第31話 山木合戦




   三


 明るい月の下を、うごめく一体の怪物のごときに、頼朝軍は一糸乱れず北へと移動した。


 なるほど、一行の右手めて、蛭島あたりの地づらは沼のごとく、月の光に濡れて、夜目にも土のゆるみがうかがえる。

 長年のあいだこの地に通い、近辺の地理地勢を熟知した、頼朝ならではの卓見であった。


 景義はもちろん、つわものたちは、頼朝が大路を選んでくれたことに、大きな満足感を覚えていた。

 自分が今まさに、いにしえのつわものたちの、大いなる息吹のなかに生きていることを感じた。

 まさにそれこそ、武者たちの胸を、熱く奮い立たせるもの……つわもの魂であった。


 軍は茨木、肥田原を過ぎ、狩野川の西岸へ出た。

 牛鍬の渡しを騎乗のままで渡り切り、堤を越えて大路に入った。

 堤に沿って大路を北へ行けば三島大社、南へ行けば山木館である。

 深夜にも関わらず、幾たりかの人々は祭り気分も冷めやらぬままにたむろしており、突然現れた馬群の轟きに肝をつぶし、道を避け、逃げ隠れした。


 軍は、二手に別れた。

 北条が率いる本軍は、南へ――韮山にらやまの山木館へ。

 一方、佐々木兄弟が率いる軍は、目前、つつみ信遠のぶとおたてを襲撃する手筈であった。


 堤というのは山木の後見人で、手ごわい武者でもある。

 堤館つつみのたて西南の門田に息を潜めるや、長兄の佐々木定綱がてきぱきと指示を出した。

「俺と四郎で、からめ手に回る。次郎、そなたに大手を任す」

「承知」

 兄弟はそれぞれ人数を率い、持ち場に別れた。


 時を見計らい、佐々木次郎経高つねたかは、月明りのもとへと馬を進めた。

「やるか」

 天には八月はづき十七日の、立待月たちまちづき

 あたりは白昼かと思えるほどに明るかった。

 稲穂の波が、きらきらと光の粉をふりまくように、風に棚引いている。

 経高は太い両腕を天に突きあげ、月をまっぷたつに引き裂くかのごとく左右へと押し広げ、弓を一息に、胸の高さにまで引き絞った。

 馬上に風を計りつつ、次の瞬間、高々と鏑矢かぶらやを天に放った。

 かぶらは鋭く鳴き叫びながら、虚空を駆け抜け、敵方の眠りを冷たく切り裂いた。

 これこそが長きにわたる源平大乱の、幕開けの第一矢――嚆矢こうしであった。

 武者たちは一団となって呻き叫ぶや、獲物にむかって襲いかかった。





 堤館に遅れて、一方の山木館でも合戦ははじまっていた。


「われは伊豆国住人、北条三郎宗時。兵衛佐殿のいくさの先陣ぞや。誰ぞ、いで来て、一騎打ちせよッ」

 宗時が見事なばかりに、初々しい声で名乗りをあげた。

 すると、

「河内国住人、関屋八郎」

 と、櫓上から、もの慣れた、ずぶとい声でいらえがあり、大矢を次々と射掛けてきた。

 関屋は片肌を脱ぎ、鎧を着る間もない有様で、籠城戦を決め込んでいる。

 たちまち堀を挟んで両軍のあいだを激矢が飛び交った。


 景義は徒歩戦かちいくさができない分、馬上に弓を引き絞り、後方から味方勢の援護に当った。

 左膝の古傷が、ぴくり、ぴくり、まるでそこだけが別の生き物のようにうずいている。

(これよ、このビリビリと肌を打つ風。湧き躍る血潮。これが戦場よ。わしはついに戻ってきたのだ……この場所へ)


 豊田次郎が馬を寄せてきた。

「兄者ァ、意外と護りが固い」

大路おおじを来た分、やはり察知されたな。できるだけ近づいて、よく狙え。敵は篝火のもと、こちらは闇のなかよ。影を利用するんじゃ。宗時は?」

「堀を渡ろうとしている――」

 矢つぶての雨のなかを、人々に先駆けて土堀に飛び込んだのは、北条の郎党たちだ。

「危ういな。もっと近づいて援護に回ろう。助秋、行くぞ。正光、馬を止めるな」

 景義は叫び、馬を巧みに小回りさせた。

 瞬時に、闇のなかから幾本もの矢が襲いかかり、背後の闇へと消えていった。




※ 弓を一息に、胸の高さにまで引き絞った …… 弓は普通、唇の高さで引くが、鎧を着用した場合には、胸の高さで引くとのこと。

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