第81話 景義、実正と話すこと

 ――翌朝、真っ白な息を盛大に吐き出しながら、宇佐美実正が総門の警衛につっ立っていると、杖の老人が足を引きずり、にこやかに近づいてきた。


 景義は「ほれ」と、実正にちいさな巾着袋を手渡した。

「こりゃぁ助かります」

 温石おんじゃくだった。

 袋のうちに熱した石が入れてある。


 実正は袋をふところに納め、実に誇らしげな様子で、景義の耳に囁きかけた。

「伯父上、この御殿の出来栄えには、みなが目を丸くしておりますぞ」

 喜びの目を見交わして、景義はうなずいた。

 作事奉行としての最初の大仕事は、まずもって大成功であった。


 ふたりが話していると、通りがかりに立ち止まり、深く頭をさげる者たちがいた。

「お、ありゃあ……」

 ――梶原平三景時と、その親族である。

 景時は、つつと、影のように近づいてきた。

「おかげさまをもちまして、正式に御赦免いただきました。今後とも、よろしくお願いいたします」

「うむ、こちらこそ、よろしく頼む」

 景義はうなずき、景時は去って行った。


 あの石橋山で景親軍の中核にあったはずの景時が、いつのまにやら何くわぬ顔で御所に出入りしているのを、不思議がらぬ者はいなかった。

 窮地の頼朝を救った功労者として、御家人の地位を得たのである。

「平三殿が、佐殿を助けるとは……。伯父上の説得が効いたのでしょうぞ」


 実正の言葉を、景義は笑って否定した。

「景時がどういうつもりで佐殿を救ったのか……。あやつはとても賢い。わしとても、論では叶わぬ。そこでわしは、あやつの頭を混乱させてやった。

 やつは論によって頭のなかに巨大な堤防を築いている。だが緻密に造られたものであればあるほど、たったひとつの綻びで全体が駄目になりやすい。『あり一穴いっけつ』じゃよ」


 実正は目を丸くした。

「アリの……ケツ……?」

「ケツではない、穴じゃ」

「穴……? ケツの?」

「ちょっと待て。話がどんどんおかしくなっておる。蟻の一穴……わからんか。韓非子かんぴしじゃ」

「……ピシ?」


「韓非子……もろこしの偉い学者じゃよ。千丈の巨大なつつみであっても、たったひとつの蟻の穴から崩れることがある。

 わしが打ち込んだのは、たったひとつのくさびじゃ。だが、まさかこれほどのことが起ころうとは……。人生とは思いもよらぬものじゃわい。のう、実正よ」


 難しい顔をして話を聞いていた実正は、額を押さえて言った。

「どうやらオレの頭は今、そのアリのイッケツってやつにやられておるようです」

「つまり、混乱しておると?」

「ハイ」

「……お前さんの堤は、穴だらけじゃ。すこしは学問も教えてやらねばならんのぅ」

「ヌハハ……」

 実正はごまかし笑いを浮かべ、逃げるように鎌倉の空に目をそむけた。



 御所の近辺に次々と、御家人たちの屋敷が建造されてゆく。

 周囲の村里も、勢いを盛り返しはじめた。

 鎌倉という地は、義朝公が逆賊となって以来、さびれる一方の山間やまあいの寒村となっていた。

 それが今ふたたび息を吹き返し、新都鎌倉へと姿を変えはじめているのだった。

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