第3話


         ※


「ぷっ、はははははははは!」


 コロコロという笑い声が、テント内に響き渡った。


「わっ、笑いごとじゃねえ! もし俺が神様とやらの加護を受けてなかったら、今頃お前のサーベルで首を刎ねられてたんだぞ!」

「いやー、悪い悪い。あたいもよく言われるんだよ、血気盛んだって」

「はあ……」


 溜息をつく俺の様子がよっぽど滑稽なのか、件の女性はにこにこしながら顔を覗き込んでくる。ううむ、ま、まあ、悪い気はしないが。


 先ほど俺がこの土地に落下してきてからしばし。この女性のサーベルを無意識のうちに返り討ちにしたことで、俺が神様の加護を受けていることが立証された。そして、この部族の長老の下へと招かれたのだ。


「これ、サン! お主もグラウンズ家の跡取りならば、礼儀をわきまえんか!」

「でもさあ長老、あたい驚いちまったよ! まさか本当に異界の人間が空から降ってくるなんて!」


 サン・グラウンズ――それが彼女の名前だ――は身を引いて、あぐらをかいて絨毯に座り込んだ。俺も同じく。


「で、長老さん、俺は一体何をどうすればいいんです? 言葉が通じるのは有難いけど、あなた方のいう異界から来たばっかりなので、右も左も分からないんです」

「ふうむ」


 長老は数珠をいくつも提げた腕で、長く白い顎鬚を撫でた。この人物、長老というだけあって痩身ではあるが、それは無駄な筋肉がついていないからだと判断できた。きっと今でも武芸に秀でていることだろう。


 一方、サンはといえば、実に健康的な体型をしていた。簡単に言えば、今すぐファッション雑誌の表紙を飾ってもいいくらいの美人である。プロポーションはいいし、顔つきもすっきりしていて紙面に映えそうだ。

 彫が深くて鼻が高い。唇は薄く、対照的にまん丸な青い瞳が見る者を惹きつける。男だったらすれ違った瞬間、五人中五人が全員振り返るだろう。


 長老を相手にこんなラフな話し方をしているのだから、サンもそれなりの地位にいるものと推察される。

 彼女の服装はといえば、幅の広い布を胸元に巻きつけ、腰元にはハーフパンツを着用している。長い髪はうなじのあたりで一括りにされており、綺麗な艶を放っている。


 これだけでも十分美麗で快活な印象を与えるが、もう一つ特徴的なの要素がある。

 それは彼女の衣服の色だ。燃えるような緋色をしている。

 このテントに来るまで、いろんな色の布を纏った人々を見てきた。だがここまでストレートに闘志を表した人物には出会っていない。


「さて、異界の御仁」

「は、はいっ!」


 こほん、と咳払いをして長老が語り出した。


「早速じゃが、長老たる儂から一つ提案がござってな」

「はい」


 俺は足を組みなおし、正座しながら長老に向き直る。ハの字に曲がった眉を引き上げながら、長老はこう言った。


「お主、『神の座』を目指してみてはいかがかな?」

「か、『神の座』?」

「左様。神様の声に導かれてここに来た、と仰ったな」

「はい」


 正直なところ、ほぼ勝手にこちらの世界に引き込まれていたのだけれど。


「お主が神様の加護を受けていることは、この部族の皆が承知しているところじゃ。じゃが、儂も皆もお主自身も、何故お主がこの世界に呼び込まれたのか、詳しいことは知らない。それは確かかな?」

「そうです、長老」


 神妙に頷いて見せる俺。

 地面に落下している最中、神様とやらは俺のことを、必要な人材だと言った。だが、俺にああしろこうしろとは言っていない。


「もし目的を知りたければ、自分の下に来い、と言いたいのか」

「ふむ」


 ずずず、と目の前の茶碗から自分の茶をすする長老。サンは一気に飲み下し、ビシッ! と手を上げた。


「はい! あたいがこいつの護衛をします! えーっと……」

「俺か? ああ、闘也。倉野内闘也だ」

「そう、トウヤ! トウヤ、あんたはあたいが守ってやるよ! あんた、神様の加護で防御力は高いみたいだけど、戦うことに関してはからっきしだろ?」

「ま、まあ」

「じゃあ決まりだ!」


 万歳のポーズをするサン。座っているとはいえ、スタイルの良さが如実に表れるな。


「ん? どうしたんだ、トウヤ?」

「えっ? ああ、いや」


 俺はさっと目を逸らす。サンの胸元に視線を集中させてしまっていた自分を、俺はぶん殴りたくなった。まあ、どうせ通用しないだろうけど。


「ところでサン、俺たちはどこへ行けばいいんだ?」

「へ?」


 万歳の格好のまま、サンが固まった。


「やれやれ。サン、お主も計画性がないのう。そのあたり、父親譲りか」

「何言ってるんだよ、長老! あたいの親父は立派な戦死を遂げたんだ! 今更文句を言われる筋合いはねえよ!」

「そうは言ってものう……。ああ、すまぬなトウヤ殿。異界から来られたとあっては、まだどこにどう向かうべきかも分からぬじゃろう。今から説明させていただこうかの」

「あ、お、お願いします」


 そう言って軽く会釈する。しかしその間も、俺の胸中には魚の小骨が刺さったような感覚があった。


 サンの父親が戦死? どういうことだ? 確かにここにいる人々は、皆何某かの武装をしているように見えるが……。


「トウヤ殿? 説明を始めますぞ」

「はっ、はい! すいません」


 すると長老は大きく頷き、説明を開始した。


         ※


 まず、俺たちがいるのは一つの島だそうだ。イメージとしては、北海道を一回り小さくしたくらいの大きさで、広範囲が平地。しかし中央には急峻な山がそびえていて、その頂上に神様がいるという伝説から、その山は通称『神の座』と呼ばれている。


「じゃあ、今からここに登れば……?」

「残念じゃが、話はそう単純ではなくてのう」


 長老によると、『神の座』はその裾野から結界で包囲されているらしい。人も動物も神獣も、その結界を破って山と裾野を行き来することは不可能。

 では登ることは不可能なのか? だがもし完全に、例外なく不可能であれば、誰も『神の座』の伝説をもたらしはしなかったはず。


「ということは、誰かその結界を破ることができる人がいる、ってことですか?」

「うむ。それは、魔術師の中でも高位に位置する者たちじゃ。そして儂には、個人的な伝手がある」


 俺は思わず、おおっ、と声を上げた。

 ということは、長老の伝手でその魔術師に連絡を取ってもらい、結界を破ってもらってそこから俺が登ればいい。


 神様……。俺の受けた印象では、一般的なイメージより随分気やすい人物(いや、人間なのか?)ではあるのだが。

 とにかく、元居た世界に戻るにしろこの世界に居座るにしろ、何某かの働きというか、生活の基盤になるようなものがなければ落ち着いてはいられない。


 加えて、俺はその神様から加護を授かっている身だ。このまま長老やサンと同じような暮らしをしていればいい、というわけでもあるまい。第一、俺は戦えないし。

 盾にでもなれなければ、ただの案山子もいいところだ。


「じゃ、じゃあ長老。お願いします。その魔術師と話をつけてください。俺、『神の座』に行ってみないことには、おちおち生活していられません」

「そうじゃな、その魔術師とやらと話し合いの場を持てればいいのじゃが」

「難しいんですか?」

「難しいも何も!」


 勢い余って立ち上がった俺の背中に、サンの声がぶつかる。


「どうして? 何か理由があるのか?」


 そう尋ねると、サンの顔に陰りが見えた。眉根を歪ませ、口を真一文字に引き結んでいる。

 しばしの沈黙の後、長老が口を開いた。


「我々『武闘家種族』と、件の『魔術師種族』は、ずっと戦いを続けてきたんじゃ。種族と言っても、お互い同じ姿かたちの人間なんじゃがな」

「戦い……?」

「サンの父親は戦いの最中に、サンを庇って命を落としておってな。まあ、実際のところは別の種族との戦いでのことなんじゃが」

「え? あ、ちょっと!」


 俺は片手を眉間に、もう片方の手をすっと前に差し伸べた。


「別の種族って……。一体この島には、どれだけの種族がいるんです? どことどこが敵対関係にあるんです? そもそも、そんな殺し合いをするなんて、どんな理由があってのことなんです?」

「種族は三種」


 長老の目に不気味な光が見えた。


「我々『武闘家種族』、停戦状態にある『魔術師種族』、そして武闘家たちが最も苦手とする――」


 そこまで長老が言いかけた時、ばさりとテントの入り口が開かれた。


「伝令! 『機甲化種族』に動きがありました! こちらに向けて、全勢力を以て進行中です!」

「何だと!?」


 がばりと振り返るサン。彼女は続けざまにこう言った。


「機甲化の連中め! 今日こそ親父の仇を討ってやる!」


 それからくるりと踵を返し、テントから駆け出していった。

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