第50話 景義、赤鹿毛を逐うこと

「お前さんともお別れじゃ」


 戦線の一隅で、景義は馬をおり、愛馬の赤鹿毛あかかげの鼻面を名残惜しげに叩いた。

「今までよく働いてくれた。わしの複雑な合図を、よぉく覚えてくれた。お前ほど人の気持ちのよくわかる賢い馬はおらんかった。お前は日本一の名馬じゃ。馬乗りにとって、自分にぴったりの馬に出会うことが、どれほど難しく、どれほど幸せなことか……」


 景義はあふれる思いで、愛馬の太首に寄りかかった。

「おまえほどの名馬なら、敵もむざむざ殺すような真似はすまい。わしのようなやっかい者の脚代わりになってくれて、本当にありがとうよ。さ、ゆけ。お別れじゃ」

 急に厳しい顔になると、景義は愛馬の尻を叩いた。


 赤鹿毛は、何事かと驚いたように、しばらく主人のことを見つめていたが、景義が拳をふりあげて追い払うそぶりを見せると、思いを察したか、悲しげに、一声あげて駆け去った。


「さて、次郎どん」

 矢種はすでに尽きていた。

 鎧を脱ぎ捨て、郎党雑色とともに、手頃な石ころを手早く袋に集めた。

 印字といって、手指に結んだ布を利用し、ふりまわして石を飛ばすのである。

「石投げかよ。兄者、童の頃を思い出すの」

 豊田次郎は、なつこく笑った。


 一党は大岩の上に陣取り、敵を待ち伏せては石を放った。

 狙いは百発百中、敵は顔面を激しく打たれ、次々に昏倒した。

 葛羅丸は大きな岩を担ぎあげ、敵兵の頭上へぶん投げた。

 敵が倒れるたび、一党は子供のように歓声をあげた。

 しかしやがて大軍がかれらを取り囲んだ。


「ぶぎゃッ」

 すぐ横で、雑色のひとりが射ち殺された。

 葛羅丸ら……郎党雑色が命を賭して守るなか、景義と次郎は肩を組んで逃げたが、急な斜面に態勢を崩し、深い谷底へ、もつれあいながら転がり落ちて行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る