第45話 佐奈田与一、激闘のこと

 馬を寄せた五郎は、その力士なりの剛強な体で、のしかかるようにして与一に組みついた。

 得意の相撲に持ち込もうというのだ。ふたりは馬から転がり落ち、くんずほぐれつ、絡みあいながら泥の斜面を転がり落ちていった。


 やがて転落の勢いが減じた時、上に馬乗りになったのは、幸いにも与一のほうだった。

 五郎は山側に足、海側に頭、逆さづりにつ吊るされた格好で、与一を押し返せなくなっていた。

 だが与一のほうでも押さえ込むのが精一杯である。

 ふたりの全身をたえまなく、雨が滝のように洗い流れてゆく。


 与一は加勢を求め、怒鳴りをあげた。

「家安、家安ッ……誰ぞッ、誰ぞ味方はおらぬかッ」

 水際みずぎわだった声を聞きつけ、馬をおり、駆け寄ってきた武者がいる。

 その男の声が、闇のなかに通って聞こえた。

「五郎殿っ、どこだ? 暗くてよく見えぬ」

 与一の下で、五郎が嬉々として叫び返した。

「新五か? 助けよッ」

 最悪であった。

 それは敵であった。

 五郎とともに行動していた、長尾新五である。


 新五はようやくのことで、折り重なっているふたりの姿を見つけた。

「組みあっておるのか? 敵は上か? 下か?」

 与一は咄嗟に機転をきかせ、相手をあざむく嘘をついた。

「俺は上だ。下にいるのが敵の先陣、与一よ」


 これを聞いた五郎は逆上して、ぬかるみの地面から必死に叫んだ。

「上が与一で、下が俺だ。あやまちすなッ」

 新五は、声を聞きわけられずに躊躇した。

「ひよッ子、鎧で見分けろッ」

 五郎の叫びに、新五は慌てながらうなずいた。

 よくよく目を凝らせば、上にまたがる武者のほうは、見覚えのない派手な裾金物をつけている。


(しめたッ)

 心のなかで快哉を叫んだ新五は、組みあったふたりに不用意に近づいた。

 そこへすかさず、与一の足払いが飛んだ。

「ぬぉッ」

 狙いあやまたず、新五は足をすくわれてひっくり返った。

 雨で土が滑りやすくなっている。

 新五の体は急斜面を転がり落ちていった。


 窮地を脱した与一はもう一度、力を込め直し、五郎を組みひしいだ。

 だが五郎もさすがは日本一の相撲取り、自由になる片腕をなんとか伸ばし、苦し紛れに与一の首を絞めてくる。

 与一は一瞬の隙に小腰刀こしがたなを抜き放ち、五郎の首に押し当てた。

(勝った――)


 与一は五郎の太首を、力任せに何度も掻いた。

 幾度も幾度も、突き刺した。

 しかしどういうわけか、刃は首に通らなかった。

(こやつ、鋼鉄はがねの首を持っているのか?)


 与一は驚き怪しみ、握りしめた自分の小腰刀を探り見た。

 そして思わず、わが目を疑った。

 刀がさやに覆われたままだったのである。

 腰から抜いた時に、引き抜いていたのだ。

 考えてもみれば先刻、夕貌が暴れた時、慌ててやいばの返り血をぬぐい忘れたため、血が凝り固まり、のりとなって、鞘から抜けなくなっているのだ。


 そうと悟るや、与一は刀の鞘にかぶりついた。

 歯とあぎとの力で、必死に刀を抜こうとした。

 そんな切羽詰った状況のもとで……突如として、十数年のあいだ出たことのなかった、喘息の発作が出た。

 焦れば焦るほど、咳が止まらなくなった。


 そのうち背後に、敵の、忌まわしい気配を感じた。

「新六、上に組みついているのが与一じゃッ」

 斜面に転がされたままの新五が、泥のなかから弟にむかって叫んだ。

 与一は背をまるめて咳きこんでいる。

 その背後にのっそりとつっ立った長尾新六は、右手にやいばを引き抜き、左手の指を兜の天辺の穴にかけ、与一の首を仰向けにさせてから、ゆっくりとねぢり切った。

 山海の狭間はざまを、雷光が引き裂いた。

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