第32話 頼朝、長刀を授けること

 堀を渡ろうとする頼朝軍にむかって、山木館の兵はやぐらの高みから次々と矢を射放ってくる。


 上から射おろすので、狙いやすく、矢も速い。

 逆に頼朝軍の矢は届きにくく、勢いも落ちる。

 館を囲む築地塀の上からも、容赦なく矢が飛んでくる。

 攻撃は予想以上に手間取った。


 北条東屋敷の頼朝は、なかなか火の手があがらぬことに苛立ち、たびたび縁に出ては、東の夜空に目を細め、ッと耳をすました。

江太ごうた新平次しんへいじ

 頼朝はふたりのうまや番を呼びよせて庭木の上に登らせたが、いつまでたっても炎のあがる様子はない。

 じりじりと、焦りばかりが募ってゆく。

「新平次よ、守山に登ってこい。火の手が見えたら、飛んでしらせよ」

「ハッ」


 頼朝は仁王立ちに黙ったまま、長刀を両手で握りこみ、氷の白刃しらはッと見つめ入った。

 糸が切れそうなほど張りつめたその様子に、背後に控えた藤九郎と盛綱は、心配げな目を見合わせた。


 深い沈黙のうちから、やがて決然と顔をあげた頼朝は、「景廉かげかどよ」と、月明かりの庭に声をかけた。

「私がそなたのような猛者を軍に加えなかったこと、恨んでおるか?」

 庭の暗がりに控えていた武者たちのなかから、すぐさま景廉の声があがった。

「いいえ、恨むなどと……。あれから頭を冷やしてよく考えました。俺が間違っておりました」

 近くに呼び寄せると、普段は威勢のよい者が、珍しく素直にうちしおれている。


 頼朝は暗がりのうちに微笑んだ。

「私はそなたが憎いから、罰したのではない。そなたにつわものの心を得てもらいたからこそ、こうしたのだ。

 つわものとは、ただ荒事あらごとけた者を言うのではない。強い心を持ち、道理をわきまえ、よく己の心をぎょする者のことをいうのだ。よいな。今は伊豆も相模もない。一致団結が必要な時ぞ」

 頼朝は噛んでふくめるようにさとした。


 飼い犬が主人の言葉を解そうとするかのように、真剣なまなざしをむけていた景廉は、暗中で深くうなずいた。

「確かに、心得ましてございます」

「ならばそなたを、と見込んで、この長刀を賜う」


 頼朝が言った途端、藤九郎も盛綱も驚きの悲鳴をあげた。

「佐殿、それはお父上のッ」

 うなずいた頼朝は、景廉の目前に右腕一本で長刀を突き出した。

「景廉、これは私の父の、大事な形見だ。この長刀にていくさすれば、父も冥土より加勢してくださるだろう。めでたき挙兵の祝い物と思って、受け取れ。そなたなら使いこなせるだろう。ただちに山木へ行って暴れて来い」


 しばらくのあいだ、きょとんとしていた景廉は、そうと悟るや、太い両腕を突きあげ、宝刀の柄を両手でしっかりと握りこんだ。

 するとたちまちに、かれのなかに自信と誇りが甦り、勇気が塊となって湧いてきた。

 かれは真っ赤な舌で唇をべろりと舐めると、火を噴くような勢いで叫んだ。

「ありがたき、幸せ。加藤次景廉、佐殿が御為おんため、身命を賭して働きましょう」

 頼朝は力をこめてうなずくと、宝刀を、景廉の荒くれた手のなかに押し込んだ。

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