第48話 景義、いとまを告げること

 人馬のざわめきが、遠くのほうから風に運ばれて聞こえてきた。

 景親軍の尖兵が、目と鼻の先に迫っている。

「ここにて、お別れでござります」

 言ったのは、景義である。

「ここより先は、険しい山道と見えます。馬ではとても行けますまい。わしは足手まといになり申す。ここで敵を切り塞ぎまする」

「景義……」


 老武者は白い眉を垂れて、にこやかにうなずいた。

「佐殿、自分を信じるのです。もし己を疑い、天を疑えば、人は闇の底へ転げ落ちまする。しかし己が運命を信じ、強い意志をもって身をゆだねれば、必ずや道は開けまする。あの伊豆山での夢解き、よもやお忘れではございますまいな」

「忘れるものか」


 景義は杖を手放し、頼朝の膝下に崩れるように身を投げ出した。

「われら鎌倉一族、これより『権五郎の右目』になり申す。われら討たれても、必ずや答の矢を射返し、敵を平らげてくだされよ」

「景義……」

「大庭平太景義、あなた様に長らくお仕えすることができて、幸せでございました」

 頼朝は目を真赤にして、老臣の肩を掴みしめた。


 同じく有志の者ら、十数騎が殿しんがりに残り、すぐに激しい戦闘が開始された。

 最後尾で奮戦したのは、加藤兄弟、宇佐美兄弟、佐々木四兄弟であった。

 味方の逃げる時を稼ぎながら、敵の進路を食い止め、自分たちもじりじりと退却する。

 この難しい役回りのなかで、雨あられと降りそそぐ敵の矢を受け、ついに宇佐美平太正光が倒れ伏した。


「兄者ァッ」

 実正は馬から飛び降り、転げ落ちた兄の体に取りついた。

 正光は白目をむき、口から泡をふき、びくびくと痙攣を繰り返している。

 実正は夢中になって、兄の体に突き刺さった矢を次々と抜き去った。

 しかし気がついた時には、もはや兄の体は魂を抜かれたように、ぴくりとも動かなくなっていた。

「嘘じゃ、嘘じゃろう?」

 実正は兄を蘇生させようと、何度も頬ぺたを叩いた。


「平次ッ、平太はもう駄目だ。来いっ」

 景廉が来て、泣き喚いて暴れる実正のつらを張り倒すと、腕をひっ掴んで泥のなかを強引に引きずっていった。

 実正は、拭いても拭いてもにじんでくる涙に、あきらめもきれず、敵にむかってあえぎ吠えた。

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