第52話 景時、景義と対面すること

 ひと月ばかり前のこと。

 自慢の大船に乗り込み、景時が相模湾に海釣りに出た時のことである。


 海は凪いでいた。

 波は敷物を広げるように、おだやかに寄せてくる。

 沖の光が、こまやかにきらめいている。

 一羽のとびが空中にしっかりと羽根を張り、風を根城に、微動だにせず留まっている。


 一艘の小舟が、東の方から近づいてきた。

 同族の旗を掲げている。

 へさきに座している人物をよくよく見れば、それは大庭景義……ふところ島景義であった。


 景時は、部下に命じた。

逆櫓さかろを使え」

 逆櫓といって、船をこぐためのを、前方にもとりつけてある。

 これによって、大船に細やかな動きをさせることができるのである。

 景時は、小舟が寄せるのを助けてやった。


 小舟のほうから、姿勢もあぶなかしく、景義がこちらの船に移ろうとする。

 よもや海中に転落するのではないかと、景時は危ぶみつつ、黙りこくってその様子を見ていた。

 覆面をかぶった大男の強健な肩を借り、景義はどうにか無事に移って来た。


「これは突然に、驚くではありませんか」

 そうは言っても、景時の顔に驚きの色はない。

 生来、表情が顔に出にくい顔つきをしている。

 景時、この年、齢四十一。


 開口一番、景義が尋ねた。

「なにか釣れたか? 一番大きなのは?」

「キハダが連れました」

 景義が大甕をのぞきこむと、暗い水のなかで大魚が身をよじらせている。

「ほう、これは大きい」

「今日一番の獲物でござる」


 吹き抜けの屋形を構えた船上で、ふたりは畳の上に対座した。

 風は時折、涼しく吹きつける程度で、互いの声もよく聞こえる。

 挨拶代わりに差し障りのない四方山話よもやまばなしをしたが、すぐに会話が途切れた。


 すると景義は、じっくりと景時の目を見つめながら言ったのである。

「平三殿、和殿は頭が切れる。教養があり、育ちもよい。有能な男よ。もしも伊豆にいる兵衛佐殿が決起したら、わしや工藤、岡崎、中村とともに、佐殿を助けてもらえぬか」

「馬鹿な」

 景時は即座に首を横にふった。


 しかし景義は、なおも膝を進めた。

「鎌倉一族は、はるかいにしえより源家につき従ってきた。なればわれらも、源家につき従うが道理であろう」

「それは百年も二百年も昔の話。頼光、頼信、頼義……源家栄光の時代はすでに過ぎ去って久しい。源家につくなど、ありえませぬ。兵衛佐殿が決起すれば、都の平家はたちまちに軍勢を集め、七日のうちに佐殿は滅びましょうぞ」


 景義はふぉふぉ、と笑った。

「何をもってして、和殿は平家が勝つというのか」

「何を……そうでござりますな」

 景時は、言った。

「『論』でござる。『論』をもってすればたやすいこと」


 かれは説明した。

 ひとつに、都を牛耳っているのは平家の軍事政権であり、その一門の栄華は衰退のそぶりもないこと。

 ひとつに、昔、源家に従っていた東国の武者たちの多くが、今は平家に深い恩を蒙っていること。

 今ひとつには、頼朝の境遇である。

 土地もない、財もない、兵もない。

 そのような流人ばらに、いったい誰が命を預けるというのか。

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