいのか……」


 これは父親に相談した方がよかっただろうか? いや、その父親がベルを俺の下に寄越したのだ。ベルになら答えられると踏んでのことだろう。

 しかし、俺の中で質問がまとまらないのにどうやって?


 すると、ベルはベッドに上がり、すっと手を上げて俺の額に右手を当てた。


「な、何だ何だ?」

「動かないで。目を閉じて」

「えっ? ええっ?」


 ちょ、ちょっと待て。心の準備ができてないぞ、俺は。それに俺は上下三歳までが射程範囲だ。ロリコンじゃない。いや、でもベルは確かに現実世界にいたら超絶美少女だろうし……。


 などと考えていると、俺の右手の甲にベルの左手が置かれた。と同時に、真っ暗だったはずの視界に真っ白い光が上下に走り、そこから左右にザッと広がった。


(今、あたしたちの歴史と文明の成り立ちを見せる。そのまま目をつむっていて)

「わ、分かった」


 そう答えると、だんだん光が収まり、いろんなものが形をもって立ち現れてきた。


 まず目に入ったのは、広大な海だった。海上を高速で飛翔している。風を感じられないことから、俺はこれが視覚情報だけが入ってくるものなのだと理解した。左右に目を遣ると、大陸と思しき地面も見受けられる。これが魔術師の力なのか。


 俺が圧倒されていると、視界中央に一つの島が見えてきた。平べったく、円形に近い形をしている。だが最大の特徴は、中央にある。唐突に地面からせり上がってきたような、急峻な山がそびえているのだ。

 あの頂上にこそ、『神の座』があるに違いない。


(これが、今俺たちがいる島なのか)


 俺がそう胸中で呟くと、ベルの声が被さってきた。


(そう。あたしたちの島。最初に上陸したのは魔術師種族。次に武闘家、最後に機甲化。今は皆が、相手を押し退け合って自分たちの陣地を広げようと必死)

(どうしてそんなことをするんだ? 森林とか荒野とか、開拓しようと思えばできそうなところはまだまだあるだろうに)

(そこで現れたのが、暗黒種族の存在。いつ頃から人間と敵対するようになったのか分からないけど、三種族の共通した敵)


 視界がぱっと移り変わり、例の真っ黒な細マッチョ体型の怪物が出現した。


(なあベル、こいつらを倒すってことで、皆が一致団結することってできないのか?)

(多分不可能。古文書によれば、暗黒種族の最初の出現は一千年前。でもそれ以前もそれ以降も、人間は人間同士での戦いを止めようとはしない)

(どうしてなんだ?)

(分からない。でもトウヤ、あなたのいた元いた世界でも、同じ現象は起こっているはず)


 ううむ、確かに。ぐうの音も出ないとはこのことか。


(今は皆が自分たちの陣地を守りつつ、暗黒種族の襲来に怯えている、っていうのが現状)

(ふむ……)


 魔術的な意思の疎通の最中に、溜息まで再現されるとは思わなかった。

 それはともかく。


(一つ訊きたいんだが)

(なあに?)

(神様って信じるか、ベル?)

(うん、いると思う。そうでなければ、あなたのような異界の者が現れはしない)

(やっぱり分かるのか、俺が異界の人間だって?)

(オーラが違う)

(オーラ、か)


 波動といいオーラといい、掴みどころのない話だな。

 俺が再び溜息をつきかけた、その時だった。キィン、と頭蓋が鳴った。

 頭痛ではない。それよりももっと心理的に、本能的に差し迫る何かを感じる。このままでいるのは危険だと。


 すると、光が差した時と同様に、一瞬で視界は真っ暗になった。


「うわっ! 目が見えねえ! 何だこれ!」

「トウヤ、目を開けて」

「え? 目だって?」

「敵襲。あなたは逃げて」


 敵襲という言葉で驚いた拍子に、俺の瞼は引き上げられた。目の前にはベルの姿があり、既に三角帽を着用している。あれが魔術師たちの戦闘装束なのか。


「って待て待て待て!」

「魔術力の低い人たちのための避難所はあっち。この部屋を出て右へまっすぐに――」

「そうじゃない」


 俺はベルの肩を掴み、くるりと振り向かせた。

 

「お前みたいな子供を戦場にはやれないだろう。それに、俺には神様の加護がついてる。オーラから察しはつくんじゃないか?」

「うん。それは分かる」

「だったらここは俺に任せておけ。俺にはどの種族のどんな攻撃も通用しない」


 するとベルは、半眼でおれをじとっと見つめた。


「神様の加護はあたしも感じる。でも、今のトウヤは無敵じゃない」


 俺はぎくり、と背筋に衝撃が走るのを感じた。


「あたしにもよく分からないけれど、あなたは今は退避しているべき。ちょっと待って」


 ベルはくるりとこちらに背を向け、テーブルの上の水晶玉に手を翳した。


「ああ、なあんだ」

「どうしたんだ?」

「攻めてきたのは機甲化種族の連中。あたしたちにとっては簡単に駆逐できる相手」

「駆逐って……。相手は人間だぞ!」

「すぐに済ませる」

「だったら俺も連れていけ」


 この言葉に、ベルは半眼だった目を全開にした。


「トウヤ、戦場に行きたいの?」

「俺が仲裁できるなら、それでいいだろ? お互い死傷者を出さずに済む」

「心配ない。あたし一人でも十分なくらい」

「だからこそ心配なんだよ!」


 あーったく! 少しは相手と協調しようとか、暴力沙汰はよくないとか、誰もベルに教えてやらなかったのか?


「仕方ない。トウヤがそこまで言うなら。あたしの背後を離れないで」

「お、おう、了解だ」


 まあ、いざとなったら飛び出すけどな。

 機甲化の連中の到着まで、あと十分ほどだという。それまでの間、俺はベルの力で水晶玉を見せてもらった。そこに映っていたのは紛れもなく機甲化種族だったが、エミや軍曹の姿はない。


 俺が密かにほっとしていると、部屋がノックされた。


「トウヤ殿、トウヤ殿!」


 この声はベルの父親だ。

 俺が扉を開けると、安心と焦りを半分ずつ反映させたような表情の父親が立っていた。


「心配しましたぞ、トウヤ殿! 避難所にいらっしゃらないものですから」

「すみません。でも、俺も戦場に出ます。ベルのような子供に戦わせるより、俺が仲裁に入った方が人道的です」


 人道的、なんて言葉を使ったのは初めてだが、意味は通ったらしい。父親が露骨に顔を顰めたからだ。

 それはどこか、侮蔑の念を含んだ顔つきだった。しかし、蔑んでいるのは俺ではなく、今こちらに攻め入ろうとしている機甲化の連中に対してのようだ。俺の勘によればだが。


「実際申し上げますと、トウヤ殿のいらした世界での常識は通用しないのです。我々は、降りかかる火の粉は払わねばならない」

「だったら俺が、そもそも火の粉が迫る前に吹き払います」

「ちょっとトウヤ、あなたはあたしの後ろにいるだけで――」


 こんな具合に話がごちゃごちゃになりかけたところ、俺たちの会話を中断したのは父親の溜息だった。


「仕方ありませんな、トウヤ殿。ベル、今日はお前がやってみるといい。我々も後方支援はするが、それはお前やトウヤ殿が窮地に陥った時だけだ。分かったね?」

「はい、お父様」


 大きく頷くベルに向かい、父親もぐっと顎を引いてみせた。


「よろしい。ではこちらへどうぞ。外に出られます」


 今はまだ日の出前だろうか。上手くチャンスを捉えて、仲裁できればいいのだが。

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