第60話 景義、伊豆山をめざすこと


 ――それから幾日もの間、一行は山中をさまよい歩いた。


 乾飯かれいいや塩、味噌などの携帯食を大切に、舐めるように食べた。

 用心のために火は起せない。

 木の実、山菜、野草、虫、きのこ、くさひら、食べられそうなものは注意深く選び、なまで食べた。

 夏からの気温が下がる頃あいで、夜は底冷えする。

 主従は風を防げる場所に身を寄せあい、ふるえながら野宿した。


 遠い瀑布ばくふとどろきが、敵軍のときの声に聞こえる。

 ましら鹿かせぎの姿が、敵兵の幻影に見える。

 そのたびに景義たちは足を止め、冷や汗を拭うのだった。


 樹間をゆけば、羽虫が煙のごとくにたかり、茂みを掻きわければ巨大な蜘蛛の巣がねっとりと顔にへばりつく。

 衣の下に、いつのまに忍びこんだのか、拳ほどもある巨大な山蛭やまひるがとりついて血を吸っている。

 悲鳴をあげて取り捨てることも、たびたびである。

 ……山野での狩猟に慣れた武者たちであってさえ、これはまったく、肉体的にも精神的にも厳しい逃避行であった。


 片脚の利かぬ景義を、次郎と郎党たちが根気よく手助けした。

 想像を絶する苦難の末、数日後には道をみつけ、ついに主従は相模湾までおりてくることができた。



「とにかく伊豆山を目指すのじゃ……」

 人家が見えれば、今度は落武者狩りに用心しなければならない……そう考えた矢先、景義の正面を、助秋と葛羅丸がッと塞いだ。

 どこから現れたか、たくさんの敵兵がわらわらと湧き出てきて、落人おちうどたちを取り囲んだのである。


「怪しいやつらじゃ。源氏の落武者に相違あるまい」

「名乗れ、名乗れ」

 景義はみずから進み出て、ふぉふぉ、と笑った。

「これはこれは、武者の方々。われらは都からはるばる旅をして参った、商人でござります。大庭三郎殿に特別に招かれて、大庭館おおばのたてを目指しておりましたところ、途中で強盗に襲われましてな。馬も商品も、みな奪われましてござります。どうか哀れみくださって、わずかな米でも恵んでくだされ」


 武者のかしら分は、景義の言葉も聞かぬ様子で、突き刺すような鋭い目つきのまま、一行を検分した。

 ――着物は汚れに汚れ、まったく匂いもひどい。

 生臭い。

 正視あたわざる様子である。

 ついに武者の頭は、顔をそむけた。

「なるほど。商人か。では、通れ」

 部下たちは、道を開けた。


 景義たちが、ほっとして行き過ぎようとした途端、武者の頭は後ろから、にたりと意地悪く笑った。

「ああ、そうそう。大庭で思い出したが、大庭三郎殿の兄、大庭平太は、片脚が利かぬらしいよ。しかも口がすこぶるうまいと聞いた。まさかここで討ッ取れようとは、存外の功名よ」

 かしらが太刀を抜いたのを合図に、雑兵たちもいっせいに腰刀を抜き放った。

「討っ取れッ」


 襲い掛かる敵兵を、葛羅丸が上からひっ掴まえ、高々とぶん投げた。

 景義と葛羅丸の眼が、一瞬、合った。

『私ほど、役に立つ郎党はおらぬでしょう?』

 葛羅丸の眼が、にっこりと笑って、そう言ったように思えた。


 ――次の瞬間、葛羅丸の頭を、敵兵が背後から、棒で打ちのめした。

 数に物を言わせ、葛羅丸にのしかかった。

 葛羅丸の大きな体が、倒れ伏した。

「葛羅丸ッ」

 たくさんの敵兵が、景義にも掴みかかってきた。


 多勢に無勢、敵兵に取り囲まれ、もはや一巻の終わりかと思われた、その時……

「待て、待てッ」と、別の一兵団が現れ、これを制した。


「河村の三郎、義秀である。大庭平太は、殺してはならぬ。囚人となし、われらが護送する。貴殿らには褒賞が与えられよう」

 河村は馬をおり、武者たちを押しわけ、はがねのような巨体を揺すりながら、景義に近づいてきた。

「平太殿、次郎殿、よろしいな」

「いかようにも」

 景義たち主従はそのまま、河村館に護送された。


 囚人めしうどとして、景義は離れの一間に押し込められた。

 読経の他、するべきこともなく、庭の片隅にひっそりと咲いた青い竜胆りんどうの花を慰めに、ひねもす過ごした。

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