第23話 与一、喧嘩を収めること


 波を蹴り割って浅瀬に押し入った与一は、周囲のこわっぱ小童どもを圧する声で気合を吐くや、巨岩を天へ投げ飛ばした。


 岩は宙に返り、一瞬の滞空の後、川面にぶちあたって飛沫しぶきを爆発させた。


 腰を抜かした若者たちに、与一は吼えかかった。

「貴様らは、所かまわず噛みつきまわる野良犬か? ごろつきか? それともこころざしある源家の御家人か? 今は大事の時である。わきまえある御家人ならば、ほこを収めよッ」


 怒鳴りつけられた若者たちはたちまち正気づき、掴みかかっていたものは手を放し、あるいは倒れた仲間を助け起こし、血のまじったしょっぱい唾を吐き捨てながら、しぶしぶ激昂を収めるのだった。



 与一は若者たちをひとつ所に集め、喧嘩の原因を問い正した。

 事情を飲み込むや、かれはうなずいた。

「あい、わかった。加藤の。私が相模衆を代表して言おう。つわものの意地に賭けてな。三浦は、必ず来る。もし来ねば、私は腹を切ってもよい」


「つまらねぇ」と、景廉はわめいた。「賭けはどうだ。三浦が来るか来ないか。勝てば、米だわら百俵。負けたら土下座だ」

「いいだろう」

「よし、決まりだ」

 ニヤリ笑った景廉は、人々が驚いたことに、ざぶざぶと川中へ踏み込むと、やおら流れの上にかがみこみ、与一が担いできた岩石を持ちあげにかかった。

 三十貫――ゆうに大人ふたり分の重量はある。


 たちまち筋肉が張りつめ、関節が小刻みにふるえ、体じゅうから滝のごとき汗が、どっと噴き出した。

「でるャァァッッ」

 咆哮一発、朝日に飛沫を散らしながら、巨岩はふたたび白日のもとへさらけだされた。


「おぉぉ……」

 衆人のため息を尻目に、景廉は大岩を手荒く投げ落とし、与一に勝るとも劣らぬ盛大な水飛沫をあげさせた。

 こんなクソ岩が、なんだ……景廉は与一を睨みつけ、べろり、大きな舌で唇をひと舐めすると、息巻きながら人々の前から立ち去っていった。





「みな、聞いてくれッ」

 ここぞとばかり、叫んだのは宗時である。

「みなの血のたぎりは、戦の時までとっておくんだッ。ここでは伊豆も相模もない。われらはみな、佐殿の義兵。われらの敵は、都に巣食う平家一門。みなで平家に立ち向かおうぞッ」

 分別あるこの言葉を聞いて、若者たちもすこしは目が覚めたようで、各々うなずきながら、それぞれに解散していった。


「三郎殿は、若いのに堂々としているな」

 そう声をかけた与一に、三郎宗時は悄気しょげ顔をした。

「申しわけありません。喧嘩を止められませんでした……力不足です」

「いや、なんの。三郎殿の言うとおりじゃ。伊豆も相模もない。ともに手を携えて行かねばならぬ」

「はい」

 尊敬のまなざしに頬を上気させた宗時は、身をひるがえし、川面にざぶざぶと駆け込んだ。

 そこには与一と景廉の投げ飛ばした大岩がある。

「私も試してみます」

「ははは、軽くはないぞ。無理はするなよ」

「はいっ」


 宗時は、ふぅと息をついて、水の流れをふたつに裂いて鎮まる岩塊を見おろした。

(……自分なりにがんばったけど……駄目だった。喧嘩を止められなかった。……私に先陣の役目は無理であろうか……)

 自分の弱気に自分で腹が立った宗時は、川の水を両手ですくいあげると、自分の顔に浴びせかけた。

 そして、なんとしても大岩を持ちあげてやろうと、腕に力をこめ、顔を真っ赤にして力むのだった。





 土手の上の老人たちは、いまだ立ち去らずに碁をつづけていた。

「おもしろい見ものじゃった」

「与一はさすがじゃの」

「……若い宗時には荷が重かったか……」

「与一が先頭に立ち、若者たちをしっかり統率してくれることじゃろう」

 宿老たちは大きな期待を胸に、一様にうなずきあった。


「それにしてもやはり、戦のほうは日延べしたな」

「やはり、佐々木兄弟か」

「うむ、おそらく」

「なぜ殿は、そこまで佐々木兄弟にこだわられるのです?」

 五郎親光が問うと、景義が「二十年来の仲だからのう」と答えた。


「平治合戦に敗れて後、源三殿と子息たちは故郷の近江おうみを追われ、坂東まで逃げ延び、流浪の境遇となった。佐々木は源家と運命を共にしたのじゃよ。

 長男の定綱、三男の盛綱は、佐殿のそばにはべって、まめに仕えてきた。二十年の同じ流浪の境遇のなかで、佐殿と佐々木兄弟は約束したのさ。『源氏再興の時は必ず、ともに』とな」

「胸が熱うなる話じゃよ」

 皺ぶかい顔を見合わせ、老人たちはうなずきあった。

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