第27話 与一、夕貌を披露すること

 北条館の南に、こんもりとまるく土を盛ったような、守山もりやまと呼ばれる小山がある。


 この守山をついたてに隠れ、今まさに、三十騎あまりの軍勢が篝火かがりびき、いくさ仕度を急いでいる。


「どうどうッ」

 ひときわ大きく逞しい馬の、綱を引いて現われたのは与一である。

 灰白色の葦毛馬で、夜闇のなかでも白光をまとったかのように一際ひときわ目立っている。

「すごい馬じゃな」

 景義の、呆れるような感心のため息を聞き、与一はにんまりと笑った。


「疲れ知らずの強馬です。見てください」

 と、馬の鼻先を指差した。

 五弁の花びらのように、特にそこだけ色が白く抜けている。

「まるで夕顔の花を咲かせているようでしょう? それで、『夕貌ゆうがお』と名づけました。都の力士は、夕顔の花を頭に飾って闘います。大力のこの馬にはぴったりの名前だと思いませんか」


 夕貌――そんな風情ある名前とは裏腹に、屈強の汗馬は耳を伏せ、鼻息荒く、まわりの馬たちを威嚇しはじめた。

「ふむ、癇の強いやつよ」

 荒々しい気性を見て、景義は呟いた。


 与一は、ぐっと手綱を掴み、夕貌を御した。

「いかにも。気の強いやつで、悪四郎おやじ殿が、三浦の伯父御おじごのところから頂戴してきたのですが、結局乗りこなせませんでした。それを私が貰い受けたのです」


 景義は恐れ気もなくくつわをぐいと掴むと、目玉をのぞきこみ、値踏みした。

 馬はすぐさま、反抗的に鼻息を荒げた。

「ふうむ、悪四郎どんが手を焼くとは……とんでもない化け物じゃ」

「私も苦労しましたが、気の強いところが逆に、なんとも可愛いのです」


いくさには、もそっと扱いやすい馬がよいぞ。それに、葦毛は目立つ」

「今更、変えられませんよ。私は夕貌に馴れておりますし、夕貌も私に馴れております。それに……」

 与一は燃えるような眼光を向けた。

「戦こそは、つわものの大舞台。おおいに目立つべきではありませんか」

 まっすぐな、挑みかかるような目であった。


(愚直さ、か――)

 景義は一瞬そう考え、いやと、すぐに打ち消した。

 老武者が嗅ぎ取ったのは、そうではなく、いわば懐旧の匂い――古き時代のつわものたちの息吹であった。

 戦場を大舞台とし、正々堂々とした態度で、持てるかぎりの力を尽くして戦い合う。

 往昔には、それこそが、つわものであった。


 それに比して昨今の武者は、こまごまとした戦略を駆使し、裏を突きあって戦うのが常道である。

 ましてや景義のような老武者は、経験も重ね、知恵もまわる。

 どうしても詐略に走りがちであった。

 勝ちを盗む――それはたやすいことではあるが、その分だけ、だんだんと背が屈まり、心は邪道に堕ちてゆく。


 先祖代々から伝え聞くかぎり、古き時代のつわものは、けしてそうではなかった。

 過酷な戦場に出れば、みな自分のことに手一杯。

 共にいて支えてくれる者は、ひとりもいない。

 孤独な戦場で一緒にいて支えてくれるのは、ただ己の心のみなのだ。

 己の心を偽らず、己に対する誇りと自尊心を友として、心のままに闊歩する。

 そんなおおらかな時代のつわものたちの息吹を、景義は与一の気迫に感じたのである。


 そしてまた、若者のそのような大きな息吹は、老人のかがまった背を伸ばし、若返らせてくれた。

 背丈がひとつ伸びて、高らかで大いなる時代の、失われた空気を吸わせてくれるようであった。

「佐奈田与一、誇り高きつわものよ」

 眩しげに目を細めて言った景義に、壮者わかものは自信にあふれた、輝かしい笑みを返した。


「……馬の口を、固く縛っておけよ。いななかぬようにな」

「わかりました」

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