第17話 この不審人物を上がらせてくれたことに感謝します
あれよあれよという間に、草壁とゴーたんショップへ行く当日となった。
今、春人は絶賛悩み中である。
何故なら。
「……、……ゴーたんショップって、何着て行けば良いんだ……」
しかも、今回は気心が知れた親友との外出ではなく、初めて一緒に出掛ける女性のクラスメートだ。何だか勝手が違う。
「うー……。まだ肌寒いし……ジャケット……いや、パーカーにするとして。中は……シャツで良いかな……」
あまりにカッコを付けるとまるでデートを意識したみたいで恥ずかし過ぎる。そもそも、これはデートではない。ただ、友人と大好きなゴーたんショップに出かけるだけなのだ。
そう。断じて、デートではない。
ない、のだが。
「……うーあー! 何か緊張するっ」
自分の趣味に付き合ってもらうばかりか、自分を好きだと毎日豪語して止まない人と出かけるのは、心臓に悪い。どうしても意識してしまって、昨夜から気持ちはばたばたごろごろしていた。
――どうせ、草壁さんはいつも通りのテンションで過ごしていたんだろうけど。
学校でもあれだけ告白をし、登下校にも誘い、おまけに誘おうかと気持ちが傾きかけていた本日の外出のことも爽やかに提案してきた。クラスメート達へのイケメン台詞もさることながら、かなりエスコートに慣れている気がする。
「……そういえば。草壁さんって、誰かと付き合ったことあるのかな」
ぽつっと零れたのは、素朴な疑問だった。
しかし、言葉として外に出したら、何故か胸の奥でころん、と乾いた音が転がった様な気がする。
「……って。何で俺が、草壁さんの過去の男を気にしなきゃならないんだっ」
馬鹿馬鹿しい、と首を振って頭から追い出す。今は、一番楽しみにしていたゴーたんに集中だ。
「よし。ゴーたん、行ってきます」
朝に起きて、椅子からベッドの上に移動させた可愛らしく寝転がったゴーたんに挨拶をする。きゅーっと鳴いていそうなその顔に頬が緩んだ。
途端。
ぴんぽーん。
「っ」
微かにだが、春人の部屋に呼び鈴の音が届く。
荷物、荷物と慌てている間にも、「あらあらー」と母の声が響いて慌てて部屋を飛び出した。
「って、母さん! 俺、もう」
「あらまあ。春人ったら、一緒に行くお友達が女の子だなんてねえ。可愛らしいお嬢さんじゃない」
玄関先で迎えるつもりが、もはや時は遅く。既に母は玄関から居間へと戻ってきているところだった。
そして。
「お父様、お母様。本日は、この様にいきなり家へと押しかけるストーカー不審人物の様な私を迎え入れて頂き、まことにありがとうございます」
相変わらずよく分からない挨拶をする人だな。
そんな感想が浮かんだが、父と母は「おやまあ」と草壁を微笑ましく受け入れている。春人よりも変人耐性が付いている様だと遠い目になった。
「こちらこそ、いつも春人がお世話になっているね。いやはや、まさかお友達がこんなに素敵なお嬢さんだったとは。春人、やるなあ」
「って、父さん!」
「こちらこそ、いつも須藤君にはお世話になり過ぎて。本日は、お二方の
「え、……らち……?」
一緒に出掛けることが拉致とはこれ
「やあ、須藤君! お待たせしたね! 今日もカッコ良いよ! 好き過ぎるね! 結婚しよう!」
「はあ?」
「いやはや、君の私服は初めて見たが、これは、……」
両親への挨拶を済ませ、くるりと向き直ってきた草壁は、右手を差し出した格好のまま中途半端に固まった。笑顔はとても爽やかだったが、硬直しているのは火を見るより明らかだ。
初めてのリアクションに、え、と春人も反応に困る。慌てて己の格好を見直して、ぺたぺたと服を触った。
「……俺、どこか変か?」
「ああ、いや、……。……おう、私としたことが……」
「は?」
「いやね。須藤君のあまりのカッコ良さに目が潰れてしまったよ。ラフなのにバランス良くお
「はあ?」
「その服装は、君が元々持ち得ているカッコ良さを更に際立たせ、見る者全てを魅了するベストコンディションさ。私の心臓は今、爆発した」
――それ、死ぬよな。
相変わらず
それに。
――草壁さんも、充分お洒落だしっ。
淡い空色のシャツに、足首が見えるスリムなパンツ、上からは紺色のカーディガンを
ボーイッシュ過ぎず、けれど女性らし過ぎず。
彼女に似合った可愛らしい私服だった。――控えめに言っても、すごく可愛い。普段が制服だからか、新鮮味が増して余計にそう思えるのかもしれない。
「……うん? なんだいなんだい? もしかして、私に見惚れていたのかい?」
「えっと。見惚れてはいないけど、……可愛いよ」
「……」
「草壁さん?」
急に黙り込んだ彼女に、春人は首を傾げる。いつもハイテンションでよく
「……あの。草壁さん。どうかした?」
「ああ、いや。……おうっ。……須藤君は、やっぱり反則だよ……っ。私としたことが……呼吸がやばいよ」
「は?」
「取りあえず、須藤君を魅了出来たのならば、無表情で弟に駄目出しをされまくった甲斐があったということだね!」
駄目出しされまくったのか。
あっさり裏事情を暴露する彼女は、私生活をオープンにしても全く問題はない様だ。普通、そういう苦労の跡は隠しそうなものである。
「いやあ。須藤君と初デートに行くと言ったらね。姉ちゃんは言動はもう手遅れだけど、服装はまだ間に合うから。服装をチェックするとか言い出して」
「デートじゃない」
「これはボーイッシュ過ぎる。どこまでイケメンに染まる気だ。それだと女らし過ぎて逆に引く。女性らしさは大事だけど、姉ちゃんの良さを殺すそれはありえない。その恋人にドン引きされたら、姉ちゃんこの先一生結婚出来ないよ、とか言われてね」
「恋人じゃない」
「結婚出来ないなんて、我が弟ながら酷いよね! もちろん、須藤君と結婚する予定ではあるけれど」
「予定はない」
「だが、案ずるなかれ! 散々な駄目出しを食らって、ようやく女過ぎず、ボーイッシュ過ぎずな妥協案が生まれたのだからね! いやあ、須藤君に可愛いと言ってもらえるなんて。眼福だね!」
「がんぷく」
「ああ、違ったね! 至福に過ぎて天に召されたよ!」
それ、死んでるよな。
二度目の死を迎えた草壁に、春人は呆れを通り越してだんだんおかしくなってきた。ぶっと噴き出してしまう。
相変わらず彼女の言動は不可解だが、飛び過ぎて今日は逆に笑えてきたのだ。いつもと違うシチュエーションだからかもしれない。
ふはっと収まらない笑いを零していると、何故か草壁は三度固まった。今日はよく固まるなと、彼女の意外な一面に目を丸くする。
「草壁さん?」
「……、……おうっ。……何だろうね。今日は、須藤君の逆襲が多すぎる気がするよ……」
「ぎゃくしゅう」
「ああ、そうだ。須藤君。約束していたものを持ってきたよ!」
「やくそく?」
「そう、これさ!」
ばーん、と効果音でも打ち鳴らしそうな派手さで、草壁がどこからともなく何かを取り出した。
瞬間、春人の目の前が色鮮やかに咲き誇る。ふわっと、世界が明るくなる様な輝きを見出した。
目の前に差し出されたのは、三本の
一本は、目にも鮮やかな真っ赤な薔薇。
一本は、淡く可愛らしいピンク色の薔薇。
一本は、気品あふれる紫色の薔薇。
どれも、綺麗な
「須藤君」
真っ直ぐに見据えられ、春人はどきりとする。
低めに
だが、そんな春人を更に
「どうか、この
「――」
胸に手を当て、彼女は腰を折って薔薇を差し出してきた。
どうして彼女は、抗いきれぬ色香を不意打ちの様にぶつけてくるのだろう。最初はそこまで気にならなかったのに、最近だんだんと毒されてきている気がした。
大体、色々逆転している。普通、春人が彼女に花をプレゼントするものではないだろうか。スマートにやってしまうあたり、本当に彼女は規格外だ。
それに。
「……これ。もしかして、プラスチックで出来ているのか?」
まじまじと見つめて、春人は感嘆する。香りがしないからもしやとは思っていたが、かなり精巧に作られていた。遠くから見たら、誰もが本物と見紛うだろう。
「うん、そうだよ! 流石だね、須藤君! 結婚しよう!」
「結婚はともかく。……これ、買ったのか?」
「いいや? 私が作ったよ!」
「えっ」
器用過ぎないか。
あれだけおにぎりやネクタイに関しては不器用さを発揮していたのに、この薔薇は素人目に見ても見事な出来栄えだ。とてもあの不器用な彼女が作ったとは思えない。
だが、草壁はちっちと、人差し指を軽やかに振ってにやりと笑う。妙に様になっているのがまた悔しい。
「私は家事全般は苦手だけど、こういう細工や機械いじりは得意なんだよ。ゲーム機くらいなら自力で直せるしね」
「へ、え。……それは凄いな」
故障したゲーム機を自力で直せるとは、相当の腕前ではないだろうか。修理費も浮くし、一家族に一人はいると助かる。
「本物を買おうか迷ったんだけど、家庭によっては花の手入れが面倒だったり、邪魔になるかもしれないだろう? 須藤君の家はどうか分からなかったから、プラスチックで作ってみたよ!」
「……」
「もし邪魔になったら、いつでも壊して捨てられるしね! まあ、壊されたら私のガラスハートならぬプラスチックハートが砕けるけれど、須藤君に壊されるなら本望さ!」
「っ、いや。壊さないよっ」
思った以上に否定の言葉が強くなった。
草壁の目が微かに丸くなったのを横目に、春人はそっと彼女の手から薔薇を三本受け取る。
少し硬質な感触が、指の先から伝わってきた。
手にした茎もとても綺麗な緑色をして、見る者の心をほころばせる。薔薇の花びらも硬いはずなのに、柔らかな優しさを思わせた。
咲き誇るその姿は華やかなのに繊細で、隅々まで彼女の熱が行き届いているかの様だ。
彼女の気持ちのこもった綺麗な薔薇達は、見るだけで春人の心を癒し、弾ませた。
「ありがとう」
「――」
「大事にする」
春人のことを思って一生懸命作ってくれた気持ちが、何より嬉しい。本物の花を買ってもらうより、よほど価値がある。宝物だ。
「待っててくれ。ちょっと、部屋に飾ってくるから。……母さん。何か」
「準備は万全よ。このガラス瓶なんかどうかしら」
「ありがとう」
素早くガラス瓶を用意する母に礼を告げ、春人は足早に部屋の方へと移動する。今は一刻も早く、この薔薇を部屋に飾りたかった。
故に、春人が去っていく背中を、草壁が奇妙な唸り声を上げながら悶えているのを知ることはなかった。
そして、一部始終を全て両親に見られていたことも、にやにやされていたことも、今はまだ気付かないままだった。
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