第2話【第一章】
【第一章】
ドゴォォォォォォォン、と凄まじい轟音を立てて、俺は彗星のごとく地面に衝突した。
猛烈な勢いで土埃が舞い上がり、自分の身体が地面にめり込むのが分かる。
「げほっ! ぺっ、ぺっ!」
口内に泥が入ってしまった。じゃりじゃりする不快感から脱するべく、俺は何度も唾を吐く。
違和感に気づいたのは、まさにその最中のことだ。
「あれ? 俺、死んでない……?」
もぞもぞと四肢を動かし、状態を確かめる。どこもきちんと動くし、痺れもない。
だが一番奇妙だったのは、身体のどこにも痛みが生じていない、ということだ。
「えっ? 何だこれ……」
掠れ声ではあるが、どうにか発声して自分の意識を現実に引き戻す。
目をパチクリさせていると、頭上から光が差し込んできた。うずくまった体勢のまま、俺は瞼を半分ほど開けて頭上を見上げる。
光はまさに俺が埋没した穴の入り口から差し込んでおり、小さな裸電球のように見えた。それほど深くまで埋没してしまった、ということか。一体高度何千メートルから降ってくれば、こんなことになるのだろう。
痛みを感じていないことに関しては、理由など分かるはずもない。
だが、ここに落ちてくる過程で対話をした人物(自称・神様)の言葉が確かなら、俺はそう簡単に死ぬことはないはずだ。でなければ、俺をこっちの、いわば異世界に引っ張り込んだ意味がない。
「よっと」
片膝をつきながらゆっくりと立ち上がり、どうしたものかと周囲を見回す。上下左右、加えて前後。この穴から出るには、やはり頭上を目指すしかない。が、手段がない。
俺は痛みを感じなくなっただけでなく、腕力も上がっているのではないか? そう思って穴の壁面に指をかけたが、これは土壁だ。指を引っかける場所がないし、ぼろぼろ崩れていってしまう。そもそも、筋力が増したという実感もない。
俺は両手を腰に当て、どうしたものかと思案した。
妙に落ち着いているな、と我ながら疑問に思う。同時に、それもそうか、と納得する自分もいる。
もし異世界転移をせずにずっとアパートにいたとしたら、神様の言っていた通り、大怪我を負っていたに違いない。最悪、死んでいたかも。
それに比べれば、転移させてもらったのは正解だったかもしれない。少なくとも、元いた世界で大怪我をするよりはマシな展開だ。
それに、俺だってあんな世界に好きで生きていたわけじゃない。そしてその世界に戻る方法も提示されていない。
こうなったら――まだ謎だらけではあるが、今はこの異世界に馴染めるように鋭意努めるとしよう。
そうして俺が最初に思ったこと。それを一言で表してみる。
「――暑い‼」
真冬の日本から、常夏の雰囲気を感じさせる異世界へ。そりゃあ温度差があって当然だ。
パーカーとジャケット、それにズボンの上から穿くタイプの防寒具。すべてその場に脱ぎ捨てた。
半袖半ズボン姿になった俺が思ったこと。それは、兎にも角にも誰かに助けてもらわなければならないということだ。
落っこちてくる時に、白いテントのような建造物や焚火をしている気配があったことを思い出す。きっと呼びかけて対応してくれるのは、俺と同じ人間だろう。言葉が通じるかどうかまでは保証の限りでないが。
「おーーーい!」
手でメガホンを作り、声を上げる。もう一度。
「おーーーい!」
何の反応もない。知覚できるのは暑さと眩しさ、それに木々の葉が風に吹かれて擦れる音。鳥の囁きも聞こえるが、彼らに持ち上げてもらうのは不可能だろう。
そんなファンタジックな妄想を止め、再び声を上げようとした、その時だった。
ヒュッ、と風切り音がして、一本の縄が放り込まれてきた。これを腰にでも巻きつけて引っ張り上げてもらうのを待てばよいのだろう。
そんな悠長な考えは、すぐに打ち砕かれた。
「ん?」
この縄、先端が輪っかになっている。これってまさに、絞首刑の――。
と思ったが最後、縄は器用に蠢いて、ちょうどその輪っかがこちらに振れてきた。それに見入っていた俺の首が、綺麗に輪っかに通される。
「うあ!?」
ヤバいと思ったが時すでに遅し。凄まじい勢いで縄は引っ張り上げられた。それに乗じて俺の頭部が、首部が、それから全身が、高速で上へと移動していく。
「うわわわっ!」
普通の人間なら呼吸困難に陥り、下手をすれば引っ張り上げられるまでの間に絶命していたことだろう。だが、やはり今の俺は通常の人間ではないらしい。
引っ張り上げられる間は気づかなかったが、いざ地面に転がされてみると、喉は痛くも何ともなかった。息苦しいのは俺が驚き、緊張していたためか。
って、待てよ。
俺は今、引き上げられてから脇腹を蹴られ(痛みはなかったが感覚はあった)、多くの視線にさらされている。これは間違いなく同族、人間の視線だ。両手と両膝を地面につき、深呼吸を数回。それからぶるぶるとかぶりを振った。
視界前方に、誰かの足先が入ってくる。俺はゆっくりと視線を上げ、俺の正面に立つ男性を見遣った。
「あ」
どこかで見たことがある。そうだ、海外の国々を特集するテレビ番組だ。と言っても、俺がまだ伯父の家で世話になっていた頃の話だが。
一概にどこの国の服装だとは言えないが、南太平洋の島国とか、あるいはサバンナとかに住んでいる原住民の人々の格好を適当に混ぜ合わせたような外観だ。赤と黄色を基調とした、カラフルな布で全身を覆っている。
僅かに茶褐色がかった肌。やや露出が多く、たくましい腕や足が汗を帯びている。やたらと大きなとさか状の装束を頭部に纏っていることから察するに、きっとお偉いさんなのだろう。
俺がぼんやり眺めていると、その男性は背部から太い杖を取り出した。俺の身の丈ほどもある。
「貴様、どこから来た?」
「え?」
「どこから来たのかと聞いている!」
「あ、あの、えーっと……」
「答えられんのか? 貴様、やはり機甲化種族の密偵か!」
な、何だって? キコウカシュゾク?
「はっきり申さぬというのだな? ならば、この場でその頭、叩き潰してくれる!」
ぼんやりしていた俺の脳内で、危険信号が灯る。その一瞬の間で、目の前の男性は右手で杖を思いっきり振り上げた。上腕二頭筋に血管が浮かび上がる。
「ちょ、ちょっと待って!」
いや、普通こういう時は、颯爽と誰かが割って入ってくれるものだろう? それこそヒロインとか。だが、それらしい人物は現在目に入ってこない。
だ、誰も助けてくれないのか? 俺は神様から召喚されたんだぞ!
それを見捨てるのか? っていうか神様、あんたが責任を取るべ――。
ぼごっ。
「どわっ!」
何かが俺の頭頂部に触れたのは分かった。だが、痛みは感じない。
そう言えば、落下してきた時も首に縄をかけられた時も、俺には痛みもダメージもなかった。もしかして今の音は――。
「ぬおぅう!?」
男性の奇声に再び顔を上げると、男性が足をふらつかせながら後退していくところだった。僕をぶったのであろう杖を探してみるが、見当たらない。
いや、男性の手元に握られてはいる。ただし、先端のこぶ状の部分がなくなっている。
「お、俺の、俺の爺様の代から伝わる杖がああああああああ!」
「あー」
男性とは対照的に、俺は気の抜けた声を上げた。
やはり俺をぶった反動で、杖の方が破砕されてしまったのだ。こっちは痛くも痒くもない。
こちらに背を向け、しゃがみ込んでおいおいと泣き出す男性。
人々の反応は二種類に分かれた。男性を励まそうとする者と、自らの得物を俺に向ける者。
俺は両手を上げ、降参のポーズを取る。すると、どの立場にも属さない人物の声が響いた。
「皆、落ち着きな! あたいがそいつの真価を見極めてやる!」
ジャキン、という鋭利な音。振り返った俺の目に飛び込んできたのは、反りの入った長めのサーベルだった。
「ひっ!」
後ずさりしながらも、相手を視界の中央に捉える。そして再び驚いた。
サーベルの主は、若い女性だったのだ。せっかくヒロインが助けに来てくれたと思ったのに、彼女も俺を殺傷しようというのか。
「覚悟ッ!」
俺は悲鳴も上げられなかった。こう続けざまに暴力を振るわれたら、今度こそ俺の命運は尽きるかもしれない。
目を閉じた次の瞬間、バキィン、と金属質な音がした。ビリビリと電流が走ったかのような感覚に囚われる。
ゆっくり瞼を上げると、俺を斬りつけてきた女性と目が合った。美しいサファイアのような両眼。それが、驚きに見開かれている。
殺されかかっているのにこんなことを考えるとは、俺もどうかしている。
風切り音がした方に首を曲げると、折れたサーベルの刃が明後日の方向に飛んでいくところだった。
僅かな痒みを感じて首筋に手を遣ると、微かにミミズ腫れができていた。
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