第12話 頼朝、懊悩すること

 だが幸いにも、そうして旧恩に背く者ばかりではない。


 頼朝が挙兵すると聞くや、西相模の中村党はたちまちに馳せ参じた。

 三浦半島の雄、三浦党の長である義明は泣いて喜び、一族をあげて頼朝への協力を誓った。

 房総半島の千葉氏も、協力を申し出ている。

 しかして三浦も千葉も伊豆に遠く、かれらの兵は未だ参着する気配もない。


「時期が悪うござりました」

 時政が裏返った声で、言う甲斐もないことを言った。

 つまり、作物はこれから収穫の時期に入るのである。

 有力な武者たちは農場主でもあるから、一年で最も大切なこれからの時期には戦を厭う。

 人の集まりが少ないのも、無理はなかった。


 ――当初の計画では、挙兵は稲の収穫を終わらせた後に行う予定であった。

 ところが、もくろみが甘かった。

 八月はづきに入り、平家の一軍団が都から下り、伊豆を急襲したのだ。

 以仁王の乱の残党狩りである。


 これによって、坂東じゅうがものものしい雰囲気に包まれた。

 頼朝にとっても、これは他人事ではありえない。

 朝廷から頼朝に対する正式な追討令が出されているわけではないが、ひとえに恩賞ほしさに、勝手に頼朝を征伐しようとするやからさえ現れかねない。


 危険は差し迫っていた。

 一刻もはやく、できるだけ多くの兵を身のまわりに集めておかねばならない。

 攻め殺される前に、先手を打たねばならない。

 そのような恐怖と焦りのなかで、ついに挙兵を早めることを決めた。

 ――このために、伊豆から遠い三浦や千葉は、いわば、腰をあげそこねた格好になっていた。


(……いやそれとも、三浦も千葉も口では人を喜ばせながら、心では日和見ひよりみを決めこんでいるのかもしれぬ……。かれらのような大領主が、本当に一介の流人に身を任せるだろうか?)





 諸々もろもろの悩乱に、いっそうおもてを曇らせた頼朝の心中を察し、時政は言った。


「ご案じなさりまするな。郎党下僕しもべを合わせれば、七、八十騎にはなりましょう。まずはこの伊豆国を統べる平家の代官、山木やまき判官ほうがんさえ討ち果たせば、佐殿の名は国中に轟き、その名を慕う者あり、旧恩を思う者あり、草木が風になびくように、兵はたちまちに集まって参りましょうぞ」


 ――楽観である。

 しかしこの夢のような慰めを、今は信ずるより他はない。


 気がかりは、他にもまだある。

「佐々木兄弟が来ない」

 それは頼朝の最も信頼する腹心、盛綱とふたりの兄のことである。

 旗揚げの戦は明朝と、すでに伝えてある。

 武備を調え、今日にも参着する予定であったが、その姿が未だに見えない。


「佐々木兄弟のおります渋谷しぶやからは、丸一日以上かかります。箱根道の急峻を越えねばなりませぬ。この大雨では、なかなかには辿り着きますまい」

 慰めにもならぬ時政の言葉に、頼朝は黙りこくってしまった。


 人々は雨の音だけを聞いていたが、しばらくすると、一様に顔をあげた。

 かすかに、馬のいななきと、人々のざわめきが聞こえたようであった。

「来たか?」

 人々は、期待の目を見あわせた。




※ 頼朝の兵数は、『吾妻鏡』の山木戦後のリストによれば、御家人級が四十六人。

『源平盛衰記』では、郎党まで加えて、八十五騎としている。

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