第69話 長江義景、立ちはだかること

「物申さんッ」

 どよめきだった大衆を制し、三浦一族のなかから、ひとりの御家人が名乗り出た。


 武人らしい広い肩幅、がっちりとした体格に、闇夜のごとき漆黒の鎧直垂。

 年齢は景義と同じほどであろう、烏帽子の下は総白髪である。

 どんなささいなことも見逃すまいとする猛禽もうきんのような眼球、太い鼻梁びりょう、全身から強壮な気を放つこの老将は、名を、長江ながえ太郎義景よしかげといった。


「確かに大庭景親は、『降人』である」

 義景はその鋭い眼で、景義の顔をじっと見つめた。

」と、力をこめて言葉を継いだ。「保元の例をつくづく省みてみよ。佐殿の祖父君であらせられた為義公は、保元合戦に敗れた後、投降して『降人』となった。

 降人となったが、天下の聖断はこれを許さず、為義公はじめ、保元の賊将はみな斬られることとなった。その裁断のよりどころは、なんであったか? こういうことだ。


『――希代の勝事には、大将軍をなだめず』


 ……世間を騒がせるような異常事態が生じた場合、その首謀者を許すようなことをしてはならない、ということだ。

 この重大なる一言により、保元の戦ではたとえ『降人』といえどもゆるされることはなかった。こたびの戦も、保元の戦に劣らぬほどの『希代の勝事』なれば、保元の先例をこそ適用すべきであろう」


 どっと、たちまち満座が賛同の声に包まれた。

 景義の持ち出したつわもののことわりは、この先例によって完全に覆されてしまった。


怜悧れいり――)

 景義は仰天しつつ、なんとしても大勢たいせいを切り崩そうと、孤軍奮闘、必死に大声を張りあげた。


「静粛に。どうか静粛に。もし景親を許したならば、みなさま、何が起こるとお思いか? 景親が許されたと聞けば、いまだ源家に下っておらぬ多くのつわものたちが、自分も許されることを知って、わが軍に続々と馳せ参じましょうぞ。

 わが軍はさらなる大軍となり、隆盛を極めるじゃろう。そして佐殿の器量の大きさは評判となり、日本中に轟きわたるじゃろう。

 景親の赦免は、わが軍の多大な利益となること、間違いござりませぬ。先々を見据えて、よぉくお考えくだされ」


 「なにをか申さん」と、またしても義景が、忿怒ふんぬの形相で立ちふさがった。


「景親赦免は、敵方の者たちを、かえって、つけあがらせるだけでしょう。景親を許せば、佐殿は柔和で頼りないと見られることでしょう。

 よしんば投降者が増えたとしても、そのような腰の定まらぬ者たちを多く取り込めば、われらが軍内は内側から崩れてゆきましょうぞ。

 さらに言えば、今のわれらが軍とて一枚岩とは申せませぬ。景親が処刑されてこそ、『軍内に厳しい規律あり』と知り、わが軍は強固にかたまるのです。あくまで兵衛佐殿の腰の強さをこそ、内外にしろしめすべきです。今ここで景親を許してはなりません。断固たる処置を下すべきです」


 どっと、また賛同の声があがった。

 ――義景と景義――ふたりのふるつわものは火花を散らし、激しく睨みあった。

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