第61話 景義、鎌倉に入ること

 ――十月かんなづきに入った頃、景義は突如として大庭館おおばのたてに移され、三郎景親と面会した。


 景親は筒袖つつそで姿で、久方ぶりにまみえる二人の兄を前に、まるで合戦などなかったかのような、すました顔をしていた。

「大庭御厨みくりやの農事は無事、進んでおります」

「左様か」

「色々ありましたが、本年の収穫も問題なく済ますことができそうです」

 ……言いながら、景親はなにか別のことを考えているようであった。


「さて、私は少々雑用ができましたので、大庭を離れることになりました。ここに譲り状その他、必要なものをすべて用意しておきました。今日をもって大庭の全権を、平太兄上にお戻しいたします」

 狐につままれたような顔をした景義に、景親は仰々しく頭をさげた。

「兄上に従うよう、下々の者たちにもすでに言い渡してあります。ご心配なく。それでは」

 景親は、いそいそと席を立った。


「どういうわけじゃ」

 次郎が声高に尋ねると、景親はふり返った。

「鎌倉に、行ってみなされ」

 ……それだけ言い残すと、景親は軍兵を率いて、あわただしく西へと去って行った。


 うまやに行ってみると、驚いたことには景義の愛馬の赤鹿毛が、なにごともなかったかのように呑気な様子で、まぐさんでいた。

「ほっほっ」

 景義は殊のほか喜んだ。

(こやつ、自分で戻ってきよったか?)

 ……それとも景親がどこかで見つけて、取り戻してくれたのかもしれない。

 怪我もない。

 体調もよいようだ。

 景義は赤鹿毛を厩の外に引き出させた。

「次郎」

「おう、兄者」

 それぞれの馬にまたがると、ふたりは従者たちを率い、用心しながら鎌倉を目指した。





 すぐ南の鵠沼くげぬま郷に入った時、背筋にッと冷たいものが走った。

 前方に軍勢がひしめいていたのである。


「いかんッ、敵軍だ」

 次郎が素っ頓狂に叫び、慌てて馬を返そうとした。

「いや、おととよ、よく見るがいい」

 兄がゆび指すのを見れば、軍勢はみな、源氏の白旗をなびかせていた。


 景義たちが近づくと、一騎の若い騎馬兵が近づいてきた。

 驚いたことに、それは武蔵の武者、畠山重忠であった。

 齢十八の、たいへんに凛々しい若武者である。


「ふところ島殿か」

「畠山殿? どういうことじゃ?」

「昨日、わが軍は大庭三郎殿の軍と交戦し、この地を占拠しました。激戦でした」

 景義は青ざめた。

御厨みくりや神館かんだちは無事であろうな?」

 ――そこには妻子が預けてある。

「神威を畏れ敬い、兵たちには、指一本、触れさせておりませぬ」

「さすがは畠山殿――。貴殿がいてくれて、よかったわい……」

 心底ほっとして、景義は胸をなでおろした。

「景親は兵を率い、西へ去ったよ。これより大庭御厨は、わしが管領かんれいする。貴殿も兵を引いてくれ」

「承知しました。われらも西へ、兵を進めます」





 畠山と別れた景義たちは、片瀬川沿いにくだり、稲村路から鎌倉へと入った。

 暗く険しい山間の急坂を抜けると、光を満たしたなだらかな盆状地が、ぱっと眼下に開けた。

 そこに、兄弟は驚くべきものを目にした。

「兄者……」

「信じられぬ……」

 まったく呆然として、目を疑うばかりの光景を、景義は馬上から見つめた。


 かつて石橋山で見た、あの三千の景親軍をはるかに上回る、それは恐ろしいばかりの大軍勢であった。

 おびただしい人馬の群れが、浜辺を、郷を、いさごのごとくにうずめつくしている。

 海からの風を受け、無数の旗幟はたのぼりが勢いよくひらめいている。

 それらがすべて、見るものの目を喜ばせるかのごとくに、まばゆい輝きを放っていた。


「白旗じゃッ、白旗じゃッ」

 次郎は叫び、狂喜乱舞した。

 ふり返り、景義の手をとった。

「兄者、源氏の白旗じゃ」

「……奇跡が、起こった……」

 景義はわが目を信じることができず、目の前に広がるまばゆいばかりの光景を、いつまでもいつまでも、むさぼるように眺めつづけた。

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