第40話 景親軍、襲来すること

 山上に陣を構える頼朝軍は、杣人そまびと、人足たちを働かせ、要所要所に逆茂木さかもぎ盾垣たてがきを張り巡らせ、堀をうがち、『じょう』と呼ばれる急ごしらえの要塞を造りあげた。


 翌朝までには、敵を迎え撃つ準備がほぼ整った。

 やがて夜は明けたものの、空はあいかわらずの曇天で、海風は重装の鎧武者たちをよろめかすほどに強かった。


 辰の刻――いよいよ北方から、不吉の黒雲湧きいずるがごとく、濁流ながれこむかのごとく、無数の人馬のざわめきと息遣いとが、ゆっくりと不気味に迫ってきた。

 数え切れぬほどの赤旗が、あたりに鮮血をふりまくかのように棚引いている。


 十倍の彼我の差――それは驚くほどに歴然であった。

 山谷に満ちゆく人馬の海に、頼朝軍の武者たちは心ならずも圧倒され、言葉を失った。

 それは幼児が大人に戦いを挑むのにも等しかった。


 北方の斜面に、谷ひとつ挟み、景親軍は停止した。

 頼朝軍を取り囲むように、東の海側にも回りこんだ。

 そのまま、両軍は睨みあいとなった。

 景親軍からしきりに降伏を勧告する声がかけられたが、頼朝は無論、応じなかった。


 景義ら、鎌倉一族四騎は、戦場を俯瞰するために矢面やおもてに出た。

 四騎を守るようにして郎党たちが取り囲み、抜かりなく大弓を構えている。

 景義は鋭く、目を凝らした。

 敵陣の中央に、総大将である弟、大庭三郎景親の姿が見えた。

 景親の息子、まだあどけなさの残る十二歳の童子、陽春丸ようしゅんまるの姿も見える。


 そればかりではない。

 末弟、俣野またの五郎景久。

 従弟、長尾ながお新五為宗ためむね、新六定景さだかげ

 妹婿、佐々木五郎義清。

 一族の梶原かじわら平次家景いえかげ香川かがわ五郎景高かげたか柳下やぎした五郎正常まさつねなどの姿もある。

 敵陣に並みいる鎌倉一族の縁者たちを、景義はひとりひとり確かめた。

(みな平家にくみしよったか……)


「兄者……」

 豊田次郎が、心細げに呼びかけた。

「おいおい、次郎、元気を出せ」

 弟の鎧の背中を叩き、景義は、ふてぶてしく笑った。

「わしらはたったの四騎……。だが、考えてもみよ。人数が少ないほうが、分け前が多いではないか。佐殿が全国を手中に収めたならば、わしは相模国を丸々いただくぞ。正光、おまえはどこがいい?」

「じゃ、俺は伊豆国を」

「正光は伊豆か、実正は?」

「俺は権五郎活躍の地、出羽でわを――」

「よし、おまえには出羽国をくれてやろう。次郎、おまえは?」

「……わしは豊田でのんびり暮らさせてくれ」

「カカカッ、それもまたよし。ゆくぞ」

 笑いながら馬を返した景義に、みな手綱を取って従った。


 景義は本陣に戻るや、土肥実平を探した。

 目を見あわせるなり、ふたりは幕屋の片隅に寄り添い、周囲に聞かれぬよう、ひそひそ話をかわした。

「われわれ軍を預かる宿老おとなは、、あらゆる場合について対処法を考えておかねばならぬ」

「そのとおりじゃ。それが宿老の責任というもの」


 相手が同じ心であることを確かめてから、景義はその言葉を口にした。

「土肥の。万一の場合の、佐殿の退路は?」

「すでに段取りはつけてある。その場合、ここから南へくだり、土肥領に本陣を移す」

「佐殿の御命だけは、なんとしてもお守りせねば」

「心得ておる。前線はどうじゃ? やはり、厳しいか」

「見渡す限り、敵の海よ。厳しい戦いになる」

 無表情に、何事もなかったかのように、ふたりの年輩はそれぞれの持ち場へと戻っていった。

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