敗戦国家の水

エリー.ファー

敗戦国家の水

 その水はどこからともなく湧き出るという。

 名前は。

 敗戦国家の水。

 どこかの国が戦いに負けて涙を流し、血を流し、それが集まってできた清らかな水だそうである。

 味はない。ただの水だから。

 色はない。ただの水だから。

 臭いもない。ただの水だから。

 ただし、その水は呪われている。

 敗戦国家が流した水には、必ず負け癖が染みついている。どんなことをしても拭うことのできない、弱者の証が溶けている。

 嫌な話ではないか。いや、そんなこともないか。

 無関係であれば。

 まず、この敗戦国家の水が現れて、村を濡らすと、村が滅びる。街を濡らすと、街が滅びる。国を濡らすと、国が滅びる。

 理由は単純だ。急に現れるその敗戦国家の水は、水は水でも呼び水である。

 運命を、因果を、関係を、自由にコントロールして戦争を起こすのだ。

 村は、街は、国は、必ず戦争に巻き込まれて、負けて、そして、滅びる。

 例外はない。

 それ故に誰もが恐れる。




「おいっ、誰だ。街のど真ん中にこんな大きな水たまりを作ったのは」

「それが、誰も知らないというのです」

「だとしたら、湧き出ているというのか」

「だと思われます」

「このあたりに水源はない。まさか」

「敗戦国家の水」

「いや、その結論に至るには早すぎる」

 そのうち、町のあちこちで大きな水たまりが発見される。早朝だったこともあり、夜のうちに雨が降ったと考えられたが、森も家も塔も塀も門も濡れていないのである。

 天気のせいではない。

 民が叫ぶ。私たちの街に敗戦国家の水が湧いて出てきたと。

「大変です。大変です」

「どうした、一体何事だ」

「となりの国からこのような手紙が」

「この手紙は、宣戦布告を示す銀色のリボンで固く結ばれているではないか」

「そうです。中身を確認してください」

「分かっている」

「どう、ですか」

「戦争を仕掛けてきた。まずい。まずいぞ」

「街のあちこちに敗戦国家の水があるんですよ。この戦争は間違いなく」

「分かっている。分かっているが、どうすれば」

 その時。

 賢者が近づいてくる。

「敗戦国家の水は、呪いの水。一度濡れた村に、街に、国に逃れる術は御座いません」

「何か、手はないのか。賢者よ」

「そうですね。一つ方法はあります」

「教えてくれ。私を、民を、国を助けてくれ」

「単純です。敗戦国家の水は敗北を確定させます。ですが、私たちには敗北の内容を自由に決める権利があるのです」

「つまり」

「最低限の被害で敗北を受け入れることができれば、敗北にはなりますが甚大な被害を避けることは可能だということです」

「すげえじゃん、賢者。マジやべぇ」

「でしょ」

 というわけで。

 その国はすぐに敗北を認めて、相手の国に土地を少しだけあげることにする。

 気にするほどの負け方ではないだろう。

 悪くはない。




「いやあ、少しだけだったが土地を奪うことができたな」

「えぇ。王様、やりましたね」

「しかし、名案だろう。敗戦国家の水という、ありもしない作り話を広めるというのは」

「全くです。そのおかげで周辺の国々は、大きな水たまりが幾つもあるだけで戦々恐々。侵略したい国の城下町にスパイを送り込んで、気付かれないよう真夜中に大量の水を流す。たったこれだけのことで、民は恐れおののき、軍の士気は下がり、王たちも慌てふためく。敗北を最小限にとどめようと勝手に金銀財宝、土地や奴隷を差し出すという仕組み。いやはや完璧ですな」

「で、この敗戦国家の水というものだがな、実は最初に考えたのはワシではない」

「ほう」

「ワシの娘なのだ」

 王は近くを歩いていた愛娘を持ち上げる。

「いやあ、最近は本をよく読むようになり、敗戦国家の水などという不思議な物語まで作り出してしまうとは、本当に将来が楽しみだ。お前のおかげで戦争がやりやすくて有難いよ」

「パパ」

「なんだい」

「あの話はね。あたしが考えたんじゃないの。本に書いてあったの」

「マジで」

「うん、マジ」

 丁度同じころ。

 城の地下倉庫の壁から、音もなく水が染み出ていた。

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