第六章 降人  (こうにん)

第68話 景義、弟を守らんとすること

 十月かんなづき二十三日――


 景親軍は河村山を下り、相模国府に駐屯する頼朝軍に、投降した。


 軍中、大庭景親父子の身柄は、上総広常に預けられた。

 河村義秀は、景義に。

 挙兵前、藤九郎にむかって頼朝への悪口を放った首藤経俊は、土肥実平に。

 長尾新五は悪四郎に、新六は三浦義澄に、それぞれ預けられた。



 ――翌朝より、国府正殿において、量刑の検断沙汰が始められた。


「まずは総大将、大庭三郎景親。そして、嫡男、太郎陽春丸」

 桧皮葺ひわだぶきの殿上には頼朝が座を占め、正面のきざはし下の大庭おおにわを、御家人たちが埋め尽くしている。


 がんじがらめに上体を縛られた景親と陽春丸の親子が乱暴に引き出されてくるや、たちまち憎悪に満ちた野次が飛び交った。


 石橋山合戦は、御家人たちの心に深く生々しい傷跡を残していた。

 北条時政は、嫡男の宗時を失った。

 悪四郎もまた、嫡男の与一を失った。

 土屋宗遠も同じく、嫡男、忠光を失った。

 工藤茂光、宇佐美正光をはじめ、多くの御家人たちが命を落とした。

 敵方の総大将である大庭景親は罪を免れ得ない。

 景親父子に対し、人々は最も重い罪刑である『梟首きょうしゅ』――さらし首を求めた。


「お待ちをっ。お願いがござりまする」

 この時、御前ごぜんに身を投げ出し、崩れるように平伏した男がいた。

 炎をまとったような赤地錦の鎧直垂は、景義であった。

わたくし、大庭平太景義の旗揚げよりの働きに免じまして、どうかわが弟、三郎景親に御赦免を」


 たちまち満座の御家人たちから罵声が飛んだ。

をこッ」

「見苦しいぞッ、大庭の」

「景親とは兄弟の縁を切ると言うたではないか」

 総身に罵声を浴びながらも、景義はへこたれず、ふてぶてしいまでに平然と言い放った。

「それはいくさの庭でのこと。景親、降参いたしたならもとどおり、兄は兄、弟は弟でござります。どうか憐れと思し召され、ひらにお願いをば……」

「馬鹿を言え」

「詭弁じゃ」

「強弁じゃッ」

 罵声はさらに激しくなった。


 景義はそれでもなお、屈せず立ちあがり、ねばりづよく、あきらめなかった。

「みなさま『降人』という言葉をご存知か? ――降伏してきた者をば、降人という。古来より今にいたるまで、降人を許すのは、つわもののことわり

 この理は、かつての奥州合戦で、源家のご先祖、新羅しんら三郎義光よしみつ公が明言され、八幡太郎義家公ががえんじたところでござります。


 そもそも義家公のお言葉によれば、

『降人とはすなわち、戦場を逃れ、人の手にかからずして、後々、罪を悔いて降参してきた者のこと』

 ――まさに今度こたびの景親こそ、これに当てはまります。このことわりに外れ、景親だけが首を切られるのでは、筋道が通りませぬぞ。


 和殿がたは、一人一人がみな、立派なつわものではござりませぬか。この景親めは、われわれが立派なつわものの態度を見せてくれるだろうことを信じ、かれもまた、ひとりのつわものとして、潔く罪を悔い、こうべを垂れて参ったのです。

 つわものに対しては、つわものの礼を見せねばなりませぬ。今度はわれわれのほうが、度量を見せるべき時です。どうぞ『降人』である景親めにご赦免を」


 景義の舌鋒――いよいよ鋭く、ますます滑らかになるその舌鋒が、人々のあいだにどよめきを巻き起こした。

 ――もしかしたらこの大庭平太のほうに、理があるのかもしれない。

 ――われわれはつわものの度量を見せ、景親を許すべきなのかもしれない。


 景義のような古つわものが、強烈に抱く理想……それは、先祖たちがもっていた、鷹揚おうような、ふところが深い、つわもの魂であった。

 みずから降参してきた者を、大きな度量をもって許す。

 それこそが、理想のつわものの、ふるまいであった。

 景義はもちろん、そこに居合わせた古兵たちも、そのいにしえのふるまいを、望む者が多かったのである。

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