第75話 波多野有常、囚人となること

 頼朝は相模国府を進発、軍を北に進めた。


 常陸国を制圧し、鎌倉に帰ってきたのは、ひと月後の十一月しもつきなかばのことであった。

 景義は、この行軍に同行せず、鎌倉の留守を預かっていた。



 軍が帰還して三日後――

 景義は戦勝祝いの献上品を取りそろえ、仮御所へと赴いた。


 御所の門口では、がたいのよい宇佐美実正が、気もそぞろに景義を待っていた。

「伯父上、はよう早う。今なら人が少ない」

「長江殿は?」

「大丈夫。不在じゃ」

「よし」

 謁見を求めると、すぐに庭へと通された。

 頼朝は殿上にいて、当参の御家人たちが庭に控えている。


「今日は恩赦をたまわりたく、推参いたしました」

 身をかがめた景義の隣で、ほっそりした烏帽子姿の少年が、頭を垂れている。

「その者は?」


「先に自死いたしました波多野義常の子息、次郎有常ありつねでございます。わが大甥おおおいであり、また、宇佐美平太、平次の甥でございます」

 御家人たちがいぶかしむように見つめるなか、景義と実正のふたりに護られるようにして、波多野次郎有常――齢十三ばかりの少年は、唇をきつく噛みしめ、襲い来る内心の恐怖に耐えていた。


 景義は飄々とした態度で、頼朝に陳情した。

「まずは、これを。波多野義常からのふみにてござりまする」

「読みあげよ」

 人々にも聞かせるようにして、景義は義常の謝罪の文を披露した。


「……以上が、義常の書状でござります。義常には平家にくみした罪あれといえども、有常はこの度の戦には、まったく関わっておりませぬ。この景義の保護のもとにありました。どうかひらに、ご赦免を承りたく、お願い申しあげまする」

 呼吸いきを合わせ、景義、実正、有常は、深々と頭をさげた。


 場の雰囲気がいっそう厳粛にぴりぴりとしているのは、乾いた冬の空気のためばかりではない。

 そこにいる御家人たちはみな、過酷な戦場から戻ったばかりの者たちであった。


 頼朝は、しばし黙考していたが、顔をいかめさせたままで尋ねた。

「その有常。そなたのもとにいたのなら、なぜ山木や石橋山に連れてこなかった?」

「ハ、元服したばかりで、あまりに年若でござりますれば。さして役にも立つまいと考えました……」

 景義としては、そう言いつくろうより他はない。


「佐殿」

 いたたまれず、救いの声をかけたのは、於政である。

「なにか」

「わたくしの伊豆山から鎌倉入りの道中のことも、それ以後の生活のことも、大庭殿は心を尽くして支援くださいました。その功績をもって、是非、ご赦免くださりませ」


 於政の言葉を手で制し、頼朝はッと考え込んだ。

「その者の父、波多野義常は、大庭景親と並び立つ、平家方の有力な将であった。大庭景親の嫡男、陽春丸が父とともに梟首となったことを思えば、その者もまた、死罪は免れ得ぬところである」


 有常の顔から、さっと血の気が引いた。

 陽春丸は、有常にとって、幼なじみであった。

 年の近い朋友であった。

 その友が、どのような運命を辿ったかも、すでに大伯父から聞かされ、理解している。

 有常は心苦しい思いで、大伯父のほうを見た。

 景義は動揺を表に見せず、唇を引き結んだまま、頼朝の次の言葉を待っている。


 「……しかし」

 と、頼朝はつづけた。「義常のこの書状にあるごとく、波多野は源家にとって、かつての縁戚でもあり、譜代の功臣でもある。そしてまた、この度の戦の成功は、大庭平太、宇佐美平次、そして惜しくも亡くなった宇佐美平太……そなたら鎌倉一族の働きに拠るところ、大である。

 ……よって、その縁族たる波多野次郎有常、死一等を減じ、《囚人めしうど》とする。みな、異存はあるまいな」

 異議を挟む者はなかった。


 『囚人』……この場合、罪人は幕府の囚人として、指名された縁者のもとに預け置かれることになる。

 比較的、自由度の高い、謹慎刑きんしんけいである。


「して、預かり主は?」

 厳しいおもてを見せたまま、頼朝はうなずいた。

「そなたが適任だろう」

「ありがとう存じます」

「囚人として、鎌倉の作事に従事させよ」

「はっ」

 景義も、厳しい顔をしたまま、深々と頭をさげ、御所を退出した。

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