第28話 景義、戦支度をすること

 景義は、自分の赤鹿毛の準備にかかった。


 馬の体調、怪我がないかを入念に確かめ、くらあぶみなどの馬具を固定してゆく。

 その間、馬はおとなしく人々に体を預けている。

「邪魔くさかろうが、我慢せいよ」

 景義は愛馬に声をかけ、鼻面を縛らせた。


 周囲にはふところ島の郎党雑色、十人ほどが集まって、同じく準備を進めている。

葛羅丸かずらまるよ」

 この大男の前には、馬も、犬のようにちいさく見える。

 覆面の奥の瞳が、篝火かがりびに爛々と輝いている。

 大鎧を着込み、長弓を担ぎ、馬の準備も万端、整っていた。


「緊張しておるか」

 景義が尋ねると、葛羅丸は「ぶおう」と巨獣のように唸り、ぶるぶると大きな体をふるわせた。

「武者ぶるいか、勇ましいの」

 息子をかわいがるように、景義は葛羅丸の背中を叩きながら言った。

「なに? 『殿のほうこそ、久々の戦に手足がふるえておりますな』、じゃと。フォフォフォ、馬鹿を言え。百戦錬磨の景義サマじゃぞ」

 こんな時でも、軽口を忘れない。

 剽軽ひょうきんに笑いながら、葛羅丸の馬と馬具を念入りに調べてやり、「よし」とうなずいた。


助秋すけとき

 呼ぶや、皺だらけの顔をした剽悍な男が、素早い動きで身を寄せ、頭を垂れた。

 郎党たちのかしらである。

 景義の乳母子めのとごで、幼い時分から苦楽をともにしてきた。

 久方ぶりの合戦に、顔にはさすがに緊張の色を漲らせている。

「準備はどうじゃ」

「ぬかりありません」

「保元の頃を思い出すか」

「都での、あの華々しい戦に比べれば、今度こたびの戦など、ものの数にも入りませぬ」

「言いよる」

 景義はおおいに笑った。

は準備しておろうな」

 さすがに長年の郎党、助秋はかたわらから即座に『』を差し出した。

ですな」

じゃ」

 ――なんのことはない、酒の瓶子へいしである。

 景義は瓶子を唇に傾け、ゆっくりと喉を潤した。


「兄者」

 甲冑姿の豊田次郎と宇佐美兄弟が、こちらも準備万端で現れた。

「飲むか?」

「おうよ」

 次郎も酒は、いける口である。

 瓶子を受け取るや、ぐいぐいと飲み込んだ。

 途端、顔をゆがめ、ぶべっっと、吐き出した。

「なんじゃこりゃぁ、腐っとるッッ」

 目を丸くして叫んだ次郎を見て、景義は声をあげて大笑した。

「カッカッカ、腐っとるわけではない。牛のちちじゃ。……絞りたてのな」


 次郎は尻の穴から息が抜けたような顔で消沈した。「……勘弁してくれぇ、兄者。赤子じゃあるまいし、わしは乳は好かぬぞ……」

 無理もない。

 東国の者たちはみな、牛の乳を飲む習慣がない。

「景気づけに飲んでみよ。精がつくぞ」

 若い宇佐美兄弟も勇猛果敢に挑戦してみたものの、その独特の匂いと味に、ふたりして「ぼへっ」と叫び、顔をしかめた。

「ハッハッハ、よきかな、よきかな」

 景義は大笑いして、ぐいぐいと瓶子の乳を飲み干した。


 一息ついて、かれは腰のえびらから、巾着袋を取り出した。

 袋をひらくと、なかから大ぶりの鷲の羽根が現れた。

 それも普通の羽根ではない。

 輝ける純金づくりの、本物そっくりの鷲羽根である。

 毛のひと筋ひと筋の細工まで精緻を極め、重さも不思議と羽根のように軽いのは、匠のわざゆえであろう。


「おお、御霊ごりょう様の御守ですな」

 助秋が言った。御霊様とは、鎌倉権五郎景正のことである。

「うむ。御霊様が百年前に奥州から持ち帰られた、ありがたい金鷲羽きんわしばねの御守じゃ。保元合戦の時も、わしを護ってくれたよ」

 景義は懐かしげに目を細めると、黄金の羽根を額にかざし、勝軍を天に祈った。


 ――背後で高いいななきがして、夜の空気が大きくざわめいた。

 景義たちが驚いてふり返ると、夕貌が猿轡さるぐつわを嫌って暴れている。

 それをしずめようと、与一とかれの郎党たちがおおわらわになって騒いでいるのだった。

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