第13話 悪四郎、侍所に居座ること




   二



 東屋敷の侍所さむらいどころには、奇妙な老人が居座っている。


 名を、悪四郎という。

 大柄で肉づきがよく、若い頃は相当の偉丈夫であった。

 髪はことごとく白髪になっているが、太い眉毛だけが黒々として逆立っている。


 悪四郎老人は動きやすい筒袖つつそで姿で、「ああ忙しい忙しい」とぶつぶつ呟きながら、長弓、征矢そや鏑矢かぶらや、腰刀、太刀たち長刀なぎなた、熊手……種々雑多な戦道具をむしろの上にかっぴろげ、弓弦ゆづるの張りを調製したり、やいばに打ち粉をふるったり、布でぬぐったり、ひとつひとつせわしなく手入れしてゆく。


 だがそこには、計画性というほどのものはない。

 目についたもの、気がむいたものから手をつけるといった有様で、武具のあいだを無闇矢鱈に飛び回っている。


 侍所の前を、誰か行きすぎようものなら、必ずや恐ろしげなぎょろ目でめつける。

 下働きの者だと分かれば、老人はなにもいわず、また元のように武具の手入れに立ち戻る。

 しかし見知らぬ武者でもやってこようものなら、やにわに目の前に立ちはだかり、白杖をぶんぶんふるって通せんぼする。





 今朝も雨のなか、蓑笠をかぶった若い兄弟が、頼朝の決起に加わろうとやってきた。

 めざとくこれに気づいた悪四郎は縁の端まで飛んでゆくと、まるで岩そのものが喋り出したかのような、バリバリ響く大音声を張りあげた。


「わしはこの屋敷の侍所を預かりし者なり。身元怪しき者を通すわけにはゆかぬ。そこもとら、名乗らっしゃい」

 若い頃から張りあげてきた大声は、しゃがれにしゃがれ、ひとつひとつの言葉が聞きわけづらい。

 しかし七十近い高齢を思えば、おそろしく達者な口ぶりであった。


 なおさら緊張した兄弟は、威儀を正してこれに答えた。

「わしらは駿河の国からやってまいりました、鮫島さめじま四郎宗家むねいえ、そして七郎宣親のぶちかと申します。縁あってこの度、佐殿に名簿みょうぶを捧ぐべく参上つかまつりました次第、どうかお取り次ぎ願いたい」


 老人は遠慮なく、頭の先からつま先まで、値踏みするようにじろじろと眺めまわす。

「なるほどなるほど。サメというだけあって、どちらもなかなかの偉丈夫じゃ。ところで鮫島とやら、わしの名を存じておるか」

「はァ? お名でありますか。……いや、なにぶん、われらは田舎者で存じあげませぬ。貴殿のお名をぜひ承りたい」

 悪四郎は「聞きたいか」と、もったいをつける。

 兄弟も仕方なくつきあって「はぁ」と生返事。

「よしよし、ならばとくと聞け」

 悪四郎は兄弟を招きよせると、一気呵成、鼓膜もつんざけよとばかりにまくしたてた。


「聞こえ高き八幡太郎源義家みなもとのよしいえ殿につき従い、奥州合戦にて金沢のたてをみんごと落とした三浦の平太郎へいたろう為継ためつぐが孫、三浦の大介おおすけ義明よしあきが末弟、相模国住人、源家累代にして佐殿の第一の郎党、岡崎の悪四郎義実よしざねとは、なんとッ、このわしのことじゃッ」


 老人は、ぎょろ目をむいて言い切った。

 兄はのけぞり、弟はほとんど聴力を失した。

 かれらは不幸にも、悪四郎の名を知らなかった。

 だがまさか、無下に「知らぬ」とも言えない、ただと思い、頭をさげた。


「なにぶんにも新参者で、よろしくお願いいたします」

「うむ、貴殿らはなかなか素直でよォろしい。佐殿にはわしからよォろしく言うておく。ささ、侍所にて、お声がかりを待つがいい。これ、誰やおらぬか。お客人ぞ。馬を預かれ。足をあらえィ、あないせィッ」


 屋敷の雑人たちは固唾をのみ、なかば呆れながら見守っていたが、あわてて走り寄ってくる。

 悪四郎は主人顔、あれこれと指示を出す。

 縁側で客人が足を洗われている間、その肩に馴れ馴れしげに腕を回し、「サメ島どん」と嬉しそうに、覚えたてのその名を呼びかける。


 またなにか因縁をつけられるのではないかと、兄弟は猪首をすくめ、悪四郎の言葉を待ち構える。

 老人は、にやりと笑って、猫撫で声。

「なにか困ったことがあれば、わしに相談せいよ」

「ハハッ、かたじけありませぬ」

 ……これでたいていの新参者は、悪四郎に頭があがらなくなる、という寸法であった。


 今もまた、なにやら門口の方がざわついて、数騎の人馬が訪れたようである。

 悪四郎は、いきり立ち、今度は長刀なぎなたを握りしめた。

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