第74話 景親と陽春丸、最期のこと

「次郎、しっかりと支えておれよ」

 豊田次郎が背後から、景義の腰が揺るがぬよう、かいなで締めつけた。

 景義は伝家の宝刀を、鞘から静かに抜き放った。

 杖がかたわらに倒れ、がつり、川原の石を打った。

 一瞬、景義と景親の目が、交錯した。


(すまぬ、景親。わしは、そなたとの約束を守れなかった)

 景義の瞳から大粒の涙がぼたぼたとこぼれ落ちると、弟はうつむいて、兄がやりやすいように首を前方に差しだした。

(すまぬ)

 その忌々しい言葉を口のなかに噛みつぶし、袖に涙をふり払った。

(今日、わしは修羅になる)


 昨晩、一心に研ぎ澄ましておいた太刀のやいばが、真水のごとくうるおいめき、日の光に生々なまなましくきらめいた。

 蒼天を仰ぎ、呼吸を引き締め、気心を澄ますや、一閃、目の前の首を叩き落とした。


 噴きあがった血しぶきが光のごとくに降りかかり、太陽も、雲も、水面も、すべてをくれないに染めあげた。

 膝から崩れるように倒れこんだ景義を、なんとか豊田次郎がいだきとめた。


 景義は立ちあがろうとした。

 しかしどうしたことであろう、まるで半身を失ってしまったかのように、どうやっても立ちあがることができなかった。

(右膝に……力が入らぬ……このわしとしたことが……)


 この様子を見かねて、預かり役の上総広常が声をあげた。

「ふところ島殿、しかと見届けましたぞ。ご無理はなさるな。足利あしかが殿」

「おうッ」

 と、進み出たのは上総の食客、足利又太郎であった。

 巨大な乱杭歯をもつ、鬼の如き形相の武者である。

 十七歳の年少とは思われぬほどに、恐るべき眼光を放っている。


 この男、先ごろまで平家にくみしていたが、ひと悶着あって、今は上総軍に身を投じていた。

 広常としては、この男に平家の侍大将の子を斬らせて、本意を探りたかった。


「俺に斬れと?」

「左様」

 足利又太郎は、じっと陽春丸を見下ろした。

 かつての平家被官として、大庭景親とは知らぬ間柄ではない。

「よかろう」

 と、太刀を引き抜いた。


 陽春丸は膝のふるえを、必死に止めようとした。

 しかし、震えているのは膝だけではなかった。

 かれ自身、気づいていなかったが、全身が小刻みに震えているのだった。

 かれは唇を血の出るほどに噛んで、恐怖と戦った。


 ふいに、厚みのある大きな手が、そっと背中に置かれた。

「心配するな。すぐ終わる」

 男らしい温かみがこもったその声は、足利又太郎のものだった。

 体のふるえは止まらなかったが、すこしばかり、呼吸が楽になった。

 先ほど父がくれた言葉を無心に繰り返しているうちに、首のあたりに衝撃が走り、魂と肉体との恐ろしいせめぎあいから、ついに解放された。


 親子の首は幾日ものあいだ、川べりにさらされ、見せしめとなった。





 残る河村三郎義秀の処刑は、二日後の二十八日、大庭領内で行われた。

 景親同様、義秀の罪もまた、免れようはなかった。

 量刑は、『斬首』。


 この処刑について、景義は驚くべき決断を下すのだが、それこそが本作の、中心的な物語となる。

 ゆえに、第一部の最後に、改めて詳述したい。

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